電氣アジール日録

自称売文プロ(レタリアート)葦原骸吉(佐藤賢二)のブログ。過去の仕事の一部は「B級保存版」に再録。

で、去年も一昨年も書いたが、

この日は三島由紀夫の割腹自決命日。その日にこんなニュースとは、何かの皮肉か、歴史の風化か? ま、たぶん後者だろ……

政治ニュース - 11月25日(土)3時13分
防衛省法案、今国会で成立へ…1月にも省に昇格
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20061125-00000001-yom-pol

古くて新しいオーケン

先日、犬山秋彦氏のご指名により、惑星開発委員会で、大槻ケンヂ『新興宗教オモイデ教』の座談会というものに顔出しました。
わたしは以前一時、犬山さんという方は、ゴスロリ少女やマンバの話ばかりするので、なんだこの人も自分自身はちんこの生えた生き物なのを棚に上げて少女をダシに社会評論する男か? と、勝手に勘違いをしかけてましたが、今回は当事者的な「ダメな男の子の問題」を突き詰めて話できて良かったと思ってます。
犬山氏からわたしに座談参加のご指名があったのは、本来「骸吉さんバンドブーム世代ですよね」という理由だったのですが、それはそっちのけで、えんえん、同じオーケンでも大江健三郎だの、三島由紀夫だのドストエフスキーだの村上龍だの高橋和巳だのという、つまり「カルト集団と、サエない男の妄想暴走文学の系譜」みたいな話ばっかしてます。
そんなわけで、お招きいただいた側の当初の趣旨を激しく外れただろうと恐縮はしてますが、今回は、呉智英夫子が『ダ・ヴィンチ』で連載してる「マンガ狂につける薬」のように、古典的テーマと現代最新の問題をつなげるのが自分の世代的役回り思って参加してるので、お若い読者がその辺くみ取って頂けると幸い。
あ、若い読者はどうせそんなもん読まねえか☆

袋とじグラビアの隣にガンダムという時代

月刊『WAO!』創刊号で「30代のためのガンダム名セリフ集」というものを担当しました。
率直に言ってグラビアが売りの正しくB級大衆娯楽誌なわけで、セリフのセレクトとか「大衆的知名度/マニア向け度」の調節に頭使いましたが、マイナーな媒体ならではこそという感じに自由にやらせてもらったと思ってます。
でも、従来こういう媒体で上がるべき企画は、東映ヤクザ映画名セリフ集とか勝新太郎名言集とか猪木名言集とか矢沢栄吉名言集であるべきはずなのに、それがガンダム名セリフ集になってしまうあたりが時代の変化なのか。
今後、往年の『GORO』とかのような、グラビアの傍らで割と自由にサブカル的なこともできる雑誌にでももってければまあ幸い。

30代無職入墨有り妻子なし

90年代後半、ハッキリ言えばエヴァンゲリオン以降、内省的自己言及的衒学的なアニメや漫画やライトノベルはめっきり増えた。が、その多くは(俺も詳しく知らんが)『lain』でも『ほしのこえ』でも何でもいいんだが、作者はいい年した男であるというのに、とかく少女の話にするというのがお決まりであった。
以前も書いたがブレードランナー』の原作者で、日本ではオシャレなサイバーSF作家と思われているフィリップ・K・ディックの作品は、ことごとく「ダメな中年男」の自分探し小説である。わたしはこれは(ちっとも美しくないが)非常に正直で正しい姿勢だと思っている。
しかし、今の日本ではついぞそういうものは、つまり、中年男を主人公にして商業的に成立するファンタジーだのSFだのは成立せんのだろうか? と思っていたら、6ch土曜夕方6時の「旧ガンダムSEED枠」で放送の始まった『天保異聞・妖奇士』の主人公は39歳無職男という。やるぜ竹田青嗣もとい竹田逭滋プロデューサー、よくこんな企画を通したな。
もっとも、これは時代劇という建前上の枠組ゆえに可能な設定だろう、「39歳フリーター」では格好つかないが、「39歳浪人入墨者」ならかろうじて現実に対しワンクッションあるからな。
――だが、実際観はじめてみると、しょっぱなから、主人公が年下の若侍からいじられるだの、じつは主人公は自覚のないまま旧友をぬっ殺して自覚のないままその幽霊とつるんでいただのキツい展開連発、俺は皮肉な面白さを味わっているが、視聴者はつくんでしょうかね、これ?
あと、まったく余談だが、アステカ先住民の神ケツァルコアトルが「馬」に宿るというのは少ぉーしだけ頂けない。もともとアメリカ大陸には馬は居なかった。馬は白人が持ち込んだ動物で、インディアンが滅ぼされた理由の一つもそこにある。言うならばアメリカ先住民にとって馬とは敵侵略者の象徴のはずなのだから。近代以前、交通機動力である馬とはすなわち同時に強力な兵器だったのである。
もっとも、西部劇マニアの某氏に聞いた話よると、すぐに白人から乗馬の技術を身につけたインディアンもいたそうだが。

トトロのいない日本、ヒルビリーの出るアメリカ

以前、ウェイン町山氏が書いていた話を、あえて思い切り曲解して尾ひれをつけて要約すると

アメリカの山奥にはヒルビリーという妖怪がいて、これに襲われるとそいつもヒルビリーになって人を襲う

ということになりそうである。襲われれるとそいつも同様の妖怪になって人を襲う、となると、なんだかまるで吸血鬼かゾンビかワイアール星人のようである(←注、わざと曲解を書いてます。怒るなよ)
まあしかし、日本で伝わっている鬼だの天狗だの河童だのといった人型妖怪の多くも、もとを正せば、山奥に住む未知の山人だの辺境の民を勝手に差別的視点で妖怪と見なしていたというのが小松和彦的には王道の解釈である。
だが、狭い日本では、明治以降の統一近代国家建設がもたらした土地開発によって妖怪の潜んでいそうな深い山や森も切り開かれ、未知の地域などほとんどなくなった。
しかし、アメリカは広い、西海岸と東海岸の沿岸都市部以外の地域には未だに広大な原生林などもある。ゆえに『ブレア・ウィッチ・プロジェクト』のようなホラーだって成立する。
そう考えれば冗談抜きに「妖怪ヒルビリー」というのは、民俗学的には現在進行形の山人譚といえないだろうか(←注、知ったかぶりですから本気にし過ぎないで下さい)
だがふと思ったが、今では中国の方こそ民俗学的に現在進行形の山人譚がありそうな気がする。何しろ市場開放経済は良いが都市部と内陸農村部の経済格差は深刻どころでなく、上海には日本のヒルズ族並みの金持ちがいる一方、田舎では小学校にも行けぬ子どもがいるという。
それこそ、上海のベンチャー経営者が田舎に旅行に行ったら、食人鬼と見まがうような山賊化した山人に襲われた、とかいう話があってもおかしくなさそうだ。
――なんだか不謹慎な話を書いているが、まあ、日本人はこういう話を冗談と思って笑えるが、それはたまたま国土も狭く、統一的な国土開発が短期間で済んだ幸運に無自覚なだけかも知れぬ。
とにかく、今の日本には鬼も天狗も河童もトトロもいない。それは、どこの田舎の国道沿いにもあるロードサイドのコンビニやファミレスと入れ替わりに姿を消したと思っておくべきなのだろう。