電氣アジール日録

自称売文プロ(レタリアート)葦原骸吉(佐藤賢二)のブログ。過去の仕事の一部は「B級保存版」に再録。

春が来たので穴倉から出る

なんだか二ヶ月近くも間が空いてしまったが、別に旅に出てたわけでもない。
この間、一応、原稿仕事もしてはいたが、花粉の季節だったので日中は外に出ず、まだ肌寒いので布団が気持ちよいからと毎日昼過ぎまで寝て、原稿料も入ったことだからと、無敵鋼人ダイターン3のDVDBOX(中古)を買ってきて全話観たり(破嵐万丈は、『俺達は天使だ』の沖雅也演じる探偵麻生とともに、我が小学生時代の最大のヒーローだったが、ザンボットはビデオも出ててレンタル屋にもあるのに、ダイターンはビデオ化されてないからDVD買うしかなかったのだ)、レンタル屋で『吶喊』やら『なぜか近頃チャールストン』やらの岡本喜八未見作品(どっちも冒頭婦女暴行で始まっている、こんなんばっか)とか、今さら仮面ライダーアギト全話とか(平成ライダー龍騎からしか観てなかったんで)を借りてきて観る、とかいう、ダラケた日常を送っていただけである。
(どうも毎年、この時期はこんな半引きこもり無気力ライフだなぁ……)
で、先日、次の仕事の資料あたりにまた新宿区の図書館ハシゴに行くと決めて二ヶ月ぶりに日の高いうちから自転車で遠出したが、鼻水一つ出なかった。今年はもうとっくにさっさとスギ花粉は出がらしになってたらしい、うーん、無駄に引きこもりを続けすぎたか。

無駄に贅沢なる楽屋落ちオフザケ

で、中野区から渋谷まで自転車で出かけて『立喰師列伝』を観る。
自慢じゃねえが『攻殻機動隊』も『イノセンス』もレンタルビデオえ一回しか観てないが、『紅い眼鏡』と『ケルベロス Stray Dog』と『トーキングヘッド』なら映画館で数回観てるわたしとしては、これは映画館で観ないわけに行かないだろう、たとえ上映館が渋谷パルコの最上階などという俺みてーな人種には忌まわしきオシャレスポットっぽい場所であっても。
――で、感想。
予想はしてたが、まあ、自作のセルフパロディみたいな場面ばっか、わたしは結構笑えたけど、これ、相当の押井守ファンかつ古株のオタクでないと、わかんねえネタばっかだろ、なぜかどさくさに紛れて一瞬ダイコンフィルム版『帰ってきたウルトラマン』(演じてるのは大学生当時の庵野秀明)まで出てくるし。
言われ尽くされてることだが、今回こんなバカ映画の製作が許されたのも『イノセンス』の国際的ヒット(わたしは、相変わらずブレードランナーのパクリみたいなテクノオリエンタリズムかよ? でもそれがウケるんだよなあ、としか思わなかったが)のご褒美なのだろう。なんかもう、押井は、商業的に成功作を作った金で次は趣味に走った自己満足作品を作るのがパターン化してる。
――ただし、わたしは最初の『紅い眼鏡』(1987年)は、押井守の一番正直な部分が良く出たものとしてかなり好きだった、あれはまだ今のような押井評価が固まってない時期、恐るべき低予算下で、しかし、自分が作りたいから作ったという感じがあったからだ。
その結果、鈴木清順をパクったアホなATGもどきにしかならんかったが、千葉繁の熱演もあって、時代に取り残された者の脱力感と、しかしウェットな感傷に浸らず、それを自分でカラっと突き放して自嘲する感がよく漂ってた。高橋源一郎の『さようなら、ギャングたち』に印象が似ている。
で、『立喰師列伝』、まあ、わたしのような人間には充分面白く楽しめはした、しかし、どうしても『紅い眼鏡』や『トーキングヘッド』のような、押井個人の生の何かが伝わってくる、という印象は乏しかった。
押井的には「長年ずっとやりたかったバカなお遊びを真剣にやってみること」がやっと実現した作品なんだろうけど……既に大家になっちまった人間が、お許しを頂いて作らせて貰った趣味の自己満足作品かなあ? という印象は拭えない。
まあ、まだ80年代当時は、世間一般から「しょせんアニメ」と見られたからこそ、斬新な作品を作ってやろうと頑張ってたが、いつしかアニメは日本の誇る金ヅル産業……いやもとい日本の誇る文化だから押井さんのようなアニメ監督さんも大家です、ってことになっちまって、ある意味余生モードだったとしても、それは仕方ないのかも知れない。
同じく世間からはある意味余生モードと見られつつ、現役意識バリバリで過去の自分の作風を覆そうとあくせくしてるのが富野由悠季で、その熱意は一部空回りとの指摘もあるが、しばし前の『サイゾー』での劇場版Zガンダム小特集で畏友中川大地氏も指摘した通り、富野は「趣味で作品を作るな」と、押井に手厳しい発言をしている。
どうもかつての押井は、自分は変化球投手と割り切った上で、一方自分と対極にある正統派の王として宮崎駿を強く意識してたのかな? という形跡があり、同じく押井の趣味実写映画の『トーキングヘッド』では、宮崎の「ニ馬力」をパクったような「八百馬力」という架空のアニメスタジオ名が出てくる。ところが上記のような事情を反映してか(?)今回の『立喰師列伝』では、画面にあざとくガンプラを写したりガンダムの効果音を入れたり、富野由悠季へのあてこすりのよ〜にも見えなくない描写が見える。
しかしである、かつての時代の文化人に比べれば引きこもり的相互没交渉個人主義が強いオタク産業界で、こんな、かつての「文士劇」みたいな豪華なオールスター楽屋落ち遊び(特に樋口真嗣の演じる「牛丼の牛五郎」なんか最高に笑えた)をやってのけるセンスのある人間も押井しかいないわな、とも思った。そういう意味で今回は「押井守という役割」を改めて高く評価したい。

