電氣アジール日録

自称売文プロ(レタリアート)葦原骸吉(佐藤賢二)のブログ。過去の仕事の一部は「B級保存版」に再録。

与太話(オタ話)

八つぁん「よお、最近『中二病でも恋がしたい!』ってぇアニメやってるよなあ」
熊さん「おうよ」
八「少し前の『俺の妹がこんなに可愛いわけがない』といい、『僕は友達が少ない』といい、"ヒロインがオタクとか中二病"ってのは、いったい何なんだい?」
熊「おいおい、オタ向けの漫画やアニメじゃ、ヒロインが宇宙人とか女神様とか吸血鬼とかロボットに乗って戦う少女兵士とか、そういう"非日常的なキャラ"なのはめずらしくねえ。オタクや中二病もそういう属性のひとつになった、って話じゃねえのか」
ご隠居「それだが、2010年に浅羽通明が個人誌『流行神』に書いてた所によるとだな、要約すっと、アニメとかに出てくる、いわゆる"戦闘美少女"って類型、つまり、なぜか10代の女の子がロボットに乗ったり魔法や超能力を使って戦ったり、サイボーグやアンドロイドみたいな人外の者でなんか暗ぁーい宿命を背負ってたり、銃や戦車や戦闘機やらに詳しかったり、ってぇのは、詰まるところ『自分の趣味が通じる女の子』を求める願望の反映じゃないかと。これ、真理じゃねえか? と思ったけど、意外に知られとらんな」
熊「へえ」
ご隠居「だから逆に"戦闘美少女"類型でも体育会系のタイプや、お料理やお裁縫が得意な健康的なヒロインはオタクにはウケない。『涼宮ハルヒの憂鬱』で言うと、普通に女の子らしい趣味の健康的な朝比奈みくるより、読書好きで暗ぁーい宿命を背負った人工生命体みたいな影のある長門有希の方が人気なのは、そーいうことじゃねえのか、と……」
八「そういや、ある意味、近年の『俺妹』『はがない』『電波女と青春男』『中二病でも恋がしたい!』のパターン、変な趣味の女子に振り回される男子高校生、って図式の先駆といえそうなのが『涼宮ハルヒの憂鬱』のハルヒキョンあたりか」
ご隠居「すでに指摘があるだろうが、作者の世代性もあるだろうけど、ハルヒはむしろ1980年代の『ムー』の投稿欄を騒がせた"前世の仲間探しをする少女"のイメージかね」
熊「で、ヒロイン像が"宇宙人や超能力者が身近にいないかと夢想する奴 → アニメやゲーム(エロ含む)好きのオタク → 中二病"と来たから、こうなったら次はもう"ヒロインはネトウヨ少女"かねえ……」
八「それはさすがにねえだろ!」
熊「でも、たとえば『トータル・イクリプス』なんて、まず架空の"日本帝国"が舞台でヒロイン像はお国のため働くのを当然という教育受けて育ってきた凛々しい武家の女子、ってな、すごく"愛国的なオタク"には受けそうな設定だぜ。……直接に民族的な排外主義を唱えるヒロインでなくても、まずはヒロインが軍事オタとか神道(日本神話)オタで、たまーに国を憂うようなことを言うとか、そのあたりから攻めてけば違和感ねえかなあ」
八「ははあ、そんで、表面上は視点人物となる没個性的な一般人の男主人公が、はじめはそーいう愛国的なヒロインを奇異の目で見ながら、しだいに感化されて自分も愛国的な思想の持ち主になってく話……こいつぁ絶対売れるな! うひゃあ禁断の最後の金鉱だ!!」
ご隠居「それなんてマンガ嫌韓厨の新シリーズ?」

