電氣アジール日録

自称売文プロ(レタリアート)葦原骸吉(佐藤賢二)のブログ。過去の仕事の一部は「B級保存版」に再録。

真面目左翼がなんJ民に劣るワケ

某所でほぼ同じような話を書いたのだが、なんJ民のヘイト動画通報祭りについて。

ヘイト動画を消滅させた「ネトウヨ春のBAN祭り」はネット上の革命だったのか? | ハーバービジネスオンライン
https://hbol.jp/167028

上記の記事の陳腐さ凡庸さには呆れざるを得ない。「差別動画が消されまくって結構」「ついにネット民が正義(反差別)に目覚めた」って、都合よく自分の願望に合わせた解釈を述べてるだけではないか。
確かに、ヘイト動画を通報しまくってるなんJ民には、純粋に正義感で行動している者も一定数いるだろうし、みずからが深刻な差別の当事者である本物の在日も含まれている可能性はあるだろう。また、思想性抜きに、ヘイト動画によるGoogle検索結果のサムネ汚染にうんざりしてBAN祭りに賛同している人間も一定数いる模様だが、それらだけが多数とは思えない。
なんJ民を含む2ちゃんねらー(5ちゃんねらー)の動機は本質的に、(1)無思想の面白主義、(2)反良識の逆張り根性、ではなかったか?
なんJ民の大多数はヘイトウヨ動画通報祭りを「楽しんで」やってるはずだ。
そりゃ楽しいだろう。
バンバン動画が削除されて目に見える成果が上がってる。
しかもGoogleyoutubeという国際的企業のお墨付きだ。BAN祭り支持者のなかには、ヘイトスピーチを批判した安倍晋三お言葉を掲げている者もいる、つまり今回の件は「権威」を味方にすることに成功している。権威を笠に着て嫌な相手を困らせられるんだから、そりゃ楽しいわけだ。
――従来の反差別・左翼・リベラル派は、このようなネット民の快楽意識に訴える戦略をできなかったのが最大の失敗だ。
正義感だけで多数の人間は動かんよ。
そもそも、余命三年みたいなブログやヘイト動画が蔓延するのは、観客に「俺は日本人というだけでエラい」「ネットで真実を知ったぞ」ってな優越感の快楽をもたらすからだ。
俺はもう10年も前からずっと言ってるぞ、左翼は快楽原則で負けてるって。
左派で、山野車輪、はすみとしこに匹敵する下世話な(しかし読者に優越感はたっぷり与えてくれる)エンターテイナーは出てこないのか?

「春のBAN祭り」の真の画期性?

ところで、先になんJ民を含む2ちゃんねらー(5ちゃんねらー)の動機として「反良識の逆張り根性」を挙げた。
もともと、2ちゃんねるを中心にしたネット世論で、在日韓国人を公然と差別したり、左翼リベラル派の説く人権ヒューマニズムをあざ笑うような右翼的言辞が広まった背景は、テレビや新聞などメジャーなマスコミにおいては、反差別の左翼リベラル派こそが主流であることに対するアンチ意識だった。
ところが、今やネット世論においては公然と差別的な態度の方が主流、そこで今回の件のように「反ネトウヨ」こそが、反良識の逆張り根性が噛みつく対象となったのではないだろうか?
もし本当に今回の事件に日本のネット文化史における歴史的転換点などと言える要素があるとするなら、「皆が反差別の正義に目覚めた」なんて話ではなく、むしろ「一回転して『反ネトウヨ』が逆張り厨の対象になった」という点かも知れない? と感じている。
今回、左翼リベラル派がなんJ民を反差別の闘士のように持ちあげるのは、終戦直後に日本共産党アメリカの占領軍を「解放軍」だと思ったのを思い来させる。そんなもん、勝手に自分の願望を投影したに過ぎない。
そういや30年近くも前にも、よく似た図式を見たな。ゲイを題材にした映画に若い女性客が多数集まるんで、BLとか腐女子の存在を理解してない反差別の闘士が、左翼リベラル派の雑誌とかで「そら見ろ、若い女性の間ではこんなにも同性愛への理解が進んでるぞ」とドヤ顔してた図だ……1990年代初頭には、本当にそんな勘違いがあったんですよ。

