電氣アジール日録

自称売文プロ(レタリアート)葦原骸吉(佐藤賢二)のブログ。過去の仕事の一部は「B級保存版」に再録。

それでは皆様よいお年を

また年に一度の報告会だがくそ長いぞ。

■2022年最後の挨拶とか年間ベストとか
例によって本年の収穫物など。
1.小説『死の家の記録
2.漫画『まんが道
3.学術書資本論』第1巻
4.TVドラマ『鎌倉殿の13人』
5.漫画『タコビーの原罪』
6.ノンフィクション『アリストテレスアメリカ・インディアン』
6.TVドラマ『ふたりのウルトラマン 沖縄本土復帰50年』映画『シン・ウルトラマン
8.エッセイ『金魚すくいは金魚にとって救いにはならない』
9.映画『月光仮面』(1981年版)
10.特別展 きみとロボット』(日本科学未来館
列外.人造人間キカイダー仮面ライダー龍騎機動戦士ガンダム水星の魔女

■1.『死の家の記録ドストエフスキー/工藤精一郎 訳 (https://www.amazon.co.jp/dp/410201019X
6月中、あまりに暑いのでシベリア流刑地の話でも読めば気分が涼しくなるかと考え、長年の積ん読に手を出す。だが、シベリアでも夏の労役の方が「五倍も苦しい」(新潮文庫版34p)と書かれてるw
本書は小説だが作者自身の体験を元にした話だ。監獄の何が辛いかといえば、普通は自由がないとか外界と隔離されるとか書きそうなものだ。しかしドストエフスキーは、「おそろしい苦痛が、獄中生活の十年間にただの一度も、ただの一分も、一人でいることができないことにあろうとは、わたしは絶対に想像できなかったろう。作業に出ればいつも監視され、獄舎にもどれば二百人の仲間がいて、ぜったいに、一度も――一人きりになれない!」(新潮文庫版17p)と、恨みがましく語る。さすが『地下室の手記』の作者だ。この正直な人間嫌いの表明は良い。一人の時間が許されない辛さは俺も味わったからよく知ってる(http://www.axcx.com/~sato/bq/198801.html)。世の中には大勢でいるのが嫌な人間もいるんだよ!
シベリアの流刑地においても、こっそり外界から金品を持ち込んで商売する奴もいれば、看守を買収したり、物売りに来る女性に手を出したり、囚人仲間の金を取ったりの出し抜き合いもある。人間はどんなことをしても生き延びようとするし、どんな環境でも悪知恵を働かせる者はいるのだ。そういや、山田風太郎も書いてたな。「曾て今こそ最低生活なり、この線をきって下降せば国民の生活は破滅すと思いしこと両三度にとどまらず。併し己は、「人間は死ぬまで生きているのだ」という明瞭なる事実を失念していた。」(『戦中派闇市日記』三月一日)。これは財布も身体も危機になった本年の実感(後述)。
流刑囚の世界は、人間の本音と力関係がむき出しだ。囚人に寛容なリベラル看守はかえって舐められ軽蔑されるし、囚人にも最後の精神の拠り所としてのプライドがあるから、恩義や貸し借りをむしろ屈辱だと思って拒否する者だっている。
しかし一方、囚人たちの間にも信頼関係はある。獄中で唯一、皆が信用して金を預ける相手は、カトリック信徒の老人だった。正教徒が多数派のロシアでは完全にアウェーでも一人で信仰を貫いてる無欲で潔癖な偏屈者だ。10年以上前に『スターリンヒットラーの軛のもとで 二つの全体主義』の評でも書いたが(https://gaikichi.hatenablog.com/entry/20091231/p3)、孤立した環境でも一人で神と対話してる者は強い(一種の狂気だ)。集団の場の空気に精神を支配されてるだけの日本の新興宗教の信徒とは根本から違う。
そして、流刑囚の間では、ロシア人でもポーランド人でもイスラム教徒のタタール人、チェチェン人でも、凶悪殺人犯でも、官憲の暴力に屈しない強い意志の持ち主は民族に関係なく尊敬を受ける。また、文化果つる地の貴種憧憬なのか、意外にインテリ階層の流刑囚の話を聞きたがる囚人やシベリア住民もいる。支配階級やその手先の官憲や看守の価値観と関係なく、民衆にはゆるぎない下世話でしぶとくも誇りある民衆の世界があるのだ。
――案外と、現在のウクライナ戦争が続くロシアの田舎の庶民にも、プーチンを冷めた目で見ている面従腹背の人間は少なくないのではないか。またプーチンも、そんなタフで地道なロシアの民衆を味方に引き込みたいからこそ、必死にEUアメリカの文化堕落(反キリスト教的なLGBTだの)とか、ネオナチの脅威やらを説いているのではないか。

