電氣アジール日録

自称売文プロ(レタリアート)葦原骸吉(佐藤賢二)のブログ。過去の仕事の一部は「B級保存版」に再録。

老人と海

なんかまた特撮オタネタで恐縮ながら。
一昨年公開の『ゴジラ モスラ キングギドラ 怪獣総攻撃』を観る。
http://www.toho-a-park.com/video/new/gmk/d_index.html
公開当時「平成ゴジラシリーズのていたらく対し、金子修介平成ガメラシリーズのスタッフが取り組んだ」とか、近年のゴジラシリーズには感じられなかった昭和東宝特撮っぽい雰囲気に興味を抱いてはいたのだが、「主演が宇崎竜童?」ってのと、確か例によってその時期花粉症で絶不調で外に出る気がなかったせいで見逃したような気がしている。
これを今回見る気になったのは『TATOOあり』で宇崎への好感が沸いたから(笑)、と実に安易なのだが、なるほど、映画館で観ていい作品だったと痛感した。
とにかく、ゴジラがめちゃくちゃ怖いのである。

ゴジラはなぜ不死身なのか? それは単にゴジラ放射能で超変異した生物だからではない、ゴジラは霊的存在なのだ、大東亜戦争で戦死した兵士や日本軍の犠牲者たちの怨念の集合体だからなのである――なんじゃそりゃ、とツッコミの一つも入れたくなる設定だが、天本英世の口から聞かされると納得せざるを得ない気になる。

そう、この作品のゴジラは戦後の平和に対し「こんなもんは欺瞞だ!」と暴れ狂うわけである。殺気が違う。中でも鮮烈だったのは、ゴジラの背びれが青白く輝き「放射能火炎を吐くぞゴルア」と身構えた直後、場面が切り替わってどこぞの小学校で先生が生徒に避難を呼びかけていると、突然窓の外、遠くで空一面がピカッ、直後、遠くできのこ雲が上がっている……歩く原爆である。シリーズ三十数年で空疎なお題目化しつつあった「ゴジラとは核の脅威の象徴」という設定を久々にうまく描き出したものだ。

と、そんなゴジラに立ち向かう防衛軍(本作では「自衛隊」ではなく「防衛軍」となっている)の軍人が宇崎竜童である。昭和29年に出現した最初のゴジラに家族を殺され、成人して以降、謹厳実直な軍人として生きてきた宇崎の立花准将は妻に先立たれ、新山千春の一人娘とはいまひとつうまく行ってない。娘は報道の現場でゴジラを追い、ゴジラと対決することになる「護国神獣」(モスラ、バラゴン、キングギドラのこと)の神話に行き着く。親子はどこかすれ違いつつもお互いを慮り合ってゆく。

「防衛軍」の描き方もなかなか良い。ぶっ飛んだ超兵器が出ず、せいぜい通常兵器の延長のようなドリルミサイルしかないのがいい。一番ハイテクで格好良いイメージの空軍の戦闘機がゴジラに歯が立たず、これに比べるとどこか泥臭いイメージの陸軍と海軍の連携がクライマックスでゴジラを食い止めるというのも憎い。『ガメラ2 レギオン襲来』では自衛隊を格好よく描きすぎて一部で顰蹙を買ったらしいが、今回はそういう臭さもあまり感じない。

昭和29年の初代のゴジラは、戦中派生き残りの芹沢博士(平田昭彦)と共に、彼が開発した化学兵器によって死んだ。自分は戦争で死にぞこなったと認識していた芹沢博士は、自ら志願して人柱となったのである。民俗学者赤坂憲雄なんかは「芹沢博士は三島由紀夫だ」と言っている。

ゴジラ モスラ キングギドラ 怪獣総攻撃』のテーマのひとつは「魂鎮め」であるらしい。だとすれば、本来であれば人柱が死ななければ欺瞞である。大映の『大魔神』シリーズ(これは最近、角川でシリーズ復活が決定したそうだが)でも、暴走した魔神を鎮めるには犠牲が必要だった。以前に「趣味掲示板 天使の享楽」で宮崎駿の評価になった時に拳銃社長も書いたが、80年代とは、いつの間にやらファンタジーは所詮ファンタジーと割り切られ、人柱が死なずに生還し、かぐや姫は月へ帰らなくて良くなった時代である。

で、ネタバレを書くのは気が乗らないが、宇崎の准将は結局生還するのだけれど、それはそれで悪くないラストシーンだと思えた。生還した宇崎に娘が駆け寄ると、宇崎は「それ以上近づくな」と突き放す。ずっとゴジラの側にいて「放射能の安全検査が済んでないんだ」と言うわけだ。そう安易に親子の距離は縮まらないのである。娘はそのまま無言で父親に敬礼する、と、宇崎の准将は――共に戦った将兵や、ゴジラに宿っていた英霊を思ってか――海に向かって敬礼し、娘もそれに倣う。距離は縮まらないながら、同じ方角を向くわけだ。

金子監督の平成ガメラは総合的には良く出来ているんだが、敢えて突っ込むと、毎回、少女をダシにエコロジーを説いたりの無粋な説教臭さが鼻につき、今回も、一歩間違えば安易な平成後出しプチナショナリストが喜びそうな安っぽい軍隊賛美映画に陥りそうなところを、かろうじて許容範囲の臭さに収めたというべきか。

やはり日本の怪獣映画は戦争の影が入ると凄みが増す。しかし、わたしなんぞはハッキリ宇崎のおっさん軍人に思い入れてしまったけれど、今のまともな普通の若い男(の特撮ファン)はこれの一体どこに感情移入すればよいのだろうか、という気もなきにしもあらず。さりとて、軽く明るいイケメンヒーロー路線の仮面ライダー龍騎は逆にそれで反発する奴もいたというし、モチベーションなき時代に、単なる反動でもなく魅力あるリアルなヒーロー像の模索はまだまだ難しそうである。