電氣アジール日録

自称売文プロ(レタリアート)葦原骸吉(佐藤賢二)のブログ。過去の仕事の一部は「B級保存版」に再録。

抗う男

新宿の駅前には、例によって路上キャッチセールス男がいっぱい。
どいつもこいつもモテそうなイケメンで、通りすがりの女に馴れ馴れしく声を掛けてるが、高額な化粧品を買わせたり、高額なエステクラブに加入させて搾ろうってのが魂胆だ。
腹が立ったんで階段から突き落としてやったら、頭を打って転げやがった、ザマーミロ。と、思ったら、そのお仲間に腕をつかまれて、ヤクザ風の連中を呼び出しやがった、ヤバいと思ったが、これは夢だから眼を開ければ逃げられるな、と思って寝返りを打って枕から顔を上げたら、もう時刻は昼過ぎだった。
目覚し時計を見ながら、随分と卑劣な逃げ方だと思ったが、夢の中で腕をつかんだ悪徳商法キャッチ男の悔しそうな顔を想像したら、思わず皮肉な笑みが浮かんだ。

労働者あがりM

PHP文庫『文蔵』3月号の松本清張特集(isbn:4569665160)をちょこっと手伝いました。
本当は、松本清張に関してはもっとやりたいネタ(清張自身の年譜と人脈交遊録、特に、宮本顕治と逝けダサイ臭い…じゃなかった池田大作を対談させたという驚異のエピソードとか)は多数あったんですが、紙数とスケジュールの都合で今回は見送り。
昨今、ネット世論の一部では、戦後日本の文化人の過去の仕事をほじくり返して「ブサヨク」レッテル貼りが流行のようだが(まあしかし実際、大江健三郎なんか、今振り返ると、重信房子をモデルにした戯曲とか、本当に妙なものも書いてるけど)、清張は、昨今の再ブームの中、不思議と「ブサヨ」呼ばわりされない作家である。
率直に言って、清張ノンフィクションの代表作『日本の黒い霧』は、現在の視点で見れば変な部分もある。当時、消息不明になっていた共産党伊藤律に関する記述など、推測で書かれた部分もあるので、後年に発覚した事実とはぜんぜん違うし、朝鮮戦争に関する記述など、少々北朝鮮軍を買いかぶりすぎでないか、という表現も少なくない(ただしこれも、執筆時は圧倒的に情報が不足していたためでもある)。
だが、わたしはこうした細部のデティールミスを突いて清張を貶める気は毛頭ない。
清張作品には、細部の瑣末なデティールミスを補って余りあるだけの、恐らくは作者自身の人生経験に裏打ちされた全体の粘着的な精密さとリアリティと面白さがあるからだ。
清張は印刷屋の労働者あがりで大学も出ていないが、戦前からの共産党員で、生涯を通じて反権力社会派作家と呼ばれた。清張は「サヨク」ではなく「左翼」なのである。
昭和初期当時、親の金でヌケヌケと帝國大學に通いながら当世流行だからとマルクス主義にカブれ(ま、90年代に宮台真司が愛読されたのと似たようなものだ)特高の手が回れば実家に泣きついて転向……とかいった手合いとはぜんぜん違うのである。
(労働者階級出身の文化人、という類型で、わたしが清張と通じるものを感じるのが、ジョージ・オールェルと青木雄二だったりする)
そのおかげでか、清張は大衆の心理というものがよくわかっている。生き延びるためには権力に尻尾を振ったり、自分の都合悪い過去は隠蔽しようとするような人間の心理も精緻に描かれているおかげで、清張作品の多くは、単純な「権力=悪」の勧善懲悪図式にも堕してもいない。
こういう作家が失われて久しいのは、日本にとって残念としかいいようない。