■2.『まんが道藤子不二雄Ahttps://www.amazon.co.jp/dp/4120015203
春先に月に豊島区のトキワ荘ミュージアムを見に行き、無性に本作が読みたくなって中野区立図書館とまんだらけでゲットしたら、直後に作者の訃報が。
藤本弘藤子・F・不二雄)はついぞ思春期的なテーマの長編を描かなかったが、安孫子 素雄(藤子不二雄A)は本作と『少年時代』という大傑作を残した。ひょっとして藤本弘の最大の業績は、相方に劣等感を与えたことではないか? 安孫子はそれをバネに大きく成長した。小学生の頃は会社員を三日でやめた藤本はさすが天才、新聞社に一年以上務めた安孫子は凡人だなあと思ってたけど、いやその新聞社時代の下積み経験が重要なのだ。周囲の目立たぬ大人からも学ぶべき点はいくらでもあったりする。
本作は史実そのままではないが、それでも貴重な歴史民俗資料といえる。劇中の満賀と才野(as安孫子と藤本)は、高校時代から大量に映画を観ているが、圧倒的に西部劇ファンだった。西部劇漫画も大量に描いたし、『ドラえもん』でのび太が射撃の達人なのはその名残だ。一方、時代劇を観ることはほとんどなく、時代劇漫画は苦手だとハッキリ書いてる。これは『まんが道』の劇中が戦後の占領期(1946~1951年)と重なるのと無縁ではない。当時、GHQは仇討ち物を中心に時代劇を制限し、アメリカ的価値観の宣伝手段として西部劇をはじめとするハリウッド映画を広めた。これに対し、手塚治虫(1928年生まれ)は日本の歴史物も大量に描いてる。安孫子と手塚の年齢差はたった6歳。それでも、戦前と戦後、富山県の高岡と兵庫県の宝塚という文化環境の差は大きかったのだろう。

■3.『資本論カール・マルクスhttps://www.amazon.co.jp/dp/4003412516/
本年、仕事のため読んだ本で一番印象深かった一冊。マルクスは本書の前に『共産党宣言』で、人類の歴史はすべて階級闘争の歴史だとトヤ顔で書いた。これを真に受けたマルクス主義歴史学階級闘争史観)は、今ではさんざん叩かれてる。実際、人類の歴史は常に被抑圧階級が悪い権力者を打倒してバンザイというパターンばかりではないし、本当に時代が進むにつれて世の中が良くなってるのかはビミョーだ。
だが、『資本論』第1巻の第24章(ここは経済学ではなく歴史の話)を読めば、当のマルクス自身、王侯貴族の封建的な土地支配が崩壊したり、産業革命で科学技術が向上しても民衆の待遇はちっとも良くなってない。むしろ農地という生産手段を失い、自分の労働力しか売る物がない身分に転落してますます貧乏になってると、進歩の問題点を力説してる。マルクス主義歴史学の人たちは、ここをきちんと読んだのか? と言いたい。
近代以前の農村は自給自足が基本だから、みんな自分が栽培した米や麦、自作の味噌や蓑笠やわらじを使ってた。ところが、資本主義(商品生産社会)になったら、みんな工場で作ったものを買わないといけなくなった。
マルクスはそのように、すでに資本主義が「自分が作ったものを自分が所有する」という私有のあり方を破壊してる、だったら究極的には私有財産制がなくなるんじゃねえの、と言ってるのであって、これは資本主義が招いたボケに対するノリツッコミなのである!

