電氣アジール日録

自称売文プロ(レタリアート)葦原骸吉(佐藤賢二)のブログ。過去の仕事の一部は「B級保存版」に再録。

(6)2000年代後半 非モテ運動と麻生ブーム

――以降は現在と地続きである。2005年にはオタク受けしやすいアニメ絵の『マンガ嫌韓流』が刊行されて大ヒットし、口真似の元ネタを小林よしのりから山野車輪に取り替える人間が続出した。
ただし一方では、オタクの中でもインテリ層の一部には「左翼=インテリ/右翼=頭の悪い大衆」という意識が残っているようだ。また、自分たちを少数被差別者の側に自己規定するようなオタクもまだいる。
2007年に「アキハバラ解放デモ」なるものをやった非モテ運動の左派は、中核派と一個人的友人として仲が良かったそうである。
とはいえ、一個人的には、これが正統な左翼の系譜とも思えない。
かつての左翼は「世界の飢えた労働者」という階級全体の解放を標榜していた。しかし、左派系の非モテ運動というのは「弱者=正義」という左翼の論法を、「非モテという弱者」を自称する自分たちのためだけに都合良く利用しているだけにしか見えないからだ(もっとも、男尊女卑の右派も非モテも多いようだが)。
それに「弱者=正義」という論理は左翼の中でしか通用しない。社会の多数派を敵に回すような反体制的ポジションを標榜するより、何もしなくても既存の権威が自分たちを肯定してくれる方が楽だ。
そうした感情を反映してか、漫画ファンで知られる自民党麻生太郎は「『ローゼンメイデン』を愛読」という神話が広まった。
麻生太郎の年齢を考えれば「『ローゼンメイデン』も」読んでいたとしても、一番に好きな漫画は『ゴルゴ13』などの1970年代の劇画だろうと想像が付くだろうに「大物政治家が自分と同じ物を好き→自分も権威づけらえる」と思ったのだろうか。
そんな麻生太郎が2008年には内閣総理大臣に就任し、保守愛国なオタクは「俺たちの麻生」と呼んで盛り上がった。
わたし個人の印象を言ってしまえば、結局、ゼロ年代後半に起きてきた非モテ左派の運動も、麻生太郎を支持した保守系のオタクも、承認欲求を満たすためのツール、自分を肯定してくれる権威を欲していただけではないだろうか、という気がしている。
漫画やアニメやゲームなどの表現規制問題に関しても、右派のオタクは「漫画やアニメやゲームは日本が誇る文化なのだから云々」と言い、左派のオタクは「表現の自由」と言って自分を悪い権力者の弾圧に抵抗するレジスタンスのように語る。
だが、どっちも直接の動機・目的は自分の見たい物が見たいという欲求ではないのか。その点は左派のオタクも右派のオタクも同じにしか思えない(本当に「言論の自由」が目的というなら……というお話は、以前にこちらで書いた)。

オタクは保守ではなく排外主義か

現在のネット世論では、韓流ドラマやK-POPを敵視して、韓流ドラマの多いフジテレビやスポンサーの花王への非難する声が広まっている。
Amazon花王製品を非難するコメントを書いている者が、一方でどんな商品に好意的コメントを書いているかを見ると、彼らの趣味の傾向がわかる。萌えアニメやギャルゲーに関するアイテムのコメントがかなり目立つ。
なるほど、今や「自分たちの好きなオタク文化=日本文化の主流」という意識の人々なら、外国文化の普及に警戒するのは道理かもしれない。
(補足:韓国や中国が現在も反日教育を行なっているのは事実である。そこで「日本が否定される→自分が否定される」という意識から韓国や中国に反発を抱く心理は道理としてはおかしくはない。ただし「漫画やアニメやゲームは日本が世界に誇る文化」という神話が定着する1990年代以前であれば、自分を「自国内では伝統保守価値観から外れた文化的マイノリティ」と自己認識するオタクも少なくなかったはずで、別に「日本」が否定されても「自分」が否定されたとは思わなかったのではないか?)
しかし、そもそも、つい数年前までサブカルチャーの土俵で韓国が意識されたことなど、ほとんどなかったはずだ。
日本ですでにアニメやアイドルが若者文化として定着しきっていた1980年代当時、韓国はまだ軍事政権だった。韓国で日本やアメリカのような「若者文化」が本格的に広まったのはやっと1990年代後半以降である。しかも軍事政権時代の名残で、公式には1998年まで日本のテレビ番組や音楽の自由な消費は禁止されていた(代わりに海賊版が大量に横行していたが)。
本来の文化的な価値観をいえば、韓国の方がよほど「右翼的」である。現在も徴兵制があるし、愛国教育が根強く、男尊女卑や年長者への敬老意識など、日本よりも保守的だ。
だが、ネット上で政治的に保守を標榜している人々の間でも、こうした意味で韓国を評価する意見は、どーいうわけかついぞ見かけない。
こうした点から、現在の「右派」系オタクというのは結局「保守」ではなくただの「排外主義」なのではないかという気がしている。
もっとも「保守」とか「愛国」を標榜する若者の内実が変容してきているのは日本だけではない。廣済堂新書『中国人の腹のうち』(isbn:4331515729)で加藤徹先生が語っていたところによれば、中国でも、愛国デモを男女交際の出会いの場に利用するような若者が現われているそうだ。
……そういや最近、似たような話をどこかの国の韓流番組規制要望デモでも聞いた気がするな(ギャフン)