無思想の一般人を惹きつけた者こそ勝ち

断っておくが、わたしはなんJ民を批判する気はない。むしろ、今回ヘイト動画潰しという意味では駄目な左翼よりよほど役に立ったのを、無思想な面白主義という動機まで含めて評価したいのだ。
かつて2012年には「李田所事件」というのがあった(詳細1詳細2)。
このときのネット民の反応の多くは「ネトウヨ淫夢厨に釣られてるw あーあバカだなwww」といったものだったろう。
悲喜劇的だったのは、引っかかった人たちに「李田所」の正体を知るや、「このデマを流したのは中核派だ」とか言い出す者がいたことだ、この世には自分らと敵(反日左翼)の2種類だけしか人間がいないと思い込む発想!
いやいや、世の中の大多数は、右翼でも左翼でもない、自分の快楽原則に沿うかが判断基準の一般人なんだよ。
この李田所デマにしても、今回の春のBAN祭りにしても大真面目な愛国者の皆様は、左翼でも在日でもない無思想の面白主義に足元をすくわれたのだ。
わたしは李田所事件のときの淫夢厨や、今回のなんJ民のような無節操こそ、単純な左右対立図式を相対化して解体するものとして歓迎する。
左翼リベラル派が大真面目にネトウヨを批判したって、それを読んでくれるのは元からの左派だけだ。ところが、淫夢厨は明確な思想なんてない一般人多数に「ネトウヨはバカ」というイメージを広めるのに大成功した。こっちの方がずっと効果は高いだろう。
無論、淫夢厨やなんJ民は、状況次第では左翼リベラル派もおちょくりの対象にするだろう。別にそれで大いに結構だ。

右派と左派の非対称性

さて、BAN祭りで痛い目にあった右派の間では「同じように左翼の動画を通報して削除しまくれ!」という声も挙がっているが、左派陣営からは違法な動画が大して出てこなかったらしい。これはなぜだろうか?
左翼の方が倫理観が高いとか阿呆なことを言う気はない。
ここで右翼と左翼の非対称性が問題になる。
以前も述べたが、左翼はもっぱら思想の中身という意志的な属性に依拠し、右翼はもっぱら人種、民族、国籍といった先天的な属性に依拠する。
そう、右派は自分の敵への批判を個人の主張への批判ではなく、やたらと人種、民族、国籍全体の問題にしたがる。
「○○は在日→だから悪」「○○人は日本人より下等」式の主張は、民族や国籍という大きな属性の問題に話をすり替えているだけで、相手の主張の中身に対する正当な批判にはなり得ないから、不当な差別と見なされるのだ。
恐らく、今回のBAN祭りに憤った右派には、「なんJ民は在日」と言ってやれば論破したことになると思っている者も少なくないだろうが、そんなものは「お前の母ちゃんデベソ」レベルの罵倒にしかならない。
だから、ここで右派のyoutuberに、削除対象にならない保守動画の作り方のヒントをアドバイスしてやると、「日本の左派人士や、中国政府、韓国政府、北朝鮮政府の『主張の中身、行動の中身だけ』を批判しろ」ということである。「理路整然とした保守」というのはそういうもののはずだ。
まあでも、人種民族国籍とかいった属性だけで自分が優位と思えるのが右派思想の魅力なんだから、それを押し殺すのに乗り気はしないだろうね……。