「喰い歩きの自由」という戦後

さて、『立喰師列伝』は、無銭飲食を生業とする「立喰師」なる人々を、戦後に出現した、かつての時代の山窩(これ自体、実在したのか不明の、伝説の存在である)のような漂泊民として民俗学っぽく扱う、という体裁を取っている。
この「民俗学っぽく」という部分に真面目にツッコミを入れるのは野暮の極みだが、それでもふと思ったことがある。
山窩は山の民であるから、普段は山の中の自然の木の実や川の魚を食ってると考えられていた(山窩は絶対に平地の農産物たる米を食わないとされていた)。
だが、食物を自前で栽培するでなく自然から採取するでもなく「飲食店を転々とする漂泊民」なんてもんが成立するのは、確実に都市部のみ、それも広く成立し得そうなのは、物が溢れた戦後だよな、ということである。
――って、何を今更、と言われそうだが、『立喰師列伝』の作中では、やけに「戦後」という言葉を乱発し「立喰師は戦後の精神の体現者」とかナントカ言ってるが(まあ、どうせただの、わざと大真面目ぶったオフザケなんだけど)、この、戦後とは即ち「モノが溢れる時代」「人がどこにでもゆける時代」、それゆえに都会の漂泊民(という設定)が成立しえた、という点に、果たして意識的なのか無意識なのかイマイチ不明である。
画面のヴィジュアルだけ見てると、押井の作品だから例によって60安保の国会議事堂やら学生運動の騒乱シーンの映像ばっか写して、そんで「戦後」「戦後の精神」という言葉を乱発するから、今どきの若い単純な純粋まっすぐ君右翼は、それだけで条件反射的に「押井はサヨク! けしからん!」としか思わずに拒絶してしまう恐れがあるが、押井の言う「戦後」「戦後の精神」というのは、どー考えても、戦前戦中の軍国主義に対する「自由」だの「平和」だの「民主主義」だのといった、そんな大それたものではない。むしろ焼け跡から発生した「混沌」だの「汚濁」だの「浮浪」だのこそが押井の言いたい「戦後」でないかという気がする。
押井守がなんで、飲食店を転々とする立喰師なんてもんを妄想したのかなあ、というヒントのひとつかもしれないものが、『紅い眼鏡サウンドトラックのライナーノーツに入ってる「犬だった男の話」という、どうやら自伝くさいコラムに出てくる。

