電氣アジール日録

自称売文プロ(レタリアート)葦原骸吉(佐藤賢二)のブログ。過去の仕事の一部は「B級保存版」に再録。

不都合な昭和天皇

少し古い話になるが、今年の春に別冊宝島で『実録 昭和天皇』(isbn:4800236878)という本の仕事に関わった。昭和天皇の生涯を取りあげた写真ムックで、当方が担当したのは、だいたい戦後の1960年代中から晩年までだ(昭和天皇が東大全共闘三島由紀夫の割腹について言及した話とか書いてます)。
担当者からは当初「いちばん政治的な問題がない時期ですね」と言われていたのだが、問題大ありの箇所があった。1979年4月に靖国神社がA戦犯処刑者を合祀して以降、昭和天皇靖国に参拝していない件の真意、後年のいわゆる「富田メモ」の解釈についてだ。
本書で監修を担当してくださった伊藤之雄先生は、富田メモの内容は事実であり、昭和天皇東京裁判の正当性を認めていないが、A級戦犯の合祀は不本意だったという解釈をとっている(『昭和天皇伝』伊藤之雄(文春文庫 / isbn:4167900645)530p)。
だが、ネット上では「富田メモは偽物(誤報)だ説」がけっこう根強い。Googleで「富田メモ」を検索すると、わりと上位に来る項目のひとつに「通信用語の基礎知識」の記事があるのだが、キッパリ「これはマスコミによる捏造であると見られており、いわゆるアサヒストリーの一つである。」と書かれている。
個人の意見を書くブログならまだしも、形式上は一般向けのIT関係の用語事典でこんな断言口調でいいのか? それに富田メモの出所はアサヒじゃなくて日経だろw
この「通信用語の基礎知識」での富田メモの記事を見ると、捏造であるといえる理由、真のメモ内容の発言者らしき人物について詳しく解説されている。ところが肝心の、昭和天皇自身の見解との照らし合わせがろくにない。しょうがねえなあ。

靖国に合祀された外交官は天皇の大権を犯した不忠者

本当に昭和天皇がA戦犯処刑者の合祀に反発して靖国参拝をやめたのかはわたしにはわからない。だが、昭和天皇A級戦犯の合祀を気にしていたことは、『入江相政日記』(isbn:402261045X)の79年当時の記述や、『卜部亮吾侍従日記』(isbn:4022502835)の88年4月の記述にも出てくる。
少なくとも、昭和天皇が「富田メモ」の文中で名指し批判している元外相の松岡洋右、元イタリア大使の白鳥敏夫(メモ文中では「白取」)に不満を抱いていたのは事実のようだ。戦前、昭和天皇は松岡や白鳥が進めた日独伊三国軍事同盟には不同意だった形跡がある。
1939年4月8日、有田八郎外務大臣が、三国同盟についての五相(首相、陸相海相、蔵相、外相)会議の決定を内奏したおり、大島浩ドイツ大使と、白鳥敏夫イタリア大使が独伊に対し、英仏と交戦の場合は日本も参戦すると独断で伝えたことについて「両大使の行為は、天皇の大権を無視したものではないか」と発言している(『昭和天皇発言記録集成(上)』中尾裕次(芙蓉書房出版 / isbn:4829503262)423p)。
これでは白鳥はとんでもない不忠者ではないか! それが合祀されて快いわけないだろう。ちなみに大島の方は戦犯処刑を逃れたが、公職に復帰せず自重して余生を送った。
昭和天皇は1940年9月には「独伊のごとき国家とそのような緊密な同盟を結ばねばならぬことで、この国の前途はどうなるか、私の代はよろしいが、私の子孫の代が思いやられる」とまで発言している(『昭和天皇語録』(講談社学術文庫 / isbn:4061596314)100p)。あちゃー、ナチス好きのウヨなら卒倒しそうな物言いだ。
もともと、昭和天皇は戦前からファシズムを嫌っていた。1932年5月の515事件の直後には、暗殺された犬養毅首相の後継について条件を挙げて「ファッショに近きものは絶対に不可なり」と述べている(『昭和天皇語録』(講談社学術文庫)28p)。
戦後、昭和天皇靖国神社自体についても、また東條英機などA級戦犯となった軍の最上層の人間についてもあからさまに批判的なことは述べていない。しかし、本来は敵と戦って死んだ英霊を祀る靖国に、三国同盟を進めた文官の外交官や外相が祀られるのは不本意だったのではないか? この点に関して富田メモの内容には一面の信憑性がある。