グッとこない左翼

某所でも書いたが、今の日本の左翼がダメなのは、左翼陣営にキャラの立った「男」がいないという問題である。例えばかつてなら、松本清張のほか、浅沼稲次郎竹中労みたいなパワフルな左翼男オッサンというのがいたのだが、今の日本左翼は完全にヒロイズムをみずから否定しているよーにしか見えない。
今の社民党は、男はいらんと言わんばかりの土井おたかと清美タンと瑞穂タンの三枚看板だし、左側の挙げる論議がセクハラ規制DV規制ストーカー規制にジェンダーフリーと男ばかりが悪者扱いのものばかりでは、いったい男の左翼はどーしろというのだ?
今月『正論』には座談会記事に千葉真一が登場して武士道を語り、『諸君!』の座談会記事には松本零士が登場して宇宙開発を語っている。これを安易な保守オヤヂ雑誌の人気取りパフォーマンスと貶めるのはたやすい、その一方『論座』では「グッとくる左翼」と称して、雨宮処凛が登場である。悪いけど俺は雨宮処凛ではグッとこねーよ。
『諸君!』の座談会記事で松本零士人工衛星スプートニクの思い出を熱く語っている。以前も書いたがスプートニクが打ち上げられた当時、素朴に「ソ連は未来の国」と思った少年は多数いた。
思えば、かつて「未来」を提示すんのは、むしろ左翼の側の専売特許ではなかったか? 小松左京は元共産党員だったし、中村真一郎による怪獣映画『モスラ』の原作は反核小説だ。手塚治虫もある時期共産党と相性が良かったのは、根底に「科学主義」があったからではないかと思われる。日本の初期SFと左翼がけっこう親和的だった理由には、ある時期まで自民党に代表される日本保守は農村中心だったのに対し、左翼側は進歩史観を掲げ、また、戦後日本の文学者にも、戦中の皇国史観の反動で科学主義に傾倒した者が多かったということが考えられる(そういや実際、大江健三郎筒井康隆は仲が良かった)。
とにかく日本左翼は今、「面白いもの」「カッコよいもの」「夢」を保守陣営に取られてる事実を率直に考え直して頂きたいものである。
(※参考再掲「モテへん野党男」↓)
http://d.hatena.ne.jp/gaikichi/20031007

自殺するのが流行なら、長生きするのもまた流行♪

フランスでは反マクドナルドの暴動なんてものがあるそうで、先ごろでは、アメリカ資本主義の城ディズニーまでマクドナルドを追放、また、英国の皇太子が外遊先でマクドナルド批判を口にした。
が、日本では、反マック暴動なんぞが起きても到底タダのキチガイ扱いであろうし、どんな伝統文化保守主義者でさえマクドナルド追放など口にしそうにない。
しかし、反マックとか反グローバリズム運動というのは、考えてもみれば、なんのことぁない、エゴイズムの産物である。「地元の商店街が潰れろうが大手資本の安い物の方が食いたい」がエゴイズムなら「地元の商店を守れアメリカ資本出てけ」もエゴイズムだ。
今の日本では、前提としての高度資本主義、消費社会は完成して久しく、つまり幾ら景気低迷といっても、基本として、よもや敗戦直後や、ルワンダのように飢えることはない。
そんな中「豊かな資本主義消費文化」にわざわざ反対する運動が出てくるとすれば、それはもはや、私的個人的好みのエゴイズムを動機とするものしかない。
先月、秋葉原でバレンタインデー粉砕デモなんてのがあって、そこそこ人も集まって盛り上がったらしい。といっても「日本のバレンタインデーなど製菓業者の作った空疎な消費資本主義イベントではないか、そんなくだらんことにチョコレート買う金があればルワンダの難民に食い物を与えろ!」というようなことを主張しているのではなく、チョコレートを貰えぬようなモテない男が集まって不満爆発のデモを行なったのだという。
要するに、衣食足りても女にモテへんという個人のエゴが動機でデモをする人間が一定集まるというわけだ。……一見アホらしいようだが、実際、今や飽食日本において社会変革要求にまで不満層を糾合する突破口のひとつは、そんなところしかないのだろう。

