電氣アジール日録

自称売文プロ(レタリアート)葦原骸吉(佐藤賢二)のブログ。過去の仕事の一部は「B級保存版」に再録。

ワンサイドゲームはつまらない

日本スゴイ」と異世界技術チートは、どこか似ている - シロクマの屑籠
http://b.hatena.ne.jp/entry/p-shirokuma.hatenadiary.com/entry/20171123/1511428961

毎度毎度の後出しジャンケンで恐縮だが、自分も以前に、このエントリときわめてよく似たことを考えててた。
アニメ版『異世界食堂』の放送中「なんか面白くないなあ」と感じていた。「よくある中世ヨーロッパ風異世界」+「現代の洋食屋」という組み合わせのギャップ以上のひねりが何も感じられない。要するにこれはワンサイドゲームなのだ。
「現代のすぐれた料理を中世風の異世界に持ってけば、きっと騎士もドラゴンもみんな喜んでうまいうまいと言うぞ」という一方的な「現代=優秀/中世風=劣った前近代」というあまりにも単純すぎる世界観認識で、現代人のほうが中世風世界観からカルチャーギャップを学ぶ要素が何もないのである。
この点、たとえば1970年代末〜80年代初頭に描かれた諸星大二郎のSF漫画とか、花輪和一の中世もの漫画だと、現代人の方が、いっけん見下していた古代文明や中世社会やら未開部族からあっと驚く意外な世界観を示されるとかいう展開がよくあった。つまり、我々が自明の物と思ってる「近代社会」を相対化する視点があった。『異世界食堂』にはそういうものがまったくなく、「自分らの生きてる現代日本=サイコー」という感じなのだ。
アニメ版『ゲート』を見たときも同じような印象があった。第2期の第1話では、「文明が中世レベルの帝国人に現代兵器を見せたらビビって講和に応じる」という描写があったが、それってあまりにも一方的な現代人の解釈じゃね?
文明のレベルというか文化的な価値観があまりにも違いすぎる相手だと「敵が圧倒的に優勢」ということがそもそも理解できない場合がある。
たとえば鎌倉武士は火薬兵器を持った蒙古軍に本気で一騎討ちを挑んだし、中南米にスペイン人やポルトガル人が攻め込んできた時期もアステカやインカの人間は随分長いこと不利を認めずに抵抗した。
幕末に日本に黒船が来たときなんざ、アメリカ人が文明の差を見せようと日本人の前で小型の蒸気機関車を走らせて見せたのに対し、単なる変わった見せ物としか思わなかった日本人は返礼に力士を呼んで相撲を見せてドヤ顔してたという。
第二次世界大戦の初期にも、ドイツ軍の戦車部隊にポーランド軍が騎兵で対抗したり、日本軍は末期まで戦車と機関銃と火炎放射器に刀と竹槍で対抗する気だった。
そのへんを、考えると『ゲート』劇中の帝国人の反応にリアリティがあるとは思えない。
もし本気でリアルな『ゲート』を描くなら、劇中の自衛隊員がいくら帝国人を撃ち殺しても中世メンタルの帝国人は誇りを重んじて降伏せず、文明人の自衛隊員はそんな帝国人の姿を本気で恐怖しながら、まったく不本意ながらも、やむなく大虐殺をせざるを得なくなるのではないか。ベトナム戦争時の米兵のように。
というか、その文明人から見ての中世人が「大東亜戦争当時の日本人」なのだが。