電氣アジール日録

自称売文プロ(レタリアート)葦原骸吉(佐藤賢二)のブログ。過去の仕事の一部は「B級保存版」に再録。

神の視点を気取れる職業などない

2004年3月刊行の『別冊宝島 高村薫の本』(isbn:4796650849)が文庫化。『新リア王』の刊行に少し遅れたタイミングになってしまったのが惜しいが、本全体としては、初版時、合田刑事のファンにはそこそこ好評でしたし、入門ガイドにも悪くないと思います。
わたしは「七つのキーワードで読む高村作品」の『職業』を担当。2ページほどの短い文章ながら、高村作品に描かれる働く男たち像と、合田刑事らのファーザー・コンプレックスに、筆者自身が念頭に置いているであろう戦後日本の「働く男」の変化をうまく絡めてみたつもりである。
特に『レディ・ジョーカー』での、戦後資本主義の空疎な勝ち組社長城山と、動機ある負け組の元工員物井清三を対比させ、戦後日本では、産業構造の変化により、具体的なモノを作り、売ることより、株式や証券などのように情報や数字を右から左へ動かすことへと労働の形が変わってしまったことを批判的に書いたので、執筆刊行当時「株式投資家という職業を差別している、人権侵害だ!!」という非難でも来ないかとワクワクもといビクビクしていたが、結局なぜかそうならず、そうなった時のために用意していた弁明も使わずに済んだ。
もったいないので、当時考えていた弁明を今さらここで述べよう。
わたしは別に、株式投資家という人間を不当に貶める気はない。株式投資家もまた、収入源という意味では、食品会社の営業職や自衛隊員や新聞配達員やスーパ−のパートと何ら変わらぬ一職種だと思っている。ただ、本業の片手間に株をやってるわけでなく、株式投資だけで食べている個人デイトレーダーなどに時々たま〜にいる、体を動かして労働せず、株式投資で儲けていることをもってして、自分はさも資本主義社会を操る側の人間であるかのような、超越的俯瞰的気分を気取ってる人がいるが、それはしゃらくさいよね、というだけの話だ。
そう、こう書いてるわたし自身、売文などという、情報を右から左へ動かす行為で収入を得ているわけが、そんなもんは本来、世のアブクなのである(無論わたしはアブクなりに良い仕事をしようとは思っているが)。一見メタ的な視点に立てる職業でも、他の人間がいて成り立って生きてられるということでは、他の何の職業だって皆対等なのだ、抽象的労働=より偉い、などという図式はなかろう、と。
昨年末、みずほ証券の発注ミスで個人で20億円稼いだデイトレーダーをめぐる報道はヘンだった。マスコミは「うまいことやりやがって」というやっかみとも、かしこい財テク勝者の美談とも評しかねている様子だったが、週刊誌に載った当人のインタビューでは、もはや儲けても実感が持てないとか、一日中部屋に引きこもって随時株式情報を追ってないといつ損するか思えて安心できないとか語っていて、確かに儲かってても、それはそれであまり幸福そうに思えなかったのが印象深かったものである……。
そして今年に入って、ライブドアは摘発されたが、マスコミの論調には、あれは一部の悪い特例、として切り捨てて、マネーゲーム熱自体の本質的批判に踏み込もうとしていないようにも見えなくない。原作版『レディ・ジョーカー』のラストは、物井清三の無言の(恐らくは「戦後日本」に対する)憎悪に満ちた眼の描写で終わっていた、その眼は今もライブドア報道を憎悪の眼差しで眺めているかも知れない。

珍しくヒットを打ったらしい(俺一人の手柄でないが)

PHP文庫『「世界の神々」がよくわかる本』東ゆみこ監修(isbn:4569665519)が増刷7版決まったという、素晴らしい。
わたしは同書では、クトゥルー神話とエジプト神話が担当だったわけだが、先日放送が終わった『魔法戦隊マジレンジャー』では、最後のほうで敵の怪人に『「世界の神々」がよくわかる本』にも載ってたオーディーンだのスレイプニルだのが出てきて、わたしが執筆を担当した、クトゥルー神話の海魔ダゴンも出てたので、偶然ながら、ちょっと感慨深かった。
そういや、これも偶然のタイミングだが、深夜アニメの『Fate stay night』にも、『「世界の神々」がよくわかる本』で名前の挙がった、ケルト神話メソポタミア神話のキャラクターが幾つか出てたな。
クトゥルーといえば、しばし前、少年チャンピオンの『番長連合』にも、クトゥルーの彫り物入れてる不良が登場したが、これは不覚にも笑った。
チャンピオンといえばアクメツが終わりそう。これ、かつての70年代末〜80年代初頭のジャンプの『ドーベルマン刑事』とか辺りにあったような、ストレートな社会悪糾弾ピカレスクぶりが爽快だったものの、末期に至ってなんとなくその限界も気づいてしまった。この作品、現代日本の官僚機構の腐敗をうまく戯画化して悪徳政治家や悪徳官僚を次々ぶっ殺す話を続けてて、「一人一殺」が基本だし、テロ敢行時には自分も死ぬというのがデスノートとは対照的に潔くて好きだったのだが、土着利権や人脈がらみによる政界、官界の腐敗は指摘できても、では、なぜそのような癒着、腐敗が起きるのか、日本の土着世間と大衆心理の構造にまで踏み込めてない。だもんだから、小泉純一郎に似た自由化・合理化路線の総理のことは批判できてない。もっとも、こういう社会悪糾弾ピカレスク作品は、主人公が愚民論を言い出すともっといやな話になるのも事実なんだが……