電氣アジール日録

自称売文プロ(レタリアート)葦原骸吉(佐藤賢二)のブログ。過去の仕事の一部は「B級保存版」に再録。

宮沢賢治はラノベ作家になり損ねたニート

別冊宝島宮沢賢治という生き方』(isbn:4800254256)が刊行。当方は今回、鉱物、音楽、星、農、岩手の郷土などに触れた冒頭カラー口絵と、宮沢賢治の少年時代、女性関係、法華経信仰、晩年のサラリーマン生活などの生涯を追った第1章を担当。

清貧でも自己犠牲的でもなかった前半生

長らく、賢治といえばいかにも生涯を通じて貧しい農民のため自己犠牲的に働いた人物のように誤解されていた。近年ではわりと知られるようになってきたことだが、実際の賢治の半生は、ありていに言えば甘えた道楽者である。
裕福な家庭に生まれながら地味な家業を嫌がって都会の学校に進み、学費を出してくれた親の意志に逆らって、成人後に「家出」してアルバイトしながら童話を書き、実家の資産で自費出版したもののさっぱり売れなかった。さらに、教師になったものの学校の人間関係を理由に退職、その後は農業を始めるがこれも生活のためではなく、趣味の園芸のように当時はめずらしい西洋野菜や花を栽培しながら下手なチェロ弾きなどに興じる。ついでに、女性にはオクテだったのか草食系だったのか生涯童貞だったとの噂も根強い(実際は、自分は妻子を養う能力も資格もないと思っていたのかも知れない)。
――しかし、このような実像こそかえって現代には親しみの持てる存在ではないだろうか。宮沢賢治童話作家を志した大正時代は、児童雑誌の『赤い鳥』が創刊され、「子供向けの読み物」というジャンルの勃興した時期だ。当時の賢治はさしずめ、ラノベ作家をめざして上京して挫折したあと実家の資産でだらだら生活するニートだったのである。
賢治が友人や元教え子にあてた手紙などを読むと、若い頃の賢治は「いずれ俺は高く評価されてすごくビッグになるぞ」という自負心の持ち主だったことがよくわかる。
そんな賢治だが、人生最後の数年は、近隣の農家のため作物や地質などに応じて肥料を配合して使用量を計算する肥料設計の仕事を無償でこなし、岩手県の酸性土壌を改良するため石灰の販売に奔走した。これは単なる盲目的な自己犠牲でもない。賢治には生活に苦しむ農民を傍目に趣味の芸術に興じてきた「負い目」もあったし、一方で自分が農学校で見つけた知識と技術を有効に生かさねばもったいないという意識もあったはずだ。

おバカな想像力の効用

じつを言うと、わたしは宮沢賢治の書いた物にはそれほど惹かれない。賢治の作品世界といえば、もっぱら『銀河鉄道の夜』のように一直線に理想を追う主人公か、『どんぐりと山猫』のようなナンセンス風味の小話、あるいは『春と修羅』収録の一連の詩など人と自然の関係を描いたものか、亡くなった妹に寄せるシスコンぶりなどである。
つまり、俗欲もあれば保身意識もある等身大の人間同士の、男女やら親子やら組織内の軋轢やらを描く作家ではない、リアルなダークさが足りないのだ。確か吉本隆明は、賢治の詩は自然描写の豊かさの反面、人間関係の描写に乏しい点を指摘していたはずだ。
しかしそれでも、賢治の表現力と想像力はすごいと思う。川の中で水の泡が弾けるのを「クラムボンはわらったよ」などと書く言語感覚、人工物がほとんどない地方の山道にずらりと並ぶ電信柱を兵士の行軍に見立てるというセンス……こういう一見ばかばかしい子供のような想像力が、地味な灰色の現実も楽しく味わえる心の豊かさではないか。
賢治は『農民芸術概論要綱』で、「曾つてわれらの師父たちは乏しいながら可成楽しく生きてゐた そこには芸術も宗教もあった」と書いた。日本の農民は万葉集の時代から、こういうセンスで自然のなかに風流や美や楽しさを見いだしていたのではないか。

宮沢賢治はウヨのカルト信者か?