人を個別に見るより属性で見ることが好きな人たち

しかし、わたし個人としては、いわゆる「非モテ論壇」と言われるものには今のところ一切共感はモテないでいる。
というのは、まず、多くの「非モテ」論者は、女性一般というものをひとくくりにしがちな点が、ズサンとしか思えないからである。
なるほど今の世には、権利ばかり主張する女、ルックスや年収の立派な男でなきゃ人間扱いもしてくれない女も多いようだ。でもよ、別に、世の女の一人残らず全部が全部そーじゃないだろ? 個別具体に自分と付き合える女を探したり、自分なりの魅力を磨く努力をせずに「女一般」を悪者にしようとする態度には、どーにも、イソップ童話の「酸っぱい葡萄」めいた負け惜しみを感じざるを得ない。
嫌韓厨と非モテ厨の共通点は、敵を個別具体の人間として見ようとせず、「韓国人・在日」一般、「女」一般とか、属性でひとくくりに見ようとすることである。
これはまさに、韓国の単純反日論者や、単純フェミニストが、相手を「日本人」一般、「男」一般とひとくくりにして悪者扱いしているのとまったく同じレベルに、自ら堕しているのではないか?
非モテ」論者は、反フェミニストも多いらしい。で、たとえば林道義のように、昨今の少子晩婚化はフェミ左翼の陰謀だ、と言いたがる人もいるようだが、オイオイ、試しに、渋谷や六本木の路上で「結婚相手は最低でも年収1000万円以上希望」とかホザいてるような女子1000人に「上野千鶴子福島瑞穂の本を読んだことありますか?」とアンケート取ってみろよ、絶対にYesと答える奴は10人といねえぞ! 断言できる。
今の若い女に、自己本位で快楽中心主義で、ゆえになかなか結婚して子供も作ろうとせず、結婚相手のゼータクをほざく者が多いとされる(当然、全員がそうとも限らない)のは、それこそ、オシャレと遊びこそ人生の幸せと謳ってきたニッポン消費資本主義の産物である。まかり間違っても、京都精華大学の干からびた教壇から一歩も出たこともなく、身内にしか通じない話しかできないよーなフェミ左翼女学者センセイがたの業績ではない。
また、多くの「非モテ」論者が仮想敵とするモテ男像もズサンに見える。
このブログへのアクセス履歴を見返したら、「文系鬼畜」について言及した05年07月25日の日記が一部で妙な注目をされてるらしい。
非モテ」を自称している男子は、とかく、仮想敵となるモテ男子を指す言葉として「体育会系」とか「野獣系」とかいう言葉を使いたがるが、そのほかにも「腕力体力はないが口がうまくてずるがしこいヤサ男」というタイプ類型を考えたことのある人は不思議といないらしい。俺はそっちの方がむしろムカつくんだけどな(笑)。
エゴイズムが動機のデモが悪いとは言わない。しかし、モテへん男が集まって世のオシャレ男女交際万歳消費資本主義を糾弾する、というなら、なぜ秋葉原なんかでデモをやる? 身内しかいないではないか。渋谷、原宿、青山、六本木へ進軍せよ! そして着飾ったナンパ男女たちにこそにシュプレヒコールを浴びせよ、と言いたい。大日本愛国党赤尾敏総裁なら、毎日、日本の政財界のエリートの集まる銀座で街頭演説してたぞ。
秋葉原でやってたのは以前のクリスマスデモで、反バレンタイン、反ホワイトデーデモは渋谷、池袋でやってたという)
――いずれにせよ、負け組が同情やお情けを欲しての悲憤慷慨のデモというのは燃えない。ひとつ、女にモテる人間であることをカサに着て女を食い物にしてる連中をとっちめる運動とかなら俄然断固支持する!! んだけどねえ……