電氣アジール日録

自称売文プロ(レタリアート)葦原骸吉(佐藤賢二)のブログ。過去の仕事の一部は「B級保存版」に再録。

2.自叙伝『スターリンとヒットラーの軛のもとで 二つの全体主義』

マルガレーテ・ブーバー=ノイマン著(isbn:4623051331
週刊文春に載ってた鹿島茂の紹介文で存在を知り「断固これは読まねば!」と思った一冊。
なんと、スターリン時代の旧ソ連強制収容所ナチス強制収容所の両方を経験して生き延びた女性の体験記。阪神大震災地下鉄サリン事件を両方体験以上の話だ。
絶望的な状況下でこそ見える、人間性の逆説みたいな話が満載である。
収容所の人間はただ毎日働かされて死を待つだけかといえば、外部の世間と同じように、収監者の男女同士で恋愛したり嫉妬もするし、収監者内の求職競争もあるし(食糧をちょろまかせる菜園などは人気の職場)、収監前の職業や階層による派閥争いもある。一見くだらないようだが、死に直面した環境だからこそ、そういうことに必死なのだ。
印象深かったのは、ナチスの収容所内でも共産党共産党内部の異端狩りに熱心だったという話。本書の筆者マルガレーテ女史は、もとは共産党員ながらソ連共産党の方針に反発して収容所送りになり、さらにドイツに引き渡された(第二次世界大戦の初期、ドイツとソ連は不可侵条約を結んでいた)。彼女はスターリンの独裁体制が何万人という人間を不当に逮捕し処刑していることを見てきたわけだが、ドイツ内で逮捕されてナチスの収容所に入れられた共産党員たちは、彼女の語るソ連の実態をいっさい信じない。
これは恐らく、ただソ連共産党の党員洗脳が一貫してたという話だけではあるまい。当時、共産主義者としてナチスの収容所に放り込まれて絶望的状況下にいた者たちには、ソ連が本気で唯一の希望の星という心理だったのだろう。絶望的状況下に極細の希望があると人はそれを盲信する。大東亜戦争末期の日本人も本気で神風を信じてしまった。必死になってバクチの負けをバクチで取りかえそうとしている人間はその無謀さに気づかない。
はたまた、ナチスの収容所で一番規律に厳格で、しかし戦争協力となる種類の労働だけは一切拒否を貫いたのは、聖書研究派(いわゆるエホバの証人)の信徒だったという話も興味深かった。本気で死後の救済を信じている人間は強い、良い意味でも悪い意味でも。
ただ、一個人的に少し引っかかったのが、筆者が、同じ収監者仲間でも、政治犯ではなく売春や窃盗などの刑事犯で収監された収監者にはわりと侮蔑的な点だ。
実際、刑事犯の収監者の多くは粗暴で、看守に調子を合わせて政治犯の収監者をいじめることも多かったという。しかし、そういう犯罪者の多くは、本来が無学な貧民階層の出身だ。もともと貧しい民衆の救済を唱えてた左翼のくせにそんな民衆蔑視でいいのか。
ただ、これも元がインテリ女性だからなのかも知れない。男だったら、インテリでも自分から下品な冗談を言っったりして民衆に溶け込もうとする人もいる(元共産党員の民俗学者赤松啓介は民衆を理解するためそれを全力でやった)。
ありていに言えば、本書の筆者マルガレーテ女史は育ちがよいのでDQNが嫌いな人らしい。そーいう意味では、ミもフタもなく言えば、わたし個人とは人間的にそりが合わなそうだが、それでも貴重な手記を遺してくれたことには敬意を表する。
本書では、収容所では弱った人間がますます食い物にされるというようなえげつない話も少なくないが、一方だからこそ助け合おうとする収監者たちの姿や、釈放後の見聞として記されたユダヤ人脱走者を匿った農民の話などは感動的だった。
こういうと不謹慎だが、不幸で残酷な運命は人間を試すから、そこから学べることは多い。