電氣アジール日録

自称売文プロ(レタリアート)葦原骸吉(佐藤賢二)のブログ。過去の仕事の一部は「B級保存版」に再録。

それでは皆様よいお年を

「炎上うぜえ」「俺個人の自由な時間の方が大事」と思うあまりSNSで発言しなくなって久しいが、とりあえず習慣で年に1度の更新。
■2020年最後の挨拶とか年間ベストとか
ひとまず本年触れたもろもろの年間ベスト。
■1.(とくになし)
本年は「とくになし」です(東日本大震災の2011年も同じだったな)。無駄に時間ができて触れた書物や映像作品などは多かったけど、コロナ禍の現実の印象に勝るものが挙げられない。我ながら想像力貧困だ。
■2.漫画『へうげもの山田芳裕
https://www.amazon.co.jp/dp/4063724875
過去につい途中で読むのを中断したまま、2018年に完結の報を聞いて「頭から読み返すぞ」と決意したまま、うっかり2年経ってしまった。
通読して、漫画的見せ方が本当にうまい作品だったと実感。今さら気づいたが、本能寺で織田信長がまっぷたつにされる名シーン、千利休による陰謀の告白など、「ここぞ」という場面には擬音がない。その結果、止め絵の迫力が効果倍増(ギャグの効果も)。
高山右近南蛮人から手に入れたレオナルド・ダヴィンチの飛行機械が、回りめぐって大坂の陣真田幸村に使われるなど、数々の奇想も山田風太郎に匹敵。風太郎は、卓越した鉱山技術者の大久保長安を「近代を先取りしたマッドサイエンティスト」と解釈したが、同じ山田でも芳裕の方は「近代を先取りした金融資本家」と解釈したのも絶妙。
劇中で古田織部は、江戸幕府の成立後も心情的に豊臣家を支持しながら、保身と俗欲のため正面から家康に逆らおうとせず、さりとて戦場に立とうともせず、文化事業が自分の仕事と割り切る。そして、芝居、絵画、窯業、茶道といった文化事業のなかでも、自分の本領は人を笑わせて争いを回避することだと見定め、それを徹底する(人を嘲笑して優越感を得るための笑いではなく、古田織部はみずからも道化を演じる)。
旧年中、映画『i 新聞記者ドキュメント』(https://i-shimbunkisha.jp/)の終盤で、熱狂的な自民党政権支持者のデモ隊とアンチ安倍のデモ隊が罵り合う場面で、大真面目に自分の正義を信じて疑わない人間同士がつくり出す空気のギスギス感に耐えがたく、「もし俺がこの場にいたら、いきなり全裸になって『ちんぴょろすぽーん』と叫んでやりたい」……などと阿呆なことを考えたが、古田織部の生き様を見て、こういう発想が間違ってないと確信した(←違う)
■3.小説『明治開化 安吾捕物帖』坂口安吾
https://www.aozora.gr.jp/cards/001095/card43204.html
勝海舟狂言回しにした連作ミステリ(先ごろNHKでドラマ化された)。劇中の時代設定は明治20年(1887年)ごろで、じつは『シャーロック・ホームズ』シリーズが書かれたのとほぼ同時期。
本作はもちろんフィクションながら、明治という時代が持っていた文化、風俗、社会階層の多様性、それらが生みだす軋轢への想像力に圧倒される。
各話のモチーフは、政商と西洋列強の癒着、没落大名と新興商人の格差婚、らい病差別、横浜居留地の外国人による詐欺商売、幼少期から商家に住み込む田舎出の丁稚に女中、神がかりの新興宗教(幕末~明治期は黒住教とか天理教とか沢山あった)、浅草の芸人と西洋仕込みの新劇関係者、町奴に鳶職、大陸浪人、南洋での真珠採取、按摩の家元(盲人ができる唯一の商売で徒弟制だしギルドもある)、新平民(被差別部落出身者)の解放と身分違いの恋……etcetc これらもまた等身大の明治史の一面。たぶん安吾は犯行のトリック考えるより、これら明治期特有の人間関係のドラマを考えるのが本当に楽しかったんじゃないのか。
本書が執筆された昭和20年代と劇中の明治20年代は約70年の時間差、奇しくも本書が執筆された時期と現在の時間差に近い。安吾は本作の執筆にあたり、自分が体験した戦前と戦後の文化や価値観の断絶を、明治維新前後の断絶に重ねたといわれる。そんな本書の発展形として、山田風太郎の『警視庁草紙』が生まれたのも感慨深い。
■4.ノンフィクション『銃・病原菌・鉄』ジャレド・ダイアモンド
https://www.amazon.co.jp/dp/4794218788
