電氣アジール日録

自称売文プロ(レタリアート)葦原骸吉(佐藤賢二)のブログ。過去の仕事の一部は「B級保存版」に再録。

ウホっ、いい(元)空軍大将

田母神俊雄(元)空軍大将によると、朝の4時ごろに街中をうろうろしている奴はレイプされても自己責任らしい。
http://togetter.com/li/393218
そうか、日本全国の新聞配達員はレイプされても文句が言えない職業だったのか……。
しかしである、もし仮に田母神(元)大将が支持者の集まりでついつい明け方まで飲んでしまって、やむなく朝の4時ごろにタクシーを探してる途中に屈強そうなアメリ海兵隊のホモ30人がかりに襲われ、「アッー!!」と叫ぶ間もなくけつの穴がガバガバになるまで犯されて頭から足の裏までヤンキーの精液まみれにされた場合、田母神(元)大将は、涙ながらに恐縮して「私がこのような目にあったのも、すべて自己責任です。お騒がせして申し訳ありません」と記者会見なさるのか……感慨深い。
かつて2004年当時、スーパーフリーというナンパサークルの計画的集団レイプ事件が報道されたとき、太田誠一という議員が「集団レイプする人は、まだ元気があるからいい(何と比較して? エロゲなんぞやってるモテない引きこもりよりって意味?)」と発言した。
なんかね、性犯罪関連でドヤ顔発言する男は、自分がホモレイプやホモ痴漢される光景をリアルに想像したことがないのかね?
ようわからん男からいきなり股間を触られたり、大学に入ったばかりの飲み会で「こういう場に来るってことは、こういうことされるのもOKだよね」とかテキトーに言いくるめられ、「アッー!!」と叫ぶ間もなくけつの穴がガバガバになるまで犯され、事件後は「ネクタイ・スーツなんて扇情的な服装をしてる方が悪い」とか「飲み会に行った方が悪い」などと言われる……想像してみろ、いかに救いがないか。
笑い話ではない。俺はリアルに嫌である。
あと、ふしぎなもので、男の論客は痴漢やレイプを「襲われた方が悪い」と正当化するときだけ「女性にも性欲はある」ということを積極的に認める。これが恒常的な事実なら、普段から、女がいい異性をあさろうとするのも(男と同様)自然な行為として認めないとおかしいことになる。

ひょっとして「在日(米兵)特権」ですか?

ところで、沖縄での米兵によるレイプ事件は、一方の当事者は軍人である。元軍人で管理職だった田母神(元)大将には「軍紀の乱れの問題」という観点はお持ちでないのか。
軍隊が駐留地の信用を得るためには、軍紀の徹底は重要な問題となる。
たしか田母神(元)大将は「戦前の日本は国際共産主義コミンテルンにはめられた説」を唱えてらっしゃったと思うが、国際共産主義の親玉ソ連の軍隊は、対ドイツ戦では占領地での略奪はやり放題、ベルリン陥落時のレイプ事件などは今もドイツ人に恨まれている。田母神(元)大将は、そういう軍隊を擁護するのかな。
田母神(元)大将の理屈に立つと、日本軍(自衛隊)が海外に駐留した場合も、現地時間で朝の4時ごろなら街中をうろうろしている人間に何をしてもよいことになるのか。
南京占領時の日本陸軍は朝の4時ごろなら街にいる民間人の住民(民間人に偽装した便衣兵でない本物の民間人)を殺してもよく、フィリピン占領時のバターン死の行進も朝の4時ごろなら戦犯行為にはならなかったのか。
でも、この理屈だと朝の4時ごろに街中をうろうろせず正しく寝てる人は悪くないわけだから、朝の4時ごろに原爆投下されたり東京大空襲があっても、こっちは正当化できないこになるな。
今回、田母神(元)大将は「朝の4時ごろに街中をうろうろしている」側の責任のみを問い、加害者が何者かは不問である。とすると、この時間にアメリカ兵ではなく中国人や韓国人やロシア人の不法入国者に日本人女性が襲われた場合も、襲われた側の責任のみが問われるべきなんですよね。

「若い」と「苦い」は似ている

「辛い」と「幸い」も似ている。「恋人」と書こうとして「変人」という書きまちがいは昔からよく目にするが、少し前に某所で「本能寺の恋」というフレーズを目にした。同様に歴史上の「変」が「恋」だったらどうなるか。
商鞅の恋法、乙巳の恋、禁門の恋、桜田門外の恋、神風連の恋、戊戌の恋法、満州事恋、上海事恋、日華事恋――場面を想像すると笑えるというよりキモい気がしてきた……。

正義中毒の人にありがちなこと

あるいは、主義の左右上下に関わりなく言動の態度で「自分はマトモか?」チェックリスト

・世界は「自分ら」と「敵」の2種類の人間だけと思っている
 →実際には無関係の第三者が世の中の99.99%だったりする
・敵はすべて裏でつながっていて一致団結していると思っている
 →実際には敵陣営の間にも対立はあるがなぜかそれは無視
・とにかく自分らの陣営に人をたくさん動員すること自体が目的化
 →実際はデモに人が集まらなくても目的が達成されれば問題ない
・正しいことはいつでもどこでも誰相手にも言うべきだと考える
 →ネット上ではその話題と無関係な場所でもコピーペーストをくり返す
・政治と無関係な純粋な娯楽のための娯楽の話ができない
 →食、芸能、スポーツなどの話を政治の話にしないと気が済まない
・主張が正しければ手段は何をやっても構わないと考える
 →暴言や暴力や相手の発言の捏造も無理やり肯定しようとする
・自分の陣営の不祥事や暴走は「敵の自作自演工作」と決めつける
 →自陣営の行動を反省したり仲間を批判することができない
・敵は強大な権力だが自分たちは可哀相な弱者で少数派だと言いたがる
 →そのくせデモに人が集まると自分らこそ多数派だと誇りたがる
・自分は中立的無色だが敵はすべて「信者」と言いたがる
 →中立的立場から主張内容ではなく手段への批判があることが理解できない
・自分の職業や家族や実生活のことは直視したくない
 →現実を直視するより政治運動というモラトリアムに逃避したい模様

わたしはかつて高校3年の夏に人生初逮捕されたあと、父親から「右翼も左翼も究極的には変わりない」と言われたのだが、そのときはよく理解できなかった。
――が、今では「ホント変わらんなあ」という気がする(主張の中身に関する好みは別として)。
ついでに言うとカルト宗教とかブラック企業とかの内部心理もこれらと多くは共通するな。