学校も勉強も嫌いだった彼は、毎日電車には乗るものの乗り継ぎ降りることがどうしてもできず、あらぬ妄想に浸りながら環状線を何周もするのを日課にした。(中略)慌ただしく乗降を繰り返す周囲の人々を見てると、自分だけに目的がないことがひどく不思議な事に思え、しかし空腹だけは容赦なく襲いかかり彼の泡のような妄想を弾き飛ばした。当時は駅ソバの普及率が低く、彼は否応無く商店で買い求めたパンやら大福やらを道端でむさぼり喰った。まるで野良犬のようだとチラと思ったりした。

また、押井守原作、藤原カムイ作画の漫画『犬狼伝説』の後書きコラム「犬と立喰い」にはこんな一節がある。

…暗い若者たちが丼一杯の温もりとディスコミュニケーションを求めて集う不穏な空間。世の中が三歩歩けば総てを忘れる「猫の時代」へ流れてゆく中にあって、神話と伝説の時を醸成しつづけた都市のアナーキーなエアポケット。遊戯と化した都会の食文化に背を向けて己の丼の中に没入し、飢えを満たすことが心を満たすこととひとつであったあの遠い記憶を

もっとミもフタもない話をすると、確か『トーキングヘッド』の公開時(1992年)にテアトル池袋であった押井守オールナイトの舞台挨拶で聞いた話では、何でも押井監督も若い頃は「おうちの子」で、大学に進学する前後、都心に出て、いつでも何でも飲食店で喰いたい物を喰えるようになった時は、ちょっとした感動だった、と語っていたはずである。
要するに、イメージとしては「立喰」とは、家庭的団欒のウザさになじめぬ、居所のない若者の、若者らしい怠惰な自由と無作法、そんな場所にこそ安堵感を覚える人間同士の、決して相互に馴れ合わないが漠然としたユルい同胞意識の拠り所、みたいなものらしい。
今日であればそのよーなディスコミュニケーション気質の若者は引きこもりになるのかも知れないが、60〜70年代当時は、個室の子供部屋も、一人一台のテレビもパソコンも普及してないし、部屋にいたってしなかたないので、引きこもりならぬほっつき歩きになったのだろう……この感覚、わたしはなんだか他人事のように思えない、中高生当時、毎日、なんとなく家に帰りたくなくて、学校帰り、無駄に遅くまでAV機器屋やレコード屋や本屋をほっつき歩くのが日課だった、今もそんな当時の癖が抜けてない部分がある。
まあしかし、そんなスタイルが成立しえるのも、物の溢れた「パンとサーカス」の「戦後」ってことなのだろう。

それぞれの戦後、それぞれの昭和

押井はこの『立喰師列伝』を「壮大な偽史としてのオレ戦後史」として語ろうとしていたようだが、まあしかし、以上のような、押井の「戦後」のメンタリティは、わたし個人としては、面白くはあるけれど、どうしてもいまひとつ幅が狭いように感じたのも事実だった。
要するにとにかく「戦後ッ」といえば、すぐ、皇居前メーデー、60年安保国会議事堂前、オリンピック、万博、全共闘赤軍派三島由紀夫…といったものを象徴的なデテールとして持ち出して語るセンスである。
一見いかにもそれらこそが「戦後ッ」のデテールのように見えるが、これは「庶民の欲望」と直接関係のない天下国家の大文字のお話であって、政治や思想や文学に興味を持つような「青年期のメンタリティ」のみに引っかかるものに絞られているからであろう。
余計なお世話であるが、それゆえ、どうしても、押井の語り方では、今どきの若い単純な純粋まっすぐ君右翼は、それだけで条件反射的に「押井はサヨク! けしからん!」としか思わずに拒絶してしまうのではないか、という、野暮で無粋で余計な心配をしてしまうのである。
たまたま先日、小松左京の『威風堂々うかれ昭和史』(読売新聞社)を読んだのであるが、これは、そうした「青年期のメンタリティ」のみに落ちた歴史語りを実にうまく回避していたと思えた。
まあ、要は小松の幼児期からの自伝的ヨタ話なんだが、とかく戦前戦中といえば軍国主義一色、戦後といえば民主主義という単純な視点を相対化する、それこそ「民俗学的」なデテールに満ちている。
大正期から昭和初期の映画と、ラジオの普及による歌謡曲文化の広がりなど、芸能・音楽関連の話がやたら多いのだが、少なくとも昭和15年(1940年)頃まで、小学生までがマキノ雅弘のチャンバラ映画やあきれたぼういずのジャズを楽しむような昭和初期のモダン大衆文化の空気は平然と残っていた事実、昭和初期の少年たちは皆、別にちっとも軍隊や戦争が好きな子でなくても、20世紀の発明物で第一次世界大戦で急発達した飛行機に熱中し、当時飛行機の航続距離記録を次々塗り替える日本の航空技術を誇った事実、昭和12年(1937年)に南京が陥落した時は、庶民は皆これで戦争が終わると思ったという事実、戦時中は軍国主義に反発し戦後は共産党に入ったことさえある小松でさえも、戦前唱歌の凛々しいメンタリティは今も大好きで、そのことにまったく矛盾を感じないという事実、戦後のアプレ大学生の間には昭和初期ばりのエロ・グロ・ナンセンスが再流行した事実(第一次大戦敗戦後のドイツと同じである)、戦後も旧帝大の学生証を持つ者はそれだけで地域社会から信用され、女郎屋でもどこでもツケがきいた事実……などなど、単純な思想の左右上下に回収されようないデテールが詰まっている。
だがしかし、裏を返せば、小松の語るデテールは、大阪の町工場経営者の子という、いわば戦前の健全な庶民であり同時に都会の商工業従事者という階級が前提の文化なのかも知れない。
農村部出身者には、都会的な文化に触れる間なく徴兵され、あっさり純朴に従順に軍国主義に染まった人間もいたかもしれないし、また、そうした血の通った「大衆文化」が大量生産大量消費の中で滅び、ジャンクフードとディスコミュニケーションに生きるようになったのが押井の民俗学的戦後のデテールなのかもしれない。
結局「それぞれの昭和」「それぞれの戦後」はいくらでもある。