仕事のため10年以上も前のベストセラーを今さら通読。「農耕民より狩猟民の方が戦争に強そうなのに、なぜ世界のどこでも狩猟民は征服されたのか?」という10代のころからの疑問が氷解。狩猟民は基本的な小規模な集団だが、農耕で食料供給が安定すれば人口が増えて兵力も増すし、一定の人口がなければ社会的分業は成立せず、軍事が専業の武人階級も生まれないのか……。
本年の課題に関する部分では、歴史上の感染症の多くは家畜から人間に感染しており(インフルエンザは豚、天然痘は牛、マラリアは家禽が由来)、南北アメリカ大陸の先住民はほとんど家畜を持たなかったので、白人が持ち込んだ感染症への免疫がなかった――という話が印象深い。この理屈にしたがえば、現代でも中東のイスラム圏は豚由来の感染症に対する免疫がかなり弱いんじゃないのか。
■5.ノンフィクション『PUFFと怪獣倶楽部の時代』中島紳介
https://www.amazon.co.jp/dp/4860721594/
1970~80年代の初期特撮ライターたちの一代記。自分はまさに、本書の著者や、その盟友の富沢雅彦、竹内博(酒井敏夫)、聖咲奇らが関わっていたケイブンシャ怪獣図鑑だの、季刊のSF特撮専門誌『宇宙船』でオタク人生にはまり込んだ世代だ。
1971年に刊行された『原色怪獣怪人大百科』の編集には無名時代の佐野眞一も参加していた(106p)、1979年刊行の『大特撮』編集時は、東宝映画の『日本誕生』を見たことのある者がいなかったので、開田裕治が東京まで行って京橋フィルムセンターで見てきた内容を伝えて執筆した(350p)など、意外なエピソードが山盛りである。
21世紀の現在、「特撮オタク」を自称するとヒーロー好きと思われそうだが、彼ら初期特撮オタクは「怪獣オタク」であった。1954年の初代『ゴジラ』から、1966年に初代『ウルトラマン』が放送されるまで、怪獣そのものが主役の時代があり、本書に登場する1950年代生まれの初期オタクの多くはその時期に自己形成した世代だったからだ。
本書で改めて痛感したが、たかが怪獣オタクと言えど、彼らはやはり文化資産に恵まれたエリートだったんだなあと思わざるを得ない。何しろ『PUFF』同人メンバーの多くは東京都内かその近隣の首都圏在住で、親類に映画業界関係者がいて撮影所に子供の頃から出入りしていたとか、小学生の頃から名画座でジャンルを問わず昔の映画を観まくっていたとかいう話が普通に出てくる。途中で地方から上京してきた田舎者が新たに仲間に加わったりはしない(この点は、地方出身・大学デビュー組の初期オタククリエイター群像を描いた島本和彦の『アオイホノオ』と好対照)――そういう面も含めて、第一級の歴史民俗資料といえるだろう。
■6.ノンフィクション『全世界史』出口治明
https://www.amazon.co.jp/dp/4101207720
これも仕事のため急いで読了。何を今さらだが、人類史5000年間で、西洋文明の優位はホンの200年ほどだったという話。
たとえば、紀元前4世紀のアレクサンドロス大王の東方遠征は、すでにペルシア帝国が築いていた交通網を利用しただけ説(文庫上巻76p)。10世紀の段階で科挙という血筋や家柄ではなく学力による官吏登用システムを確立した宋は、間違いなく当時の世界最先端の国家だった説(文庫上巻250p)。イギリスの経済学者アンガス・マディソンの推計データでは、1700年当時、イギリスは世界のGDPの約3%、フランスは約6%、オスマン・トルコ帝国は約8%を占めるなか、清はじつに22%を占めたとの話(文庫下巻177p)。
つい先ごろも「2028年には中国のGDPアメリカを追い抜く」(https://www.bbc.com/japanese/55457085)なんて報道があった。これを一笑に付すのはたやすいが、1000年スパンの思考では「単に17世紀以前の力量差に戻っただけ」と解釈することだってできるのだ。
■7.漫画『戦争は女の顔をしていない』原作:スヴェトラーナ・アレクシエーヴィチ/作画:小梅けいと
https://rasenjin.hatenablog.com/entry/2020/02/01/034814
本作品は英雄物語ではない。単なるルポにも留まらず、戦時下に従軍した女性というある時代状況下・環境下の生活史に撤したナマの証言集だ。強いて言えば民俗学であろう。言うてみれば宮本常一の『忘れられた日本人』を漫画化したのと同じ。