親の心子知らず 子の心親知らず

では、なぜ昭和天皇は日独伊三国同盟を好まなかったのか。昭和天皇は皇太子時代、ヨーロッパを訪問したおり、とくに英国王室とは親密な関係となっていた。
これは戦後の話だが、昭和天皇は1971年10月の訪英時には、青年時の英国訪問をふり返って「当時私は、ジョージ五世からいただいた慈父のようなお言葉を胸中深く収めた次第です」と述べている(『昭和天皇語録』(講談社学術文庫)305p)。
1930年代当時イタリアは王制とファシズムが共存した国だったので、笹川良一赤尾敏ナチスよりイタリアファシスト党を手本とした国家社会主義を考えていた。しかし、昭和天皇自身は英国式の立憲君主による議会制民主国家を理想としていたようだ。
戦前の昭和天皇の発言をみると、アメリカはともかく英国にはけっこう好意的な態度がうかがえる。そこで独伊との同盟は必然的に米英との関係を損ねることを懸念したのだろう。また、昭和天皇は幼児期に学習院乃木希典大将から教育を受けた。日露戦争の勝利に日英同盟の恩恵が大きかった点も影響していたかも知れない。
ところが皮肉にも、1920〜30年代の日本の軍部は、米英主導のワシントン・ロンドン軍縮条約で海軍力を削られ、米英への敵意が高まっていた。
北一輝も日米戦争は「亡国の道」だとして反対していたが、英国はロシアとともに仮想敵の筆頭に掲げていた。当時のアジアの地図を見れば、日本にほど近い香港もシンガポールも英国海軍の前線基地だし、オーストラリアも独立国ではなく大英帝国太平洋支部である(オーストラリアが立法権の独立を果たしたのはWW2中の1942年。まさに日本との戦争を自主的に進めるため独立を果たしたという皮肉!)。
226事件を起こした皇道派青年将校と「わが重臣を殺すとは!」と怒った昭和天皇のすれ違いなど、この手の不幸はなぜ起きるのか? それはそもそも立ち位置が違うからだろう。
日本のナショナリストは、自国内の自分が属する階層だけ、あるいは日本中心にだけ世界を見ていれば良い。ところが、君主は既存の有力者や外国の君主とも交友する、外国のセレブから「日本は前近代的全体主義国」と見られては面子がすたるのだ。しかし国内のナショナリストにとってそんなことは知ったことではない……この図式は今も変わらない。

ネトウヨが耳をふさぎたいお言葉

「我国の新領土における土民、新附の民に対する統治官憲の態度は、はなはだしく侮べつ的圧迫的なるものあるやに思はれ、統治上の根本問題なりと思う」(1931年1月)
昭和天皇語録』(講談社学術文庫)20p

「指導的地位はこちらから押し付けても出来るものではない、他の国々が日本を指導者と仰ぐようになって初めて出来るのである」(1940年夏)
(『昭和天皇かく語りき』(河出文庫 / isbn:4309409415)118p

憲法を守るということについては、戦前も戦後も同じであります」(1986年4月)
(『昭和天皇かく語りき』(河出文庫)379p

あと、これは昭和天皇ではないが、海軍の軍令部総長を務めた伏見宮博恭王(皇族の軍人では閑院宮載仁親王とともに最高位)が、盧溝橋事件の直前の1937年9月に上奏した発言。

日清・日露の役の用兵には大義名分が備っておりました、しかるにその後屡次の大陸出兵には次第に大義名分がくずれてまいりました。特に満州事変以来全く名分のたたぬ用兵に堕した感があります。今回の北支出兵の如きは如何に考えましても大義名分が立ちませぬ。
(『昭和天皇発言記録集成(上)』中尾裕次(芙蓉書房出版)372p

ただし、戦後のリベラル派がよく言う「昭和天皇は一貫して戦争に反対だった」という説も不完全だったりする。
たとえば、1942年6月にドイツ軍が北アフリカのトブルク攻略に成功しかけたときは、天皇みずから「総統に対し親電をうっては如何」と発言(『昭和天皇語録』(講談社学術文庫)146p)。日米開戦後には陸海軍の行動に具体的な指示もしており、アッツ島が玉砕したあとの1943年6月には「なんとかしてどこかの正面で米軍を叩きつけることはできぬか」とも発言している(『昭和天皇語録』(講談社学術文庫156p)。まあ「大元帥」なのだからこれぐらい言うのは当然といえるかも知れないが。
ただし、昭和天皇は開戦に反対できなかった理由について「我が国には厳として憲法があって、天皇はこの憲法の条規によって行動しなければならない。またこの憲法によって、国務上にちゃんと権限を委ねられ、責任を負わされた国務大臣がある。この憲法上明記してある国務各大臣の責任の範囲内には、天皇はその意思によって勝手に容喙し干渉し、これを掣肘することは許されない。」と述べている(『昭和天皇かく語りき』(河出文庫)379p)。
つまり、軍人はどうあれ昭和天皇自身は、大日本帝国憲法体制を英国と同様の立憲君主による議会制民主主義と認識していた。逆に言えば、明治憲法を復活させさえすれば、反権力的なブサヨクをいっさい黙らせて強権的な政治ができると思い込むのも誤りだ。
以前も述べたが、大正時代にもリベラル派が「護憲運動」というものを起こしている。戦後との比較で明治憲法は権威的、強圧的と思い込まれているが、戦前にはむしろ明治憲法藩閥や軍の独裁を制限し、議会制民主主義を保証するものとして認識されていた。まさに2015年現在の状況をふり返るに、戦前と戦後というのは案外そんなに違わないのかも知れない。

おまけ(最近の仕事)

8月8日に刊行されたダイアプレスの『日本洗脳計画 戦後70年開封GHQ』(isbn:4802300654)に寄稿。
占領軍VS戦後新興ヤクザVS三国人の抗争についてとか、占領下で自民党共産党に対抗させるために構想した「反共抜刀隊」とか、児玉誉士夫が右翼やヤクザを動員した「アイク歓迎実行委員会」とか、岸信介と戦後の満州人脈とか、横須賀刑務所じゃ在日米兵の犯罪者だけ豪華メニューが食える「在日米軍特権」とかについて書いてます。
あと、やっぱ夏は戦争物の季節ゆえか、2013年8月に刊行された『日本陸軍日本海軍の謎』(isbn:4569813437)が増刷されました。