電氣アジール日録

自称売文プロ(レタリアート)葦原骸吉(佐藤賢二)のブログ。過去の仕事の一部は「B級保存版」に再録。

ヘンリー・フォードのいない銀河帝国

先に触れた「ナチス=悪者史観」にとどまらず、戦後のエンターテインメントは、基本的に旧連合国というかアメリカの価値観が反映されている。おかげでスターウォーズでもスタートレックでも「帝国」とつくのは悪役だ。
日本のアニメでも、古くはボルテスVのボアザン星人、近年ではコードギアスブリタニア帝国やらアルドノアのヴァース帝国あたりまで、「露骨に前近代的な独裁帝国主義体制なのにテクノロジーだけ超未来的」というのがパターンだ。しかし、この組み合わせは現実にあり得るのだろうか?
独裁的な強権体制ならば、支配階級が気に入った技術研究者は優遇されるし、議会に予算を申請したり企業内で取締役会の承認を得るとかの手間をすっ飛ばして開発計画が進められそうだ。また、国民一律平等な教育とかいうタテマエがない体制ならば、早くから英才教育を施した若手の少数精鋭エリート技術者が育成されそうだ。
ただし当然、少数の支配階級に気に入られなかった技術者やウケの悪かった技術は陽の目を見ないだろうし、どの技術が採用されるかも支配階級の腹ひとつだと自由競争原理が充分に働かず、技術が全分野で均衡を持って発展しない可能性も高い。つまり、兵器は未来的でも家電製品や庶民の自家用車なんぞは旧態然、となりかねない。
現実の歴史では、工業が発達したら必然的にその専門家である「産業資本家」というやつが出てきて、従来の支配階級である王侯貴族に成り代わってしまった。伝統や形式を重んじる王侯貴族がみずから技術革新に乗り気、というイメージはしにくい。
(明治から戦前までの大日本帝国は、天皇親政ではなく、議会のある立憲民主国家だ。少なくとも昭和天皇はそのつもりでいた)
まあ、現代でも「形式上は近代的な民主国家だが、徴兵制があったり上下関係にきびしく権威的・保守的な価値観でありつつ、ハイテク技術が発達した国家」ぐらいならある。ずばり、韓国(あとシンガポールとか)のことだが。