"ヒロインがオタク"は現代の『饅頭こわい』か

八「いや、話の駆動させ方として、男の子が、自分の知らない外の世界・非日常の象徴としての女子キャラに惹かれ、それまで自分が属してた狭い世間から一歩踏み出してく、ってな図式自体はいいんだよ。ただ、その非日常性の付け方がね、あまりにベタにオタ男の趣味と同じジャンルそのまますぎると、ただの都合いい自分の趣味の擁護みたいで萎える」
熊「そういや最近は『ガールズ&パンツァー』てぇアニメもやってるな。なぜか"部活"で戦車に乗る少女の話」
八「もうね、戦車と少女、銃器と少女、戦闘機と少女、ロボットと少女、株式投機と少女とか……いい加減、男の趣味と少女をくっつけるのも飽和状態かと。今や『ふつうのJ-POPやスイーツやジャニーズ系イケメンタレントやドラマの話に詳しい女子』が出てくるアニメこそ、真に斬新で画期的じゃねえの?
でなけりゃいっそ、昭和30年代の筑豊を舞台に中卒で炭坑で働く少女を主人公にして『たんこう!』とか、少女と暴走族をくっつけて『ちんそう♪』とか、腐女子が主人公で『がち☆ほも』とか、やってみやがれい!」
熊「そんなのやってオタク男子相手の商売で人気出るの?」
八「…………さあ」
ご隠居「ほっほっほっ、それで人気作品にさせてみせたら、本当に天才的なクリエイターじゃろうな」
熊「だからよ、話を戻すと、つまり『俺妹』『はがない』とかってぇのは、結局"俺も自分と同じオタクの女友達が欲しい"てぇ願望なんだろ」
八「そこでわからんのがさ、『俺妹』『はがない』も男主人公はオタクではない一般人、『中二病でも恋がしたい!』じゃ、男主人公は中二病を卒業した奴って設定で、それがオタクや中二病のヒロインに振り回される、って図式。読者・視聴者自身こそがオタク男子のはずなのに、逆カマトトというか、しらじらしい。こいつは何かい、落語の『まんじゅうこわい』かい? 口では『饅頭こわいよ〜』とか言いながら、本当はたくさん饅頭が飛んできて喜んでる、っていう。もう正直に『俺の妹が俺と同じオタクで仲良くしてくれたらいいな』ってタイトルにしろよ!!
熊「いやいや、主人公がオタク男でヒロインもオタク女で仲良く幸せになりました、じゃ男女の間に"落差"がないから、劇的なドラマが作れないんだろw それか、あえてヒロインの方に自己像を投影するメタ的な自虐芸とかナントカってやつだ」
八「にしても、ヒロインの方を"世間的には恥ずかしいみっともない立場"にしてるのが、ズルいというか欺瞞的な気がする。そんなに男主人公の方が立場が上にしたいのか」
ご隠居「意地の悪い見方をすると、こいつぁ精神科のお医者さんプレイかね。ほれ、メンヘラの患者が、(仕事だから)悩みを聞いてくれる先生に依存して恋愛感情を抱いてしまうって図式、オタクとかの痛いヒロインを真人間の主人公がなだめて善導する構図」
八「ああ『電波女と青春男』なんてまさにその図式! 『ハルヒ』もそれに近いか。でも、これは男主人公自身が、電波なヒロインに引きずられる形で、あえてバカなことを一生懸命やって自己の殻を破るみたいな、青春物の王道っていえば王道ともいえるか」

ただの男主人公には興味ありません

熊「それ言ったら『俺妹』も『はがない』も、べつに、一般人の男主人公がアニメやゲーム(エロ含む)の好きなヒロインを上から目線で見下すって話じゃなくて、男主人公の方が、そういう変なヒロインのために身を張ったり、ヒロインとの関係を通して"少々世間的には異端だろうがいいじゃないか"って前向きな価値観を身につけるというか、日陰者らしく萎縮してる世のオタク男子を励ます意図じゃないのかい」
八「だったら、最初から主人公男もリアルなオタクや中二病でいいじゃねえか。男主人公がマッドサイエンティスト気取りの中二病の『シュタインズ・ゲート』とか、男主人公が百合オタの『百合男子』なら、ちっとも嫌な感じがねえんだよ。まさに中二病やオタクの男主人公が、世間から見ればバカなことを一生懸命にやる青春物、これなら欺瞞は感じねえんだ」
熊「とはいえ、あんまり男主人公がキャラの濃いオタクじゃ客もついて行きにくいだろ」
八「つまり"男主人公は非オタ一般人ポジションだけどヒロインがオタや中二病"てえのは、今の薄く広く普遍化したぬるオタ客向けってことかい」
ご隠居「あるいは、オタク男は対世間的に、つい『オレって恥ずかしい』ってな自意識が働きがちだから、自己像そのまますぎる男キャラはかえって受け入れにくいのかのう」
熊「それに、ラブコメとかギャルゲーとかの主人公ってのは、いろんな読者や視聴者が自己投影するため、あえて強烈な個性のない平凡なキャラなのが基本じゃねえか」
八「その結果、どこが良いのかわからん没個性的な男キャラの周囲に特殊なヒロインが集まる、ってな100年一日のパターンになるから、違和感が拭えないんだよ」
熊「ならいっそ、そういう読者視聴者が自己投影するための凡庸な男主人公なんか出てこない話ならいいのか。つまり『けいおん!』とか『ゆるゆり』みたい女の子だけの話。実際『らき☆すた』なんか、ほとんど女の子同士でゲームやアニメの話してるだけじゃん」
八「それなんだが、"ほぼ女の子キャラばかりの話"ってのは、芳文社の『まんがタイムきらら』の連載作品とか、大抵マンガが原作で、凡庸な奴でも視点人物ポジションの男主人公が出てくる作品は、ラノベアドベンチャーゲームのパターンじゃねえのか」
熊「つまり、マンガなら絵ヅラで女の子だけが並んでれば間が持つが、あえて文字でお話を読む奴には、視点人物ポジションの男主人公が必要なのかい……まあ当然、女子が主人公(視点人物)のラノベやゲームもあるけどな」
八「それを言やあ、当世のゲームやラノベでも、ラブコメ的作品じゃなくて、シリアスなアクション物とかなら、たとえば『fate』『fate/ZERO』みたいに、男主人公に動機や志向性のハッキリある奴が出てくる作品だってたくさんある」
熊「『化物語』あたりは、シリアスな伝奇物と定番ラブコメ図式の中間か。幽霊やら猫憑きのヒロインに囲まれてる男主人公自身が、後天的に半分人外の者になってるからな」