さて、宮沢賢治を愛好するインテリ、とくにリベラル派の多くが眼を背けて、できればないことにしたいと思っている要素が、賢治の熱烈な法華経信仰と国柱会との関係だろう。
賢治は最大の親友だった保阪嘉内にしつこく国柱会への入信を迫ったのが原因で友情が決裂した。この国柱会といえば、満州事変の立役者の石原莞爾も参加していた国家主義団体だった。また、二二六事件の青年将校に影響を与えた北一輝や、血盟団事件を起こした井上日召法華経の熱烈な信徒である。
もとより法華経を奉じる日蓮宗は、日本の大乗仏教のなかでも個人の救済ではなく天下国家の救済を唱える宗派だが、昭和初期には国家社会主義ファシズムとの関係が深かった。つまり、宮沢賢治潜在的ファシストのカルト信者だった可能性が充分ある。
この点について、2014年刊行の『別冊太陽』の宮沢賢治特集で、精神科医斎藤環は「宮沢賢治ファシストではない。なぜなら禁欲的だったから」と説いている。ひどい欺瞞だ。バカを言うな、ファシズムとは禁欲を説く思想だろうがw
北一輝に触発された皇道派青年将校も、ドイツで初期のナチズム運動に参加した若者らも、貧しい農民や都市の底辺層の立場から、当時の都会のちゃらちゃらしたブルジョワ文化を敵視し、体育会系の結束と堕落した上流階級の打倒を唱えた。
どうも精神医学の世界ではファシズムと性的サディズムを結びつけた分析もあるようだし、講談社選書メチエ『愛と欲望のナチズム』(isbn:4062585367)によれば、ナチス時代のドイツでは多産奨励のため早婚が奨励されて10代の男女がやりまくっていたというが、少なくとも大衆運動としてのファシズムの建前は、個人の自由な欲望を規制して、軍隊的な規律と統制のもとに国民を団結させるというものだ。
むしろ、宮沢賢治がもし健康な身体の持ち主で、徴兵検査に脱落せずに軍隊に入っていれば、それこそ持ち前の禁欲的な思想と東北の貧しい農民への同情から、皇道派青年将校の同志になっていた可能性が充分にあったのではないだろうか。
実際、賢治は戦争も軍隊も批判していない。1918年に徴兵検査を受けたときには、父あての手紙で「戦争とか病気とか学校も家も雪もみな均しき一心の現象に御座候 その戦争に行きて人を殺すと云ふ事も殺す者も殺さるゝ者も皆等しく法性に御座候」と書いている。

矛盾やギャップは作家の甲斐性

――このように、書いている作品の内容や世間に定着したイメージと実像のギャップや矛盾に満ちているからこそ、人間としての宮沢賢治は面白い。いや、ドストエフスキーしかり、トルストイしかり、多くの作家がそういうものだ。
じつは、別冊宝島の同じシリーズで昨年末に刊行された『夏目漱石という生き方』(isbn:4800250587)でも、「親友」「芸術」「結婚」「死」「高等遊民」など、一部の項目を執筆した。宮沢賢治とは対照的に、夏目漱石はそれこそ等身大の近代人の男女やら親子やらの生ぐさい人間関係のドラマを書いてきた人物だ。
漱石といえば、みずから「小さくなって懐手して暮したい」と述べていたぐらいのニート願望者である。しかし、東大で文学教師の職こそ放り出したものの、作品中でさんざんぼろくそに書いた妻子は放り出さず、自分を文学の師として慕う若者らの面倒はいとわなかった。実人生の不自由を受け入れていたからこそ文学では本音を吐いていたともいえる。

こんな文豪ストレイドッグスの新キャラはいやだ