電氣アジール日録

自称売文プロ(レタリアート)葦原骸吉(佐藤賢二)のブログ。過去の仕事の一部は「B級保存版」に再録。

1.映画『マッドマックス 怒りのデス・ロード』

監督:ジョージ・ミラーhttp://wwws.warnerbros.co.jp/madmaxfuryroad/
これを挙げるのは凡庸だけど、やはりインパクト最大。方々で語られ尽くされてるけど、何も考えず娯楽作品として観ても、内容についていろいろ考えても奥が深い。
この作品でわたしが一番印象深かったのは、やはり悪者イモータン・ジョーに従う冴えない下っ端兵士ニュークス君の回心だ。
食うや食わずの過酷な環境で狂信的な武装集団に与し、戦士としての「名誉ある死」に自分の唯一の価値を見いだそうとするニュークス君の姿は、まさに今のイスラム国(ISIL)のテロリストや、1920〜30年代のナチスの突撃隊員、はたまた『機動戦士ガンダム 逆襲のシャア』に登場する冴えない下っ端ネオ・ジオン兵士ギュネイ・ガスらの系譜だ。戦前の日本で貧しい農村出身の皇道派青年将校にもこういうメンタリティはあったろう。
そんなうだつのあがらないニュークス君は何度となくかっこ悪く死に損ねるが、途中でイモータン・ジョーの許から脱走した女たちとの奇妙な絆の方に戦う動機を見いだし、ついにカルト信者のような観念的な「名誉ある死」ではなく、具体的な相手のための自己犠牲の方を選ぶ。やっぱ男はこうでなくっちゃ。
さて、すると今度は、ダメな男が正義のヒーローとなるには、助ける相手の「弱者」が必要であり、この映画は男の自己満足的なヒロイズムのため「か弱い女性」がダシに使われている――という屈折した批評が出てくる。
この問題について当方の見解を述べると、男のヒロイズムが自己満足的なプライドのためで大いに結構、ただし男が女を助けるのに見返りを求めるのは不純だ。劇中のマックスもニュークス君も何ら役得はない、だから良いのだ。ヒロインと結ばれたらむしろ興醒めだ。
それともう一点。この映画のようなバイオレンス世界に俺のような文弱インテリは存在できるのか? と考え込むところだが、頼もしいけど前しか向いてないヒロインのフュリオサ大隊長に対し、終盤で主人公マックスがあえてイモータン・ジョーの城を獲る提案をするのは、こういう発想をすることこそが知識人の仕事かも知れん……などと思った。