電氣アジール日録

自称売文プロ(レタリアート)葦原骸吉(佐藤賢二)のブログ。過去の仕事の一部は「B級保存版」に再録。

文化的な無責任/汗臭く泥臭い責任感

「オタク」と「ヤンキー(DQN)」という二項対立でものを語りたがる人は多い。先日、こういう意見を目にした。

先に結論を書いておくと、私はDQNは必ずしも成熟しているわけではなく、単に「人生という名のRPGにおける、「メインイベント」の進捗率が速いだけ」だと考えている。
つまり、DQNと称するクラスターに属する人は早く結婚するし、早く子供が生む。だが、それは「成熟」と必ずしもイコールで結ばれるわけではないと思う。
http://blog.livedoor.jp/chikumaonline/archives/53134556.html

興味深い意見だとは思ったが、わたし個人としては、いろいろ見落としすぎなんじゃないかという気がする。
「オタク」と「ヤンキー(DQN)」の違いは単にさっさと男女でつがいになって子どもができて親になるかという問題だけではない。
端的に乱暴に分ければ、オタク人種の多くは文科系でデスクワークの内勤、職業で言えばプログラマ経理や事務員として働くような人で、ヤンキー(DQN)の多くは体育会系のブルーカラー、職業で言えば飲食店や製造業や建設業や運送屋などで働くような人たちだろう。
後者の職業環境においては強固に求められるものがある。厳格な先輩後輩関係、身体を使う仕事特有の危険安全意識だ。
わたしが20代の頃、解体現場で一日バイトしたときなどは、一見いかにも荒っぽいおっさん連中が、すごく厳格な安全点検をやっていた。でなければ解体中の瓦礫が落ちてきて大ケガする職場である。この点、内勤のデスクワークではミスをしても簡単にケガ人が出ない代わりに責任も明確になりにくい。
こうした違いを考えれば、一見「文化的」に見えるオタク系インテリの職場より、ヤンキー(DQN)の職場の方が口先だけでない実体的な共同性が求められるのは、当然というものだろう。

@yukiwochoro choro
地方に残るわしらの世代(30後半)の人間で、大抵地域でネットワーク作ってるのはヤンキーあがり。たとえばまつりの世話したりとか消防団やったりとか、保守系の市議会議員になったりとか。てかオタクだのサブカルだので地域に根ざしてるのはまずいませんから。
12月2日 webから
http://twitter.com/#!/yukiwochoro/status/142590270872100865

もっともわたしは、こういう地方の小さな職場の共同性の束縛が嫌で、東京に逃げてきて、出勤しなくて良い(低収入の)フリーランスなんぞやっとる人間だから、エラそうなことは一切言えない。しかしだからこそ、そーいう自分に欠けている部分を自覚的に直視はしなければならないと感じている。