追記:ヘイト動画削除は資本主義の論理

そういえば、初歩的問題すぎて書かなかったが、ヘイト動画BANの妥当性自体について。
今回の件を「不当な言論弾圧だ!!」と怒る右派は多い。また、ネトウヨ思想に共感するわけではないが、とにかくネット言論の自由を尊重する立場から動画BANに懸念を示す者も一定数いる。
しかし、この手の人たちはyoutubeを、誰もが自由に使えるその辺の道路のような公共物とでも思っているのだろうか? youtubeGoogleという「私企業」が経営する媒体だ。youtubeは公共の道路ではなく、私有地を人に貸しているだけなのである。
そして、Googleがヘイト動画はNGと判断するようになったのは、動画の広告主がヘイト思想の賛同者と見なされるのを忌避するようになったからだ。
つまり、Googleは純粋に広告主のイメージを守らないと自社の利益が損なわれるという経営判断で、ヘイト動画をBANするようになったのである。
youtubeのヘイト動画削除はいっさい左翼思想ではない。むしろ資本主義の論理だ。
右派には資本主義を批判する国家社会主義者もいるが、今の日本の真面目な愛国者様の大多数は新自由主義を肯定してらっしゃるように見受けられる。だったら、自由競争原理に即した切り捨ては当然の正義ではないですか。
youtubeGoogleの私有地という基本中の基本を理解せず、「言論の自由ガー」とか言ってる人たちは、ぜひとも自分らの力で、ヘイト動画も含めてどんな言論もOKの動画投稿プラットフォームを構築してください。ただし、その動画サイトがなんJ民や淫夢厨に汚される可能性も充分ありますが……。

体罰の発想は解決にならない

上記の件とはまったく関係ないが「暴力について」という一点のみ共通の話をひとつ。
わたしは普段このブログではいろいろ偉そうなことを書いているが、実人生においては非常にしょぼいダメな中年(←いや初老)男である、そのへんを自白する。
つい先日、一方通行の狭い道路でトラックが路上駐車していたために通れず、安易にかんしゃくを起こして思い切りトラックを蹴飛ばしたら、中にいた運転手に怒鳴られた。経緯はどうあれ、他人の所有物(業務用の車両)を破損させたら悪いのはこちらであるから、平謝りである。48歳になってこれかよ、阿呆か。
数年に1度はこの手のポカをやらかす。3年前には、自分が住んでるアパートに帰宅したら新聞の勧誘員が通路をふさいで、隣室の住人が一生懸命に断っているのに講読を迫っていた。そこで勧誘員の腕をつかんで、「どけよ、あんたがそこにずっと立ってると俺が自分の部屋に入れねえだろうが」と怒鳴ってやったら、隣室の住人には強気だった勧誘員が、途端に泣きそうな声で「何するんだよぉ」とわめきだした。
この手のトラブルになると、わたしはよく平謝りしたうえで、それでも相手が不機嫌そうならば「わかりました。そんなにムカついてるならわたしのことを一発ぶん殴って良いです」と言うのだが、相手がそれで納得したことは1度もない。先日、この阿呆な考え方が何なのか、やっと自分でわかった、48歳にもなって。
要するに、暴力による解決は、体罰の発想なのだ。
中学や高校で何かポカをした生徒は、教師や先輩に殴られる。ただし、金銭による弁済は求められない。だが、大人になると、余程の体育会系ブラック企業でない限り、体罰ではなく金銭で弁済するのが通例となる。ところが、学校ではこれを教えない。
わたしが中高生だった1980年代当時、九州の学校では教師も先輩も息をするように体罰を使った。わたしはそれが大嫌いだったはずなのに、無自覚のまま「悪いことをしても、殴られればチャラ」という考え方が内面化されていたのだ。ああ、阿呆か。
そう、体罰の発想は真の反省を生まず、ただ「悪いことをしても、殴られればチャラ」という開き直りになりかねない。暴力は解決にならないのである。
もちろん、わたしのような社会人失格のダメ中年(いや初老)ではない大人のみなさんは、とっくの昔にみんな気づいていらっしゃるだろうけれど。

「テロは正しい」と言う者は(一貫性だけは)正当

なんか、最近の右派には「赤報隊事件は義挙」と堂々と公言する者が一定数いるらしい。

赤報隊支持者の皆さん。
https://twitter.com/lautream/status/957223790726955008
#NHKスペシャル未解決事件
https://twitter.com/japonistan/status/957585309646036998