■4.『鎌倉殿の13人』脚本:三谷幸喜https://www.nhk.or.jp/kamakura13/
本作については多くのことが語られているが、粗野で陽気な坂東武士がそのまま内ゲバ粛清地獄になる展開に説得力が溢れてるのが怖い(史実通り)。日本人は昔から平和的で国家に忠実だったとか大ウソ。武士とか公家とかの身分と地域、さらに「××家」という一族郎党こそが帰属意識の基盤で、郎党のため必要となれば昨日までの仲間だって天皇だって平気で裏切る――それが中世クオリティ。近代の途中までの村社会もそんなもんっすよ。
そして、小栗旬の演じる北条泰時がある時期から冷酷な独裁者と化すのではなく、だんだん狂気に陥ってく積み重ねが怖い。西田敏行後白河法皇は『仁義なき戦い』の山守の親分そのまんまだ(これも史実通り)、北条政子役の小池栄子の台詞外の演技も目を見張る。源頼朝の死後に尼僧姿で泣く場面では、涙は少しでもちゃんと鼻の頭が赤かった。

■5.『タコピーの原罪』タイザン5(https://shonenjumpplus.com/episode/3269754496638370192
すごく久しぶりに「本物の子供目線の物語」を読んだ印象。たとえば新海誠の映画とか、十代の少年少女の心理をじっくり描こうとする作品は多いが、思春期の少年少女の自意識だけで話が閉じてるものは面白くない。本作ははっきり「大人や世界に対する無力感」が描かれてる、これが重要。だって現実の子供は、世界が学校と家だけで本当に狭いし、親は選べないし、大人の前じゃまったく選択肢がないぞ。子供の目線では、本当に運の悪い偶然だけの組み合わせとしか思えない事態だってある。さらに、子供だけで何かを解決できると思っても悲惨なことにしかならない……本作はそこをじっくり見せている。あとヒロインが学習性無力で弱っちそうだけど別に良い子じゃなく、殺意全開なのがいい。怒れない人間は困る。そして、劇中であっさり人は死ぬし、けっこう怖い内容なのに淡々とした不思議な透明感と、被害者意識だけに偏らない公平な目線。安達哲の漫画『さくらの唄』と、桜庭一樹の小説『砂糖菓子の弾丸は撃ちぬけない』の初読時の感じを思い出した。

■6.『アリストテレスアメリカ・インディアン』ルイス・ハンケ/佐々木昭夫 訳(https://www.amazon.co.jp/dp/4004130638/
昭和中期の岩波新書のなかでは埋もれた奇書ともいえる一冊。16世紀、南北アメリカ大陸に住む異教徒の先住民も白人キリスト教徒と同じ人間かをめぐって、カトリック教会と神学者ラス・カサスらがくり広げた大論争のお話。
当時の白人植民者の目線は、俗流なろう系異世界ラノベの転生者にそっくりなのに驚く。故郷のヨーロッパでは平民でも新大陸に来れば貴族か騎士様気取りで、新大陸を巨人やドラゴンやユニコーンが住む地と思いながら探検し、現地住民は同じ人間ではないから(異世界ファンタジーでのオークやゴブリンみたいな扱い)何をしてもよいと思ってる。
そんな状況下、ラス・カサスらは人種の平等を説いたが、これは近代的な合理主義による人権思想ではない。「神の前では万人は平等」というキリスト教の考え方を徹底した結果だ。このため、キリスト教以前のギリシャの大哲人アリストテレスだって、異教徒なんだから地獄行きだよとあっさり切り捨てる。こういうのが本物の宗教の強さと怖さだ。

