電氣アジール日録

自称売文プロ(レタリアート)葦原骸吉(佐藤賢二)のブログ。過去の仕事の一部は「B級保存版」に再録。

小津安二郎という偽善者

ここで少々いきなり話が飛躍するが、これも前々から強く気にかかっていたことなのでついでに述べると、わたしは小津安二郎の『東京物語』という映画がどうにも嫌いだ。なんでこんな作品が美しい日本人の姿なんて言われるのか、まったく理解できない。
ひよっこ』にも『一番美しく』にも、生きている、働いている、生身の女性が描かれる。だが、『東京物語』で原節子の演じるヒロインは、職業婦人という設定のはずなのに、ひたすら中高年男性の都合良い願望のお人形にしか見えなくて気持ち悪い。
劇中で笠智衆が演じる老父の実の子らは東京に出てきた老父にろくに構おうとしない一方、親身になって相手をしてやる原節子がさも理想的な嫁みたいに描かれる。
しかし、実の子らは現代によくいる独身中年ではない、ちゃんと自分らの仕事と家族(子供)を持っている身だ、老父のことが嫌いなわけでもなく、単に仕事が忙しくて相手ができないように描かれている。現代の基準なら充分にまともな大人ではないか。
一方、原節子の演じる「死んだ息子の嫁」は、亭主も子供もいない身軽な立場ゆえ老いた義父の相手ができている。しかも職場は簡単に休みが取れるらしい。そして、「死んだ亭主の父」に実の父以上の扱いではないかと思えるぐらい親身に接している。何だよそれ?
あまりにも男にとって都合が良すぎる、無意識の男尊女卑の臭いがプンプンする。ロコツに女性に対して抑圧的な男を描くよりよほど気持ち悪い。
――などと前々から思っていたら、昨年、かなり腑に落ちる『東京物語』評を見た。

菅野完? @noiehoie
現に、小津の映画には「食事のシーン」があれほど大量に出てくるのに、「料理のシーン」はあまり出てこない。 例えば『東京物語』。笠智衆東山千栄子夫婦が宿無しになり、嫁である原節子の家に逗留するあのクダリ。原節子は義父母を心から歓待し、酒食を提供するが、一切料理しない。
https://twitter.com/noiehoie/status/792517383554424837

菅野完? @noiehoie
あの時、原節子は、隣の部屋から酒とお猪口を借り、料理は店屋物だ。
無論それは、「戦争未亡人であり職業婦人である原節子は、客をもてなす所帯道具がない生活をしている」ことや「戦争未亡人で子供に恵まれなかった」ことなどを描写するための方法ではある。しかし、原節子、一切手を動かさないのだ
https://twitter.com/noiehoie/status/792517928356720643

菅野完? @noiehoie
つまり、小津の描いた日常とは「誰一人料理しないのに、綺麗な器に乗った料理が出てくる」日常であり、こうの史代の日常とは「灰神楽の舞う中火吹き竹で竃に息を吹きかけ汗拭き拭き作った銀シャリをがっつく」日常。この対極。
https://twitter.com/noiehoie/status/792523983782449152

まっ、小津が生きていた当時は逆に、そういう「生活感のなさ」が斬新で清潔だったのかも知れないけどね……。わたし個人は、ばりばりと汗水流して働いてうまそうにカレーを食べる『ひよっこ』劇中の乙女らの方が好きです。