劇中、戦後も誇らしげに愛国心を誇らしげに語る女たちを「あんなクソみたいな独裁者スターリンの言いなりになってw」と嘲笑うのはたやすいが、悔しいけど旧ソ連戦勝国である、そら堂々とした態度だろうさ。だが、たとえば黒澤明が戦時中に撮った『一番美しく』なんぞを観れば、最前線の戦場ではなく勤労動員の現場ながらも、日本でも戦時下では若い娘が「こんな私たちでもお国の役に立てるんだ!」と、愛国心に燃えて一致団結する現場があったことがわかる。
同じころアメリカでは、大量の先住民や黒人が軍に参加することで地位向上を果たした。こうして女子供や先住民族もまた、戦争を通じて、マジョリティに従属するだけに身分ではなく一人前の国家構成員となったのが、良くも悪くも「近代」の一側面。
■8.ノンフィクション『夜明けあと』星新一
https://www.amazon.co.jp/dp/4101098492
幕末~明治期の新聞記事スクラップ集。慶応4年(1868年)の『中外新報』記事によれば、コレラ流行下で、栓に使うコルクを焼いて飲むと治るとの流言。この手の疫病デマ、本当に昔も今も変わらず。明治10年(1877年)の『東京日日新聞』記事によれば、西南戦争帰りはモテるので花街で負傷兵を装う者が続出。明治22年(1889年)の『都新聞』記事によれば、物乞いなどに幼児を貸す商法が流行。明治26年1893年)の『東京日日新聞』記事によれば、内務省が「楠木正成の子孫は名乗り出よ」と布告したら、50人が名乗り出たがいずれも本物か怪しかったとの話。明治45年(1912年)の『萬朝報』記事によれば、紡績工場の女子労働者から「1日18時間労働はつらい」と67通の投書あり。
こうした王侯貴族とも英雄とも無関係なしょーもないディテールもまた、歴史の重要な一側面。戦前の日本人はみんな聖人君子だったとか大ウソっすよ。
■9.ノンフィクション『東條英機 「独裁者」を演じた男』一ノ瀬俊也
https://www.amazon.co.jp/dp/4166612735
「東條は早期から空軍力に着目」「開戦時の東條は庶民派イメージで国民に人気」など、従来の東條英機のイメージの刷新をはかった一冊。
序盤、明治末期の1912年、東條英機の父親の東条英教中将が、雑誌『新公論』の誌上で西本国之輔大尉と論争した話(22-24p)が興味深い。現役軍人が自由に雑誌で意見を述べられたのも当時ならではだが、階級が下の者が堂々と将官と誌上論争できた背景には、日露戦争後に広まったデモクラシーの空気(末端兵士の発言力の拡大)があったという。上記『戦争は女の顔をしていない』で述べたのと同じ図式。
先に触れた黒澤明の映画『一番美しく』で描かれたように、東條は国民総力戦体制を整備したが、成人女性の勤労動員には一貫して反対していたという。東條の男女観は保守的で、WW1末期のドイツのように国民の不満が反転したり、動員された女性労働者が権利主張を始めるのを恐れていたそうだ(320p)
大戦末期、近衛文麿らは「国民が納得しないので」、和平交渉の前に艦隊決戦を主張したが、これは「敵米英よりもむしろ自国民のほうを恐れていた」からだという(300p)。
本書の第四章を通して読むと、結局東條は、アメリカが要求する中国大陸からの撤兵を認めようにも、お仲間の陸軍将兵と国民が納得してくれないと考え、日米開戦に踏み切ったらしい。つまり、じつは東條も、果断さではなくむしろ優柔不断さゆえに開戦を選択したわけである。近衛文麿ばかりか東條も優柔不断だったとなれば、当時の日本に本当に果断な指導者などいたのか? 「『空気読め』の国」らしい話である。
■10.国立科学博物館 特別展『ミイラ』
https://www.museum.or.jp/event/93496
展示物は死体ばっかりだが、意外に女性客が多数。古代エジプトのファラオの棺の内側を初めて見たが、華やかな装飾に彩られ、死後の世界に極楽浄土のような明るいイメージを抱いてたのがうかがえる。あと、遺体の保存にはいろんな薬品や香料を用いたようだが、アルコールは使ってなかったと知る。南米では遺骸がしゃがんだ姿勢だが、古代エジプトは直立不動、日本の即身仏は座禅しているなど、文化圏によって埋葬のポーズが異なるのは興味深い。帰りに上野公園の野口英世像に疫病退散を祈願したが、当人も病魔に倒れてしまった野口じゃ力が足りんかったか。
■列外.TVアニメ『赤毛のアン』再放送
■列外.TVアニメ『未来少年コナン』再放送