ブコメは1980年代からの古典芸能か

ご隠居「年寄りの昔話をするとじゃな、1960〜70年代の漫画やアニメの主人公は、そもそも普通の人間ではない、凄いハングリーな努力家(『あしたのジョー』『カムイ伝』等)や、人間と非人間の中間の異形の者(『仮面ライダー』『デビルマン』等)が多かった。
それが、1980年代のラブコメブームあたりから、たいてい主人公は等身大の普通の奴になる。"普通の男主人公の周囲に非日常的ヒロインが集まるパターン"の元祖みたいな『うる星やつら』(連載開始自体は1970年代末)とかな。不良漫画においてさえ、1980年代最大のヒット作『BE-BOP-HIGHSCHOOL』は、もはやハングリーさはなく、ケンカバトルで全国制覇するわけでもない、たまにケンカもしながらダラダラ日常を送る"普通の不良"だった。
……これは1980年代に、第三次産業中心の一億中流、総サラリーマン化が進んで、中高生の実感としても、中卒の就職や工業高校・農業高校への進学は目立たない少数派になり、つまり世の中が中流に均一化していったことを反映しとる気がするのう。
逆に言うと"総中流同調圧力"のあった1980年代当時は、優等生や身分の高い金持ちも主人公になれんかった。学園物じゃ生徒会長とかお金持ちのお嬢様なんぞは、まあ大抵、主人公と敵対する役だな(『コータローまかりとおる!』『究極超人あ〜る』等)」
熊「そういや1980年代から、SFアニメや特撮ヒーローの主人公も、『新造人間キャシャーン』やら『人造人間キカイダー』みたいな非人間キャラはほとんど消えて、普通の男の子がロボットに乗ったり、強化服を着ただけの宇宙刑事とかが主流になるな」
八「でも、1980年代当時から『北斗の拳』や『ドラゴンボール』みたいな、ぶっとんだ超人キャラ主人公の出てくる作品だって結構あるじゃねえか」
ご隠居「そいつはたいていの場合、最初から非現実的な超人キャラの主人公が成立できるような、未来とか宇宙とか異世界が舞台の作品じゃないかの」
熊「で、21世紀の今じゃ、そんな異世界じゃなくて現実の延長上の世界観でも、主人公のタイプは平凡な中流中高生ばかりでなく、優等生の悪党(『DEATH NOTE』)、超人の生徒会長(『めだかボックス』)、中二病の発明マニア(『シュタインズ・ゲート』)、引きこもりのゲームオタク(『BTOOOM!』『ソードアート・オンライン』)と、上から下まで多様になってる……これはこれでいいことじゃねえのか」
ご隠居「これは良くも悪くも、ふたたび格差拡大の世を反映しとるのかのう」
八「にも関わらず、ラブコメ分野じゃ1980年代から"没個性的で凡庸な男主人公と特殊なヒロイン"って図式が進歩ないのは、どういうわけだい」
ご隠居「先にお前さんが言った通り、ラブコメ図式じゃヒロインの方が男の子にとっての"刺激的な非日常の象徴"にされるからじゃろ」
熊「で、その"特殊なヒロイン"像が、宇宙人や女神様とかの高い存在から、オタクや中二病のような、ある意味で見下せる存在にまで幅広く多様化したってことだろw」
八「逆に言えば、少女漫画でも"平凡な少女と格好いいワケありのイケメン"って図式で、男女の落差がドラマを生むってのが黄金の王道か」
熊「ま、結局、そもそも映画や文学や漫画やドラマやアニメ全般、男の子向けでも女の子向けでも、読者視聴者の願望を描くものが求められてる、ってもんでさあ」
ご隠居「それを言っちゃあおしめえよ!」
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お後がよろしくもくそもねえよ