電氣アジール日録

自称売文プロ(レタリアート)葦原骸吉(佐藤賢二)のブログ。過去の仕事の一部は「B級保存版」に再録。

すでに拠るべき祖国も属すべき階級もなく…

幻冬舎新書『右翼と左翼』浅羽通明isbn:434498000X)読了。
いつの間にそんなん出とったんか? という感じだったが、狙いどころは上手い。
2年前刊行のちくま新書『アナーキスム』(isbn:4480061746)、『ナショナリズム』(isbn:4480061738)と同様、学術的な専門家がわかりやすく書いてくれないから、その空白を狙った広い層に向けた概説書に徹したのは正解だろう。

自分自身の生きにくさを世の中全体のせいにして、世の中が変われば幸せでおもしろい日々が私にも来ると信じる。自分自身の矮小さ脆弱さを、民族だの階級だの革命だのといった偉大な使命へ自分を委ねている自覚で乗り越えた気になる。『新世紀エヴァンゲリオン』のヒット以来、自分の危機と世界全体の危機とがシンクロしてゆく物語を「セカイ系」と呼びますが『右翼』『左翼』に代表されるイデオロギーはもとより「セカイ系」だったのかも知れません。(p199)

これと同じよーな認識なら、わたし如きでもここ数年、もうずっと思ってたさ。
では、なぜそうなったのか、そうなる過程を、明治維新〜戦前どころかフランス革命期にまで遡ってバカ丁寧にという言うべきまでにしっかり説明してくれたのが、本書の(一見迂遠なようで)注目すべき点だろう。
まずフランス革命期以来、何をもって「右」「左」とするかは、時代の進歩により流動してきた、という指摘は重要。
確かに、今のフランスでは極右中の極右でも王政復古なんて言わないし、今の日本でも天皇親政なんて言う人間はいないが、それが右の主流で、逆に、今ではどんな保守派も反対しない男子普通選挙実現を要求するのが最左翼だった時代もあった。
それが、体制保守権力側が、本来の反体制派の要求していたものを「改革」として少しずつ実行するうちに、「革命」は必要なくなり、左右の決定的差異はなくなった、という図式になるようだ。
さらに、そもそもナショナリズは左翼(王権派に対する革命議会派)が言い出したもの、という点は興味深い。確かに、近代以前の軍隊は王侯貴族の私兵で「国民」意識なんてなかった中、世界最初の「国民軍」はフランス革命体制の産物だ。
ナポレオン時代を描いた池田理代子の漫画『エロイカ』を読むと、当時の欧州は、どこの国でも王侯貴族同士が姻戚関係で、その友好関係で平和が保たれてたのに、国民主権になって以降、かえって国家間(異国民間)対立が浮上したとわかる。