これについて大真面目に批判する良識派は少なくないのであるが、当方としてはこういう恥じることないテロ肯定の意見には、皮肉な小気味よさを感じる。
おそらく右派の赤報隊事件に対する見解としては
 (1).朝日新聞なんてテロられて当然だから義挙
 (2).愛国者がテロなんかするわけないサヨクの自作自演だ
 (3).主張内容は正しいが手段(テロ)は間違ってる
の3通りがあると推定される。
普通に考えれば比較的まともに思えるのは(3)だが、この見解の支持者はどの程度いるのだろう? そして、(1)と(2)のいずれが多数なのか気になる。
以前も述べたが、かつて、2003年に朝鮮総連に対して建国義勇軍国賊征伐隊事件というものが起きたときは、なぜか方々で脊髄反射のごとく「朝鮮総連の自作自演」説が唱えられた。
非暴力とか平和主義を唱える左派がテロ反対と言うなら矛盾はない。しかし、大東亜戦争を肯定したり、敵対する国への武力の行使を躊躇するべきではないと主張するタカ派が、自陣営のテロに他人事のような顔をするのは何か欺瞞ではないか?
昨今、保守とか愛国を標榜する人々には「自分ら=社会秩序を守ってる良い子」「左派=権力に文句をつけたりする悪い子・異端」という意識があるようだが、戦前の血盟団事件、515事件、226事件、戦後の1961年に起きた三無事件、山口二矢浅沼稲次郎刺殺、野村秋介による経団連放火事件、三島由紀夫楯の会の事件など、日本の近代史上では右派のテロも数多く起きている。
断っておくが、わたし自身はテロを肯定する気はないし、自分がテロられるのは嫌だ。しかし、思想の一貫性という点に関してのみ言えば、極右タカ派が武力を肯定するのは正しい。一個人的な好みを言えば、テロをするような「悪い子」は僕らの仲間じゃありません(=サヨクの自作自演に違いない)というような優等生的意見の方こそ気持ち悪い。
くり返すが、わたし個人はテロを肯定する気はない。だが、「赤報隊事件は義挙」と語る方は、自分がテロられるのも当然アリとお認めになられたうえでの発言なんですよね。「撃っていいのは、撃たれる覚悟のある奴だけだ」の原則に従うならば。

回顧と展望

例によって、仕事が残ってるんで「今年も終わった」という気はほとんどないのですが、ひとまずまた歳を重ねられたことに感謝。
本年はケネディ大統領暗殺の真相が予定より20年ほど前倒しで判明するかと思ったら、楽しみが先延ばしになりやがったので(どうせ判明したらしたでつまらんオチだろうけど)、しぶとく長生きしたいです。
それでは皆様、よいお年を。

本年、書き落としたことなど

  • 人件費をゼロにする方法 → 従業員をいっさい傭わない、経営者が一人で全部の仕事をする。当然、経営者の給料も出さない。な、完璧だろ! 経団連の皆様。
  • トランプ政権の「オルトファクト」が物議をかもしたが、完全な捏造よりも都合良い部分のみ切り取って情報に認知バイアスをかける「ハーフファクト」のほうが問題。
  • 人は辛くても優越感が味わえれば脳内麻薬物質が出て耐えられる。人を辛いことに動員したい集団は優越感の快楽で人を釣る(「俺ら○○民族は優秀!」「社会主義建設」「欲しがりません勝つまでは」など)
  • 被害者意識もまた優越感の源。「オレはあいつを糾弾できる正当な権利がある」と思えば、そりゃ嬉しいわな。
  • 痴漢と生活保護の不正受給は似ている。ごく一部の違法者のせいで全体が叩かれる。ところがなぜか、一部の痴漢者のため女性専用車がつ作られて男性全体が損することに怒る人が、同時に一部の不正受給者のため生活保護受給者全体が損することにも怒るという話は聞かない。

