電氣アジール日録

自称売文プロ(レタリアート)葦原骸吉(佐藤賢二)のブログ。過去の仕事の一部は「B級保存版」に再録。

ぜーたく病と現代の連帯

昨今、フリーターの増加が問題視されるが、どこの企業も人件費削減のため正社員雇用を減らして派遣とバイトで回すようになってるから、これは非正規雇用者自身の自己責任ばかりでもない(前にも書いたが、この環境を放置してれば、あらゆる日本の産業のクオリティは下がるぞ。わたしのような、地道な職人とは程遠い浮草稼業がこう言うのもなんだけど)。
労働運動など過去のものかといえば、今のワーキングプア派遣労働者、フリーターというのは、まさに現代のルンペンプロレタリアートなわけで、この層から労働組合運動のようなものが起きるのも不自然ではない。
先ごろの自由と生存のメーデーなんてイベントでもその層の権利主張が唱えられたようである。
だが、実際問題、現代の派遣労働者、フリーターはたいてい職場ごとバラバラの存在であるから、かつてのような「連帯」は成立しにくいようだ。
これがかつての炭坑労働者や鉄鋼労働者なら、多くの人間が同一の職場に勤めていたのだから、たとえば一斉にストライキを打つだの、団体交渉だのの手段が遊行だったし、雇用者との直接対峙ばかりでなく、普段からの相互扶助などもあった。
では、現代の産業構造では、最底辺労働者の「連帯」は困難なのだろうか?
さて、少し前のAERAだったかで、即日などの短期雇い「スポット派遣」労働者の環境の劣悪さが上がってたが、その具体例内容、たとえば、有害な粉塵まみれの解体現場でペラペラの紙マスク一個しか支給されず保険もなし、なんてのは、90年代前半(バブル崩壊直後)からゴロゴロあった。わたしもバイトで経験したことはあるし、そんな環境がごく自然という感じで20年30年勤めるおっさんブルーカラーだっていた。
つまり、ある意味では「何を今さら」とも言えなくない。
ただ、今の問題は、労働環境は変わらんにせよ、15年前なら、まっとうなホワイトカラーの事務職になるつもり、なるはずの大卒20代なら、そんな仕事は本当に一時的なバイトでしかやらないはずだったが、昨今では、本来ホワイトカラー候補だった大卒20代で、これををずっと続けるしかない、という層がじわじわ増えている、ということなのだろう。
では、若い「スポット派遣」労働者の職場改善要求は、ただの甘えた「ぜいたく病」なのかといえば、持っていき方次第では、それ以上にできるはずだ。
つまり、これを、若い「スポット派遣」労働者だけの問題でなく、これをキッカケに、昔っからごく自然にそういう環境で働かされてきたおっさんブルーカラー労働者の環境をも変える、というぐらいの視野で考え、訴えるとかね。
そういうのを「連帯」と言ったと思うんだがな、昔の「左翼」(「サヨク」ではない)は。

露悪と礼節

先日、あえて学生時代の悪事のごく一部を自白したが、昔はわりと自己露悪的なところが強く、他人から指摘されなくても自分の過去の悪事など隠さず自己暴露していたほうだった。
なぜかというと、他人サマのことをいろいろエラそうに論評するくせに、では、それを言ってる自分はナニサマか? と問われた時には黙る、というのは、人間として不誠実な態度で、まず自分も充分しょーもない奴であると明かしてから話をするのが正直だと思っていたからだ。
大体そもそも、この世に「つねに公正客観中立的で透明な空気のような人間」など存在しない。匿名で自分のことは口をつぐみ常に他人のことだけ語っていれば、さもそのように振るまうことはできる。だが、実際は、誰しも多少なりともその人固有の歪み偏りがあるはずだろう。べつに、だから悪いというのではなく、その突き合わせによって最大公約数としての世間の基準というものはできているはずである。
と、いうわけで、昔のわたしは、他人にツッコミを入れようという時は、聞かれなくてもわざわざ「いや、こう書いてる俺も〜〜なんだけど」と、いちいち必要以上に正直に自己暴露しながらものを言うというクセがあったわけである。
が、そのうち、いつの間にやら、ブログやSNSや匿名掲示板の人生相談など、ネット世間では、鬱とか引きこもりとかニートとか無職とか非モテとか、わたしなんぞ以上にその手の「ダメ人間自己露悪」のようなものが溢れ返るようになってくると、却ってそうした、自己の恥部を意識的に強調して露悪するという姿勢に、少し疑問を抱くようになってきた。
昨今ネット世間に溢れる、その手の、鬱とか引きこもりとかニートとか無職とか非モテとかの、自分がいかにダメ人間であるかを自ら記したような個人ブログやSNS日記の中には、確かに、真摯で誠実なものも少なくないだろう。
だが、意地悪く言えば、そうやって自分の恥部を、人から突っ込まれる前に自分からバラすことで、他人から許容して認めてもらおうという、さらに言ってしまえば、そうして自己憐憫的な自己顕示をすることで、自発的に前向きな改善の意志を持とうとしないことの言い訳をしているのではないか、としか思えぬ場合も少なくない。
ミもフタもなく言ってしまえば、本当は死ぬ気も無いのに死ぬぞ死ぬぞと言って周囲の同情を得ることが自己目的化した自殺マニアのリストカット少女みたいな心性、ということだな。
わたしがいわゆる非モテ論壇というものにあまり同感してないのも、この点にある。
自分の現実を逃避せず直視するのはそりゃ重要だが、モテへんという現実しか見ず、それ以外のことに眼を向けようとしないというのも本末転倒の逃避ではないのか。
――と、以上、他人のことをエラそうに書いている自分はナニサマかといえば、平日昼間から中野ブロードウェイ西友地下食品売り場に行き、通りすがりの見ず知らずの赤の他人のおばさんにうっかりぶつかりそうになり、避けようとしたらなぜか決まって必ずおばさんのほうも同じ方向に避けようとするので、結果的に意地悪通せんぼ野郎になってしまい、へこへこと平謝りしながら、心の中では「嗚呼、あのおばさんはきっと俺のことを『ああキモい、怖い、きっとこういう男が痴漢とかストーカーとか幼児誘拐とかするのよ! 絶対そうに決まってるわ!!』と思ったに違いない!」とか一人勝手に決めつけて憤慨するのだが、さりとてどう考えても相手のおばさんは悪くないので「俺は悪くない! だが、あのおばさんも悪くない! ……では、悪いのは、えーと……?」と考え、結局、ぜんぜん関係のないもう10年も前にたった数日付き合わされた悪徳商法団体の幹部を脳内で銃殺刑に処して毎回やり場のない怒りを晴らすのだが、自分のアパートに帰って30分後にはへろりと忘れ、翌日また同じ事を繰り返している……とかいうような次第であるw
って、こんな話↑、面白れぇか?
でも、たまにはこーいうことも書かないと、ひたすらエラそうに歴史や文学や漫画の話とか自分の執筆仕事の話ばかりしてるのもどうもウソ臭いし、逆に、過去の何度かの目立った奇行ばかりが強調され、骸吉君は24時間365日全力で蛮勇だけを繰り返してるかと期待され過ぎるのも、買いかぶりというもので、難しいものである。