電氣アジール日録

自称売文プロ(レタリアート)葦原骸吉(佐藤賢二)のブログ。過去の仕事の一部は「B級保存版」に再録。

人を個別に見るより属性で見ることが好きな人たち

しかし、わたし個人としては、いわゆる「非モテ論壇」と言われるものには今のところ一切共感はモテないでいる。
というのは、まず、多くの「非モテ」論者は、女性一般というものをひとくくりにしがちな点が、ズサンとしか思えないからである。
なるほど今の世には、権利ばかり主張する女、ルックスや年収の立派な男でなきゃ人間扱いもしてくれない女も多いようだ。でもよ、別に、世の女の一人残らず全部が全部そーじゃないだろ? 個別具体に自分と付き合える女を探したり、自分なりの魅力を磨く努力をせずに「女一般」を悪者にしようとする態度には、どーにも、イソップ童話の「酸っぱい葡萄」めいた負け惜しみを感じざるを得ない。
嫌韓厨と非モテ厨の共通点は、敵を個別具体の人間として見ようとせず、「韓国人・在日」一般、「女」一般とか、属性でひとくくりに見ようとすることである。
これはまさに、韓国の単純反日論者や、単純フェミニストが、相手を「日本人」一般、「男」一般とひとくくりにして悪者扱いしているのとまったく同じレベルに、自ら堕しているのではないか?
非モテ」論者は、反フェミニストも多いらしい。で、たとえば林道義のように、昨今の少子晩婚化はフェミ左翼の陰謀だ、と言いたがる人もいるようだが、オイオイ、試しに、渋谷や六本木の路上で「結婚相手は最低でも年収1000万円以上希望」とかホザいてるような女子1000人に「上野千鶴子福島瑞穂の本を読んだことありますか?」とアンケート取ってみろよ、絶対にYesと答える奴は10人といねえぞ! 断言できる。
今の若い女に、自己本位で快楽中心主義で、ゆえになかなか結婚して子供も作ろうとせず、結婚相手のゼータクをほざく者が多いとされる(当然、全員がそうとも限らない)のは、それこそ、オシャレと遊びこそ人生の幸せと謳ってきたニッポン消費資本主義の産物である。まかり間違っても、京都精華大学の干からびた教壇から一歩も出たこともなく、身内にしか通じない話しかできないよーなフェミ左翼女学者センセイがたの業績ではない。
また、多くの「非モテ」論者が仮想敵とするモテ男像もズサンに見える。
このブログへのアクセス履歴を見返したら、「文系鬼畜」について言及した05年07月25日の日記が一部で妙な注目をされてるらしい。
非モテ」を自称している男子は、とかく、仮想敵となるモテ男子を指す言葉として「体育会系」とか「野獣系」とかいう言葉を使いたがるが、そのほかにも「腕力体力はないが口がうまくてずるがしこいヤサ男」というタイプ類型を考えたことのある人は不思議といないらしい。俺はそっちの方がむしろムカつくんだけどな(笑)。
エゴイズムが動機のデモが悪いとは言わない。しかし、モテへん男が集まって世のオシャレ男女交際万歳消費資本主義を糾弾する、というなら、なぜ秋葉原なんかでデモをやる? 身内しかいないではないか。渋谷、原宿、青山、六本木へ進軍せよ! そして着飾ったナンパ男女たちにこそにシュプレヒコールを浴びせよ、と言いたい。大日本愛国党赤尾敏総裁なら、毎日、日本の政財界のエリートの集まる銀座で街頭演説してたぞ。
秋葉原でやってたのは以前のクリスマスデモで、反バレンタイン、反ホワイトデーデモは渋谷、池袋でやってたという)
――いずれにせよ、負け組が同情やお情けを欲しての悲憤慷慨のデモというのは燃えない。ひとつ、女にモテる人間であることをカサに着て女を食い物にしてる連中をとっちめる運動とかなら俄然断固支持する!! んだけどねえ……