2017年最後の挨拶とか年間ベストとか

なんか毎年同じこと書いてますが、勤め人と違って年末年始も休めず(零細フリーランスなんで)、本年も仕事と関係ない読書とか映画観賞の余裕は乏しかったのですが、とりあえず本年の年間ベスト。
1.映画『キングコング 髑髏島の巨神』
2.映画『マグニフィセント・セブン
3.ノンフィクション『人民は弱し 官吏は強し』『明治・父・アメリカ』
4.エッセイ『マジメとフマジメの間』
5.TVドラマ『ひよっこ
6.ノンフィクション『明治天皇 「大帝」伝説』『明治天皇という人』
7.漫画『マッハSOS』桜多吾作
8.対談『腰抜け愛国談義』半藤一利×宮崎駿
9.対談『創造元年1968』押井守×笠井潔
10.水道橋重工 VS MegaBots
列外.呉智英 × 中田考

1.映画『キングコング 髑髏島の巨神』

監督:ジョーダン・ヴォート=ロバーツhttp://wwws.warnerbros.co.jp/kingkong/
公開前『地獄の黙示録』のような怪獣映画と聞いていたが、むしろ『シン・レッドライン』も入ってた印象、なるほど1970年代が舞台という設定なら、WW2の生き残りを登場させることができる。ほぼ完全に「1970年代の小学生」の気分で楽しめた快作。
本作のキングコングは都会へ来ないわけだが、おかげでもの悲しくならない。代わりに滅びゆく者の悲哀を背負う役回りが、サミュエル・Jの老軍人だったのだろう。

2.映画『マグニフィセント・セブン

監督:アントワーン・フークアhttp://www.bd-dvd.sonypictures.jp/magnificent7/
本作の元になった『荒野の七人』は、『七人の侍』とは違った意味で結構好きだった。メンバーがみな基本的に個人主義者で、ラストではなんと一度村人を見捨てつつも、自分の意志を貫徹するためやっぱり戦うのがアメリカらしい。
本作は村人との共闘に力を入れている点、むしろ『荒野の七人』より『七人の侍』に近い。ゲリラ戦で機関銃を持つ地上げ屋を撃退する展開は、ある意味で「ベトナム側の視点に立ったベトナム戦争映画」ではないだろうか。
7人のガンマンが白人ばかりでなく、黒人、アジア系、ネイティブ(インディアン)も入りまじっている点は、何やらサイボーグ009みたいだ。これは当世ゆえのポリティカル・コレクトネスというより、実際の当時の西部にもあった光景らしい。

3.ノンフィクション『明治・父・アメリカ』『人民は弱し 官吏は強し』

星新一:著(isbn:4101098174)(isbn:4101098166
星新一自身による、その父で星製薬の経営者だった星一の一代記。前々から内容は知っていながらずっと未読だったが、今さら読破。今年は浅羽通明の「星読ゼミナール」(https://twitter.com/asabam1)に何度か参加した影響で。
渡米時の星一野口英世の同郷(福島出身)から生じた交友、官僚の後藤新平、右翼活動家の杉山茂丸らとの人脈関係などのはほか、興味深い歴史証言も多い。
たとえば、『明治・父・アメリカ』での、19世紀末のアメリカについての印象の記述。
「公徳心のみごとさは、日本から来る者の誰をも感心させる。街の郵便ポストが一杯になると上にポストの郵便物が置かれるが、誰も郵便物を持っていかない。さらに近隣住人が自発的に郵便物が濡れないように覆いをかぶせる。公園の芝には柵もなく立ち入り禁止の立札もないが、子供さえ足を踏み入れない、勝手に花や葉を摘む者もいない。セルフサービスの食堂では、出口で食べた物を自己申告して支払うが、食べた物の内容をごまかす者はいない。」(186p)
渡米中の星一がこれらに感心しているということは、つまり当時(明治30年代)の日本人はこの程度のマナーが身についてなかったということである。
結局、星一の築いた星製薬は数々の画期的なビジネスアイディアを持つ大企業となりつつ、官僚の圧力で衰退した。恐らく、明治期から戦前には、星一と同じく現在は名前の残っていない「消えた立志伝中の英雄」が山ほどいたんだろな。