■7.『ふたりのウルトラマン 沖縄本土復帰50年』(https://www.nhk.jp/p/ts/PN3P16XW6Y/episode/te/RYXZ186VWJ/
 『シン・ウルトラマン』(https://shin-ultraman.jp/
6月に『シン・ウルトラマン』を観に行って、本当にすごくよくできてるんだが、こんな俺みたいなおっさんオタクが喜ぶネタ満載でいいのかとビミョーな気分になる(本作は初代ウルトラマンの諸要素を巧みなアレンジで再現してたが、劇中の禍特対が禍威獣の研究分析チームであって戦闘は主任務ではないのがポイント。原典の科学特捜隊も本来はそう。斎藤工の演じる主人公の神永が、山本耕史のメフィラス人間体と会話する場面のような、日常的風景とSF的要素の不思議な混在も実相寺昭雄がよくやる演出だった)。
そんななか、本作に乗じてNHKが放送した『ふたりのウルトラマン 沖縄本土復帰50年』が渋かった。ほとんど初代ウルトラマンの原作者と言える脚本家・金城哲夫の挫折は、上原正三の著書『金城哲夫 ウルトラマン島唄』などで語られてる。本作は金城と、円谷プロダクションの監督ながら経営にも関わっていた円谷一の友情と行き違いをメインに描き、最後は金城の死後も多くのヒーロー作品を手掛けた上原の目線で終わる(その上原も2020年に物故した)。1960年代当時、返還前の沖縄は「外国」だった。多くの日本人が愛したウルトラマンは、本土から疎外された異邦人の視点から生まれたのだ。この事実は何度でも語っておく意義がある。

■8.『金魚すくいは金魚にとって救いにはならない』高井守(https://www.amazon.co.jp/dp/B09NRGQWSZ
高井氏とは興味関心が半分ぐらい重複するが(最初期のコンピュータ史、ベンヤミンオーウェルら1920~30年代の知識人、東欧や中央アジアのマイナー国史、1960~70年代の特撮などなど)、残り半分はまったく別物だ。それでも、1990年代から勝手に以費塾門弟の兄貴分として仰がせてもらってきた。
氏は堂々と左翼を自称しているが、欺瞞的な大衆性善説は口にしない。自分も含めて人間はくさいしきたない、だからこそ人間は誠実さと公平さを持たなければならないという考え方がうかがえる。このツイート集の多くは、自戒と明るいニヒリズムを下地にしたユーモアが漂う。「みんな自分の自由は好き。他人との平等はきらい。」(2015-3-15)。
人間に虫の良い期待はしないけど、より良くする意志は捨てないって大事。

■9.『月光仮面』(1981年版)原作:川内康範https://www.allcinema.net/cinema/86044
長い間映像ソフト化もされず、小学生のとき劇場で見たきりの幻の作品だったが、youtubeに転がってたのを畏友のTwitterから偶然発見。
初見時も感じたがわりと大人向けの作風だ。本作の悪役ニューラブカントリー教団は、社会に不満を抱く若者を集めて自分たちだけの国を作ろうと唱え、その資金を得るため裏で凶悪事件をくり返す。まさに、オウム真理教赤軍派に、アメリカの人民寺院とブランチ・ダビディアンを足した雰囲気。今にして思えばすごく嫌なリアリティにあふれてる。
劇中では月光仮面が往年のヒーローとして多くの人々に知られているというメタ的設定。月光仮面はオーソドックスなヒーローではなく、教団が秘密裏に強奪した金を横取りして不遇な人々に寄付するなど、一種の劇場型義賊のように描かれる。作品全体のノリも『太陽を盗んだ男』『蘇る金狼』『野獣死すべし』のような同時期のピカレスクアクションっぽい。このへん、若者がシラケ世代などと呼ばれ、真面目な正統派主人公が受けにくくなった1970年代末~80年代初頭の世相を反映した感が強い。
そして、劇中歌の「月光仮面はきみかもしれない」というフレーズが印象的。川内康範は、月光仮面について「けっして主役じゃない、裏方」「正義そのものではない」、だから「正義の味方」だと語っていた(『箆棒な人々』(太田出版)245p)。つまり、正義の実行者はあなたかも知れない、月光仮面はその味方なのだ、というわけだ。

■10.『特別展 きみとロボット』日本科学未来館https://www.miraikan.jst.go.jp/exhibitions/spexhibition/kimirobo.html
人型ロボットやドローンばかりでなくサイボーグ義肢の展示も多数。乙武洋匡がみずから被検体に志願した「OTOTAKE PROJECT」で使われた義足の実物も展示されてた。これについては『モノノメ』第2号(https://slowinternet.jp/mononome2/)の記事を当方も少しだけ手伝ってる。『機動戦士ガンダム 水星の魔女』のスタッフも取材に来たのではないか? あと動力なしのパワードスーツ(着る竹馬だ)が面白かった。

