電氣アジール日録

自称売文プロ(レタリアート)葦原骸吉(佐藤賢二)のブログ。過去の仕事の一部は「B級保存版」に再録。

中身スカスカのプロパガンダ 切れば血の出るプロパガンダ

『映像の20世紀』と同時に友人にもらった昔のNHK特番の『ヒトラーと6人の側近たち』を観る。ゲッベルスの講演でのプロパガンダの手法が詳しく解説されていた。
広大な密室空間の公会堂に集められた何千人もの聴衆、はじめは戦死した女子供とかの感傷的な話で自分の人間性をアピール、観客が同情から共感してきたところで、だから諸君、国家総動員体制に協力してくれ! きみたちこそ選ばれしエリートなのだ! とかナントカ煽る、密室の会場内は割れんばかりの拍手、躊躇してる奴がいると「何だお前は賛同しないのか?」とばかりに、逆らえない同調圧力と来る――ふと気が付けば、皆、総動員体制の中で馬車馬となって働いてましたとさ……という次第。
なんじゃこれは? 俺がつい数年前に、日本で体験した、ネットワークビジネス(マルチレベルマーケティング)商法の集会とまったく同じではないか!
現代のファシストは「お国のため」「党組織のため」などとヤボなことは言わない。表面上、「貴方の資産を増やすため」「貴方の社会的成功のため」とホザき、密室空間に集めたカモたちを、きみたちこそ選ばれしエリートなのだ! と煽って乗せるが、結局は、そうやって自社の集金活動の奴隷にしたいだけである(その程度の昂揚だから、簡単に乗せられた奴らは、うまく行かなければすぐに「騙された」と言って逃げ出す)。
しかし、同じ実録映像でも『ハワイ・マレー沖海戦』で何万人もの少年航空兵が訓練のため一斉に体操してる場面とかにはまったく嫌悪感なく、むしろうっかり本気で感動を覚えるのに、なぜ、ゲッベルスの講演、いや、現代のネットワークビジネスの集会はムカつくのだろうか?
それは要するに『ハワイ・マレー沖海戦』では、その少年航空兵たちの一人一人が、貧しい田舎の農村出身の若者である事がきちんと描写され、彼らは皆、厳しい上官によって課されるキツい訓練に自ら身を投じている矜持が感じられるからであろう。これに対し、ゲッベルスの、いや、現代のネットワークビジネスの経営者の講演は、ただ座ってるだけの聴衆に馴れ馴れしく擦り寄り、きみらは何の努力もなくても、この場にいるだけで、成功を約束された者なのだ、とかナントカ言って乗せる……この態度が欺瞞的なのだ、多分。
終わりに見た街』も、戦時下の本物の一蓮托生気分は、良くも悪くも、そんな言葉ヅラだけのプロパガンダとは大違いだという辺りも意識してくれてりゃ、説得力が出たろうにと思うのである。