4.エッセイ『マジメとフマジメの間』

岡本喜八:著(isbn:4480428933
東宝が生んだ怪監督・喜八の単行本未収録雑文集、絶妙な歴史証言が山盛り。
たとえば、『日本のいちばん長い日』(1967年)撮影時には、本物の古いクラシックカーなら保存されているが、当時から見て「20数年前」の終戦前後の自動車の方が残ってないという裏話が(154p)。戦争末期、工兵士官候補生になったことで「タメになった事」は、疲れないシャベルの使い方、速くて正確なロープの結び方、一見担げそうにない重たい物の担ぎ方などなどだったという(310p)。
いかにも戦中派らしいのが、昭和20年1月に工兵学校に出発したときの以下の感慨。
「俺が銃やスコップを握って護るべき祖国とは、一体何だろう? 掴まえどころのない茫漠とした祖国では困る。俺の祖国は、手近で身近なものでなくては困る。ものごころついてからサンザ叩き込まれた忠君愛国とか滅私奉公といった美辞麗句だけでは、とても敵シャーマン戦車に爆弾抱えてぶつかれない。」(303p)。これが『肉弾』(1968年)のモチーフなのは言うまでない。

5.TVドラマ『ひよっこ

製作:NHKhttp://www.nhk.or.jp/hiyokko/
向島の工場が舞台の前半、洋食屋が舞台の後半とも非常に楽しく、澄子と豊子の田舎者コンビなど端役の描写もよく描かれていた。ああいう若い連中が集まってわいわいやってる感じは、男子の集団、女子の集団を問わず良いもんです。
本作品のストーリー内容や役者の演技へのほめ言葉はあふれ返っているので、当方はどうでもよい(ある意味ではぶち壊しな)ことを述べる。
本作の第一の偉業は、「団塊世代学生運動」という、ありきたりの偏見をひっくり返したことだ。劇中で主人公のみね子らはほぼ団塊世代、しかしみんな高卒、中卒で集団就職して学生運動とはまったく無関係だ。1960年代の大学進学率は20%もないんだから、学生運動と無縁の奴の方が世の中じゃ圧倒的多数なんだよ!! ネットで団塊世代と聞けばすぐ全共闘と絡めて叩く奴は何なのか?
本作の第二の偉業は、「戦後の女性の社会進出=左翼フェミニズムのせい」という、これまたありきたりの偏見をひっくり返したこと。劇中のみね子もその友人も、当時の女子はみんな単純即物的に家計のため田舎から都会に就職している。世の中じゃそっちの方が圧倒的に多数派だったんだよ。

6.ノンフィクション『明治天皇 「大帝」伝説』『明治天皇という人』

岩井忠熊:著(isbn:4385357870
松本健一:著(isbn:4620320145
本年、仕事のため読んだ本の中で印象深かった2冊。
明治天皇 「大帝」伝説』では、今日では信じられない話だが、明治のはじめには、旧武士階級はともかく庶民の間にはとんと天皇崇拝が根付いてなかったことがわかる。明治9年の東北巡幸にまつわる記述がこんな感じ。
「この地方巡幸に随行していた新聞記者岸田吟香の記録によれば、各地で貧しい身なりの民衆が目立ったばかりでなく、道すじであぜ道に足を投げだして珍しい見物でもするような者や、泥まみれの姿で昼寝しているところをたたき起こされてそのまま出迎えに加わる者、丸裸の赤子に乳を飲ませる婦人など、概して天皇に対する敬意を欠いた当時の民衆の模様も知られる。」(41p)
明治天皇という人』では、大日本帝国憲法の制定時には、当時の反政府的な民権論者よりも、むしろ復古的な保守派からこの憲法が叩かれまくったことがよくわかる。明治天皇の家庭教師だった儒学者元田永孚などからすれば、古代の律令制の復活こそ理想で、憲法の制定自体が西洋かぶれの所業なのだ。
だいたい、明治天皇といえば西洋風の軍服のイメージが強いが、そもそも明治維新尊皇攘夷という儒教思想から起きた革命で(吉田松陰儒教の一派である陽明学者)、明治天皇の基礎教養は東洋古来の儒学なのである。中国も韓国も儒教国家だからケシカランとか言ってる、ケント・ギルバートのような坊やはニワカでしかない。
わたしが執筆に関わった『明治天皇 その生涯と功績のすべて』(isbn:4800273110)では、その辺をきちんと書いのたけれど、ほとんど売れず話題にならなかった。が、東洋史の大家である小島毅先生も『儒教が支えた明治維新』で、だいたい俺と同じようなことを述べてくださっている模様。