■列外.TVドラマ『仮面ライダー』再放送
本年の予想外の収穫といえそうなのがテレビ放送の穴を埋めるための各種の再放送。
赤毛のアン』の序盤、風景や草木にいちいち詩的な名前をつけるアンの姿に、今さら「宮沢賢治ってこういう人だったんかなあ」などと妄想。くだらない想像力は人との軋轢も生むが日常を豊かにもする。宮崎アニメの魅力といえばやたらヒロインが挙げられるが、『未来少年コナン』の痛快さは、コナンとジムシー、ダイスの男同士の掛け合いにあったと再認識。初代『仮面ライダー』は、高度経済成長期も末期な1971~72年の風景(赤土むき出しの造成地、建設中で放置された団地、舗装されてない野外の道路)がもはや民俗資料。改めて見返すと、2号ライダー編で山本リンダが「困っちゃうな♪」と言っていたり、当時から東映らしいメタ的お遊びがうかがえる。どうでもいいが、本郷猛の「ライダ~、変身」を「ライタ~、貧困」と変えたら俺じゃ。
■鬼の威を借るネオリベ論者
世間の『鬼滅の刃』ブームとほぼ関係ないが、本作がきっかけで思い至った話。
鬼滅の劇中で上弦の鬼・猗窩座は、主人公の炭治郎相手に「弱者は淘汰されるべきだ」式の俗流ネオリベ論者みたいなことをドヤ顔で語る。俺はこの手の「世の中は弱肉強食だ」と言いたがる人士には食傷してるのだが、それは「大人の中二病」臭がするからである。子供の中二病は非現実的な背伸びの格好つけだが、大人の中二病は「俺こそ現実がわかってる。お前らはお花畑の理想主義者」という顔をするからたちが悪い。
この手の「世の中は焼肉定食だ」論者はたいてい、それが神の定めた自然の摂理だとか、世の中はそう決まっているとか、疑似科学俗流進化論・社会ダーウィニズム)だの、自分より大きな権威を論拠にしてものを言う。ここがうさん臭い。たとえば「”俺は”弱者は淘汰される世の中であるべきだと思う」とか「”俺は”弱者を淘汰したい」と、そいつ個人の意見として言ってるなら、共感するかどうかは別として、欺瞞は感じないのだが。
――確かに自然界は弱肉強食が基本かもしれないが、現実には、世界の海からイワシが絶滅して鮫だけになることはなく、青虫が絶滅してカマキリだけになることもなく、奴隷や農民が死に絶えて王侯貴族だけの国が実現することもない。
世の中には、なんとなく強い者もいれば弱い者もいる。強者に捕食される弱者は大勢いるが、なぜか捕食されず生きのびてしまう者”も”多数いる。良いことでも悪いことでもなく、それが事実現象としての「現実」なのである。
世の中は自由競争で焼肉定食だと力説したがる自称現実主義者は、「人はみな平等であるべき」という理想主義の欺瞞を非難したいのだろうけれど、逆に、常にすべて自由競争で弱肉強食になるとは限らないのもまた現実なのである。
だから、反対に「我こそ弱者、みんな俺に同情しろ」しか言わない人士もまた、状況次第では自分が人を踏みつける側になってるかもしれないという想像力を持って欲しい。
■本年、書き落としたことなど
●1970年生まれなので、今年で50歳になる。自分が10代のころ(1980年代)から見て「50年前」は戦前だった。2000年から見ての1950年は、まだマッカーサー元帥がいた戦後の占領期で、テレビ放送(1953年)も始まっていなかったし、鉄腕アトムゴジラもいなかった。しかし、1970年にはすでに、ほんどの世帯にカラーテレビがあり、『ウルトラマン』や『サザエさん』が放送され、漫画誌には『あしたのジョー』や『巨人の星』が連載されていた時期だ。そう考えると、1970年はあんまり昔に感じない――などというのが老害の感覚なんだろうな。ま、ネットと携帯端末がある生活(これが確立されたのは1990年後期)が普通の平成生まれからすれば、1970年はとんでもない太古であろう。
●良い意味でも悪い意味でもドナルド・トランプにはカリスマ性がある。カリスマとは、それを支持する者たちの方が勝手に見いだすものである。
アメリカでBLM(Black Lives Matter)に関連する暴動が多発した時期、「アメリカ白人男性にだけは同情するが、同じアジア人、日本国内の女子供には同情しない人たち」(日本のリベラル派を逆にしただけ)が、「そら見ろ黒んぼ共は凶暴だ、人種差別反対とか言ってる奴らはクソだ」大喜びし、逆に日本のリベラル派は「BLMの趣旨には賛同するが暴動は共感しない」などとヌルいことを言っていた。
