電氣アジール日録

自称売文プロ(レタリアート)葦原骸吉(佐藤賢二)のブログ。過去の仕事の一部は「B級保存版」に再録。

雛見沢の「空気を読め」天皇制

わたしはルワンダや旧ユーゴのような「ふつうの人」による集団凶行の類がいっさい他国の話とは思えない。
いきなり奇をてらった例を持ち出すが、たとえば『ひぐらしのなく頃に』の話の舞台になる雛見沢という架空の村では、住民がグルになって村の存続を脅かす外敵をぶっ殺すわけだが(正確には、そう言われているだけで、噂が一人歩きしているのだが)、重要なのは、この雛見沢の住民がとくに邪悪なわけではないとゆうことだ。
ふだんはまったく普通の生活を送っている人間が、必要に迫られれば凶行も行なう。しかしその翌日には家族と普通の生活を送っている、こう考えると怖い。
村の重鎮が「あいつは村にとって邪魔だね」と言うと、そいつのことを明確に「殺せ」と言わずとも、下々の人間が自分から「空気を読んで」邪魔者の排除を実行する。しかし、何しろ誰も明確に「殺せ」なんて言ってない。でも、結果的に邪魔者はパージされたのだから、村の住民はみなそれ以上の詮索はしない、ということで調和が保たれる。
わたしはこれが、いちノベルゲームの特異な設定とは思えない。このシステム、どこかで現実にあった気がするぞ? なんだ(イヤ〜な意味での)天皇制じゃねえか、と。
戦前の日本では、皇室関係者が政治家などの名前を挙げて、なんとなく「あの○○という男は困るね」とか言うと、それが回り巡って下々の右翼に伝わり、「空気を読んだ」右翼によってその○○というヤツが暗殺される(追記:実際には、襲撃の前に警告→そのうち失脚か?)、というシステムが機能していたという。
この手のシステムはあちこちで見られる。
以前も一度書いたが、わたしが1990年代の初頭に一水会鈴木邦男氏の勉強会に出入りしている人物から聞いた話では、多くの右や左や宗教の団体には、創価学会の関係者が入り込んで内部情報を探ってたりするそうである。で、重要なのは、別に上層幹部がそういうことをやれと明確な指示を出しているわけではなく、命じられなくてもそういうことを自発的にやる人間がごろごろいるのだそうだ。

空気のような象徴圧力

下々の人間が「空気を読んで」自発的にやったことなら、上の人間の責任は問われない。
もっとも、組織上層の人間も少し考えれば下々の連中の心理と行動の見当はつく。
この点、イッセー尾形昭和天皇を演じた、ソクーロフ『太陽』では、昭和天皇は、自分をとり囲む軍人や政治家とのすれ違いぶりに振り回されながらも、一方で、当人に悪意はないまま(←ここが重要!!)そういう下々の人間の心理と行動をわかることができていない天然ボケのような人物として描かれる。
映画『太陽』のラスト近く、昭和天皇人間宣言を音盤で発表することを決めたあと、皇后と再会する。皇后に抱きつく昭和天皇はいたってふつうの人らしく微笑ましい。ここで観客は、不自由な現人神天皇は等身大の人間天皇になれて良かったね、と思う。
ところが、直後に、人間宣言の収録を命じられた録音技師が自決したと伝えられ、桃井かおり演じる皇后は、すさまじく気まずそうな顔を見せる。
イッセー尾形演じる昭和天皇は明らかに、自分が神格を否定すれば、彼を崇める臣民がそれを認められずに自決する、とかいう事態が理解できない男として描かれている。
だが別に、そういう昭和天皇が極悪党なわけもないのだ。
しかしこれでは、天皇の名のもとに(←天皇自身の意志とは関係ない、ここがまた重要)人を死に追いやるシステムの責任は誰に問えばよいのだ? となってしまう。
こうなると、この場合の「天皇」は、ほとんどあってもなくても同じ存在だ。
実際、女子高生コンクリ詰殺人事件の少年(当時)たちなんてのは、誰が明確な言いだしっぺともつかないまま、集団凶行におよんだのではないか? という気がする。
http://d.hatena.ne.jp/gaikichi/20061201#p4
強いていえば「空気を読んだ」結果の集団凶行か?
……そんなわけでまたなんのオチもないが、この手の話をしだすと毎回、挙げた拳の持って行き先に困って終わるなあ。