■列外.『人造人間キカイダー
放送50周年ということで東映特撮youtubeで無料公開を毎週視聴。ある意味で小学生のころ一番熱中した番組(1980年ごろの再放送だったけど)。ほぼ毎回主人公ジローが敵のギル博士の笛の音で乱心、ミツコとマサル姉弟と父の光明寺博士がすれ違いの大いなるマンネリ。だが、見返りを求めず戦う醜い不良品ロボット・キカイダーの悲壮感はこの時代特有。1970年代当時は、特撮ヒーローだけでなく時代劇も刑事ドラマもこんなんばっか。こういうストイシズムは本当にTVから消えて久しい。
疎外感を抱える異形の怪物的ヒーローは石ノ森章太郎の偉大な発明品だ(Amazon配信の『仮面ライダーBLACKSUN』を邪道とか言ってる奴ぁ素人のニワカ)。これは思春期的な感情で、漫画版でははっきり怪物と人間の一方通行の恋が描かれてる。このモチーフは弟子筋の永井豪デビルマン』に継がれ、今も『東京喰種』や『チェンソーマン』まで人気だ。それがなぜ1980年代には一度すたれたのか? これは真面目に考える意義がある。

■列外.『仮面ライダー龍騎
こちらも放送20周年を機に東映特撮youtubeで無料公開。よくできたヒーロー物フォーマットも伝統芸能のように形骸化しては意味がない。この時期の平成ライダーは、仮面ライダーの名だけ冠しつつ従来のヒーローの解体に意欲的だった。見返すと主人公の真司が当初は本当にヒーローらしくない。それが、ノリが軽いようで本音を見せない北岡弁護士(仮面ライダーゾルダ)、「人間はみんなライダーなんだよ」の名言を吐いた強欲社長の高見沢(仮面ライダーベルデ)、責任感も使命感も強固な香川教授(仮面ライダーオルタナティブ)といった大人と対峙しつつ、強い意志の持ち主に成長していく。各々の正義を掲げる者同士の群像劇、巨悪と戦うのではなく並列な関係のドラマが当時は画期的だった。

■列外.『機動戦士ガンダム 水星の魔女』
ガンダムシリーズも、ガンダムの名だけ冠しつつ若手スタッフが自分の作風を試すコンテンツとなって久しい。それでも、古典的な国家間戦争ではない非対称戦争や経済戦争が問題となる21世紀に、えんえんと「地球在住者VS宇宙移民者の独立戦争」の図式をくり返すのはずっと不満があった(富野由悠季自身はとっくにこの図式を卒業してる!)。
そんななか本作は、学園物の皮をかぶりながら。地球在住者の方が差別されるというひっくり返しを初めてやったうえに、国家ではなく企業を敵とする経済バトル(単に敵を倒せばいい武力闘争よりずっと複雑だ)を描いて「おおっ」と目を見張る。
脚本の大河内一楼氏は以前に一度だけゴードギアス本の『クリティカル・ゼロ』(http://www.kisousha.co.jp/geass/)で取材させてもらい、自分と同世代のアニメ関係者の中では少しシンパシーがあるが、キャラクター同士の信頼関係が築かれる過程や、逆に些末なすれ違いの積み重ねを描く手腕にますます磨きがかかってる。『少女革命ウテナ』との対比はさんざん語られてるけど、本作はヒロイン二人が単純な「守る/守られる」関係ではなく、相互的に影響し合ってるのが良い。
で、本作は同性間の関係を描いているからそれだけで素晴らしい(あるいはけしからん)ポリコレ作品だとか、逆にあれは恋愛ではないからダメだとかいう論議があるが、じつにくだらん。「恋愛」でなければならないという考え方こそ臆見では? 単純な男女役割分担ではなく、同性間にも多様な強い絆の関係性(チームメイト、主従、ライバル、戦友…etcetc)があり得るのを描くのが百合とかBLの自由度だろうに。だったら『兵隊やくざ』や『県警対組織暴力』も、同性間の強い絆を描いているからそれだけで素晴らしい(あるいはけしからん)ポリコレ映画なのかよ? これはギャグではないぞ! 実際に男ばかりの関係を描くヤクザ映画を論じてきた春日太一は『俺たちのBL論』を書いてる。