7.漫画『マッハSOS』

桜多吾作:著(isbn:477591474X
1970年代末、秋田書店の『冒険王』に連載されてたオリジナル作品。不良上がりの少年少女を集めた航空隊を描くスカイアクション。主人公がAI搭載の核ミサイルと戦闘する最終回のラストが鮮烈で、長年古本屋で探していたが結局、復刊版を入手。
桜多といえば永井豪門下だが、いかにも当時のダイナミック・プロらしいバイオレンスが炸裂、10代のパイロットたちが自衛隊タカ派の陰謀に巻き込まれてあっさり戦死したり、極左過激派とガチの銃撃戦を行なったりする。よくこんなもんが小学生向けの雑誌に載ってたな。なかでも、人工島ほどもある超巨大空母を少年少女が占拠して独立国を名乗る「独立国ファイヤーバードアイランド」のエピソードは、まさに『沈黙の艦隊』を10年先取りしているうえに、よりスケールが大きい。

8.対談『腰抜け愛国談義』

半藤一利×宮崎駿isbn:4168122018
現在では半藤一利といえば「旧帝国陸海軍の悪口ばかり言ってる人」と思ってる者も多いようだが、その発言の背景には世代体験プラス元海軍将兵への膨大な取材がある。一方、宮崎駿のなかでは技術を偏愛するクラフトマンシップによって、「左翼」と「ミリオタ」が矛盾なくつながっている。そんな両人のクロスオーバー。
海軍軍縮条約のため余った鉄材で隅田川の鉄橋ができた(99p)、帝国海軍が親米英から親独になった真の理由はドイツ軍のハニートラップ工作(174p)、帝国海軍では聴音探知の成績優秀者をよりによって潜水艦ではなく大和などの大型艦に乗せてしまった(238p)などの証言はなかなか興味深い。

9.対談『創造元年1968』

押井守×笠井潔isbn:4861825962
昨年秋の刊行物だが、本年の頭にやっと読了。両人とも、国家も現実も身体もコケにして観念や実存をこそ信じるという、まあ見習ってはいかん全共闘オヤジの典型。とはいえ、たまーに近代の常識を相対化する鋭い発言があるからあなどれない。
「近代以前は、土地争いなどのいろいろな争いは当事者同士で決裁できました。仮に殺人事件が起きても、殺した側と殺された側で話がつけばそれでいい。もしも妥協が成立しなければ、被害者は加害者に報復できる。ところが絶対主義国家が形成されると、犯罪は被害者への犯罪ではなく、王への犯罪ということになります。加害者と被害者が直接に話をつけることは、もはや許されない。もちろん報復も。」(107p)

10.水道橋重工 VS MegaBots

https://robotstart.info/2017/10/18/kuratas-megabots-battle.html
https://www.youtube.com/watch?v=Z-ouLX8Q9UM
実写版『機動警察パトレイバー』にも登場した実在の重機風ロボの「クラタス」が、同じくアメリカのロボットオタクのマシンと殴り合う。ただそんだけのことに、太平洋を挟んでいい歳した大人同士が大真面目に取り組む過程こそが感動的なのだ。良いプロレスを見た。

列外.呉智英 × 中田考

https://togetter.com/li/1158175
11月3日に開催されたイベント。儒学天皇制を語る封建主義者とコーランを奉じるイスラム法学者という謎の組み合わせ。案の定、話が噛み合っていたかといえば微妙。そこを「100年前のトルコ帝国では日露戦争に勝った日本を尊敬する人が多かった、それで『きっと明治天皇イスラム教徒だ』と思い込む人がいた」という話でつなげた浅羽通明先生の仕切りが絶妙。