戦後という、成り上がりと物欲の自由

立喰師列伝』を観た日、帰りにBOOKOFF雁屋哲由起賢二野望の王国』全巻を立ち読みするという無謀に挑戦してどっと疲れた。これもまた雁屋哲による「壮大な偽史としてのオレ戦後史」なんだろうが、権力を目指す大人の世界を舞台に少年ジャンプ的バトル漫画をやると、こういうふうに話がインフレ化する、というモデルだな、こりゃ。
これは要するに、日本の既得権階層ということになってる東大法学部出身者・自民党・官僚機構、それらと癒着する右翼やら暴力組織やら宗教団体やらに、学生あがりの成り上がりが挑む話なんだが、すべて悪人しか出てこないので、少年ジャンプ的バトル漫画としては面白くても、いい加減ゲンナリする。
なんつうか、全登場人物、権力を得るため殺し合いだの裏切りだのばっかりやって、止めに入る奴がいない、身を引くということがない、つーか「分相応」という考えや、権力握って何がしたいのかという美意識が毛頭ない。これを、戦前なら、皇室だの公家だのの伝統権力や公の軍隊がドンと控えているから、そうそう成り上がり者が暴れ狂うわけには行かず、歯止めがかかったろうが、そういう重しなくなって欲望追求だけの自由が認められるとこう荒む、ということかなあ、と言ってみるのは、野暮な発想であろうか。
たまたま最近、鈴木清順の『東京流れ者』(1966年)やら岡本喜八の『暗黒街の顔役』(1959年)みたいな、東映実録路線(『仁義なき』シリーズ他)以前、ということは、つまり全共闘の暴走と崩壊以前に作られた、アメリカギャング映画風のフィクションの入ったヤクザ映画を見返してたわけだが、その差は歴然である。この辺の作品では、まだなんか、主人公が戦前的仁義やストイシズムの側に立って「分」を守ろうとし、それゆえ、戦後的近代的な欲望追求拡大路線の組織方針と対立して淋しく孤立する、というお話だった。
野望の王国』が描かれたのはロッキード事件田中角栄逮捕の翌年の1977年から、中曽根内閣発足の1982年だという。
野望の王国』の主人公、橘と片岡のコンビは、急速に権力の座をつかもうとした末、片岡は死亡、橘は生き残って権力を手にしながらも、ほとんど唯一親愛の情があった兄と妹も死なせて茫漠たる思いに至る……単に人が死なないってだけで、堀江貴文ヒューザーの小嶋にアイフル、バブルとその後の成り上がり紳士らも同じようなものかもしれない。
これもまた戦後である。