■回顧と展望
父親と母親が死んだ年齢を2で割ると52歳なので、30歳当時はそれぐらいが自分の寿命かなあと考えてた。本年その年齢になったが、どうもまだ死ななそうだ。
12月の頭あまりに喉が痛いので検査に行ったらコロナ陽性が出たが、その前に別のケガ(転んで肩をぶつけた)でアスピリン系の鎮痛剤(ロキソニン)を飲んでたせいか、まったく平熱のまま味覚と嗅覚も異常なく、4日間ぐらい激烈に喉が痛かっただけで終わった。水を飲むのも辛いぐらい喉が痛いので、狂犬病だったらコロナよりヤバいぞと思ったのが恐怖の頂点。そのあとは一週間ぐらい外出できずにだらーっと過ごしてただけ。それで12月まで上映していた4Kリマスター版『王立宇宙軍』を観に行きそびれた。
肩の打撲で抵抗力が落ちてなければ発症してなさそうなのに、そのため処方された鎮痛剤のため症状がほとんどなかったのだから、禍福は糾える縄のごとし。
しかし、こうして50歳過ぎのおっさんが見苦しく自分の生命に執着してる一方、ウクライナでは20代の若者が消耗品のように死んでいる。命の値段が1ルーブル50コペイカぐらい(戦前の日本風に言えば一銭五厘)の感覚。つくづく人間の命の値段は不平等なり。
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たださぼってたと思われると嫌なので本年の仕事の一部を記しておきます。
『マンガでわかる資本論池田書店https://www.amazon.co.jp/dp/426215582X/)。マルクスの生涯から、交換価値、金の物神性、ソ連がダメになった理由、ブラック企業経営者側の都合、資本家もまたシステムの奴隷……といった話を説明。監修の的場昭弘先生には、近代以前の商業と近代の資本主義の何が違うか実地によぉーく説明してもらいました。英国では産業革命の前すでに土地から切り離された近代プロレタリアが成立していた! 第三次産業中心の今やどこの国も勤労者の大部分がその状況だ。
『図説日本の城と城下町(3) 江戸城』(https://www.amazon.co.jp/dp/4422201735/)。大名屋敷跡が官庁街になった霞ケ浦神田川沿いの高低差が町のカラーを分けた内神田とと外神田、徳川家菩提寺のある上野と元は港湾都市だった浅草、江戸時代から学び舎が多かった本郷と小石川などを担当。東京に来て30数年、実地取材のため初めて東京都の東側を自転車で走り回ったら、新宿区の四谷と皇居、上野と秋葉原の近さを実感した。
『復活事典』(https://www.amazon.co.jp/dp/4862556485/)。ここ10数年のあらゆるジャンルのリメイク作品や再ブームを網羅。これは映画やアニメや1980年代シティポップや競馬ブームだけではない。ファッションじゃ黒髪も復活したし、パワースポットめぐりは江戸時代の寺社参詣の復活だ。上皇も200年ぶりに復活したしね。
『分離・合併事典』(https://www.amazon.co.jp/dp/486255671X/)。こちらはあらゆる分野の「系統図」を網羅。犬の品種、映画ジャンル、ジオン公国から腐るほど多いネオジオン系組織、JRグループ自民党の派閥、右翼、左翼団体に源氏、平氏、さらには原始人から縄文人弥生人まで。今の生物学では鳥と爬虫類は同一の分類なんやぞ。
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本年の収穫物と体験の総論めいたことを偉そうに述べると、確かに世の中は生存競争ではあるけど、現実には武力で敵を倒すより、好きでもないものといかにダラダラと共存するかの方がよほど大変なのだ。ウイルスでも隣国でも家族でも元首相でも、ただ殺せばいいなんて単純なものじゃない。ま、「俺はあいつ嫌いだ」ぐらいはハッキリ言いますけどね。
というわけで当方はまだ生きるつもりなので皆様よいお年を。