どっちも浅い。「人間ブチ切れればそんぐらいやるさ」って話っすよ。日本でも終戦直後にはメーデーで食糧暴動が起きたし、1960~70年代の大阪の西成では例年のように暴動が起きてたではないか。「そんなのは反日左翼だけで、日本人の大多数は品行方正だ」だって? 1905年に日露戦争が集結した直後には「ロシアから賠償金を取れ! さもなくば戦争を再開しろ!」と”愛国的”な理由で大暴動が起きて、ぜんぜん関係ない市電も焼き討ちされた。右の人士も左の人士も、群集心理の暴走を他人事と思ってはいけない。
●本年、コロナ禍に関連して1918~1920年スペイン風邪があちこちで引き合いに出されたが、一個人的に驚いた事実。高校世界史の用語集としてロングセラーの『世界史B 資料集』(山川出版社)には、なんと「スペイン風邪」の項目がない!! (「黒死病」の項目はあるのに)。世界人口が20億人の時代に推計2000~5000万人が死んだ災厄でも、その前後に起きた第1次世界大戦や世界恐慌の規模に比べれば、受験知識としては覚える必要のない事象と見なされているのである。22世紀には「コロナウイルス? ええと、そんなのあったね」という扱いになっている可能性とて、ありえない話ではない。
■回顧と展望
また備忘録のように本年やった仕事の一部を列記。
『10の感染症からよむ世界史』(https://www.amazon.co.jp/dp/453219993X
ペスト、天然痘、黄熱などの項目を担当。活版印刷の普及とカトリック教会の失墜はペストによってもたらされ、結核療養所は鉄道の普及とともにヨーロッパに観光ブームを広め、マラリア治療薬のキニーネ利権はその原産国であるインドネシアの戦後政治をも左右した。当方担当ではないが、コレラの項目などで取りあげたニセ薬やインチキ治療法の話はまるきり現代と変わらない。14世紀の黒死病時代は約半世紀も続いたが、その間ただ人が死にまくっただけでもない。厄災の下でも人々は日々、飲み食いしたり異性といちゃつき、ルネサンス文化の発端が開かれた。コロナ禍でも長期戦の思考が必要と痛感する。
『真説日本史ミステリー 地図帳で明かす天皇家の謎100』(https://www.amazon.co.jp/dp/4299009959
風水都市の藤原京、なぜか楊貴妃の墓がある熱田神宮、地下に秘密基地があると噂される国立昭和記念公園など、天皇家に関連する歴史的スポットを紹介。古墳時代平安時代と明治以降に話が偏るのを防ごうとしたら、後醍醐天皇関連の南北朝ネタが多くなった。
『絶景×神社 美しすぎる日本の「聖地」完全ガイド』(https://tkj.jp/book/?cd=TD012517
住吉大社伊勢神宮熊野三山大神神社など畿内とその周辺を担当。コロナ禍で実際には参拝できない人を想定して、判型が大きく美麗な写真を贅沢に使ってます。
『一冊でわかる中国史』(http://www.kawade.co.jp/np/isbn/9784309811062/
唐代から中華人民共和国まで、全体の約2/3を担当。中高生が想定読者の本ですが、モンゴル族元朝満洲族清朝の違いは何か、朱子学が日本の勤皇運動に与えた影響、宮崎滔天頭山満辛亥革命支援などなど、教科書的記述を補う視点も多く織り込みました。
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自分はもとより自宅が仕事場の生活を続けているので、本年は驚くほど生活の直接的な変化は乏しかった。最大の影響と言えば、2019年秋から半年以上かけて文庫一冊分書いていた仕事が無期限延期になったぐらい(2020年東京五輪に関連する要素などが入っていたので)。年収も落ちたが、昨年に改元景気で9刷まで行った『元号でたどる日本史』の印税収入とほとんど相殺だ。
何しろ50歳であるから人生の残りはよくて約20年である。とはいえ、こちとら小学生の頃からさんざん「1999年にはノストラダスムの大予言が~」「米ソ核戦争の危機が~」と吹き込まれ、ついぞ何も起きないまま冷戦時代は終わって21世紀を迎え、2001年の911テロも2011年の東日本大震災も、あれだけ世界が大騒ぎしても自分個人には何の影響もなかった世代である。ま、中世の黒死病時代にもスペイン風邪の時代にもこんな奴はゴロゴロしてただろう。世相がどうあろうが、こっちは勝手にしぶとく生きのびるつもりです。
それでは皆様、よいお年を。