電氣アジール日録

自称売文プロ(レタリアート)葦原骸吉(佐藤賢二)のブログ。過去の仕事の一部は「B級保存版」に再録。

ついでにちょっとした昔話の整理

12/20付で呉智英夫子と2ch世代について書いた後、高井守氏の「永久保存版」を覗いたら、高井氏もそれに異議ないようだったんで、調子に乗ってもう一点のみ補足を。
(ちなみに、わたしは呉智英夫子の以費塾にいたことがあり、つまり高井氏は一応兄弟子格でもあり、わたしがかつて1996〜98年当時、浅羽通明氏の活動を紹介するサイトをやってた当時は、時おり先輩としての意見を頂いたこともある)

で、今度はその浅羽通明氏の仕事についてである。先日引用した「ARTIFACT 人工事実」に寄せられた見解のように、浅羽氏も、昨今のサブカル保守・右翼の源流と見なされている面がある。激しい誤りではないと思えるが、ずばりかつて浅羽氏のサイトをやってた人間として、また、いつの間にやら10年以上も前の話になってしまった90年前後のサブカル論壇の歴史証言として、より精密に補足しておく責任も感じるので、それを以下に述べる。

さて、確かに、浅羽氏は1990年前後、別冊宝島や『ニセ学生マニュアル逆襲版』、同『死闘篇』等で、当時の学生の間に広まっていた、エコロジーブームやフェミニズム湾岸戦争反戦運動などの、いわゆるソフト左翼、「シャミン」ノリの心理構造を批判した。

ただし、その論調は、そうした主張の中身もさることながら、今や貧困も差別もない時代に、親の金で食わせてもらって学校行ってる社会的に半人前の若者が、その自分の社会的未熟を自覚せぬまま、戦争反対などの、借り物の「大きな正義」に群がることの欺瞞性への批判であった。95年の薬害エイズ事件での厚生省への抗議運動が、結局「プロ市民」運動になってしまったことを批判した『脱・正義論』の論調も同じ視点である。

――で、以下はわたしの個人的見解で、別に浅羽氏当人もそうは言っていないけれど、昨今の2ch世代の「ぷちナショナリズム」も、半人前の若者たちがそれを自覚直視せぬまま借り物の「大きな正義」に群がってるという構造に関しては、まるで左右を取り替えただけで同じ構造ではないか、とも思えるわけである。

実際、浅羽氏は、90年代も末に至り、サブカル論壇で保守論調の方がもはや当たり前という感じに目立つようになって以降、もはや今さら左翼批判はあんまりやらなくなった。
(ちなみに、彼は若い頃から、理屈臭い共産主義系左翼は嫌いだったが、千年王国思想のような世界破壊願望には惹かれていたという。だからこそオウムを「誤った同輩」として批判した――この辺の立場は竹熊健太郎氏とも近い)

代わりに、浅羽氏は、より根源的に、自分も含めた広義のオタク人種――うっかり思想や読書にハマったり、目の前の人間よりメディアの向こうとの交流を求めてしまう人々――とは何なのか、というテーマに深く取り組むようになり、その成果が、例えば『野望としての教養』や『携帯電話的人間とは何か』だった。
こうした浅羽氏の立ち位置が、今なお単純な左翼批判という評価を超えて、坪内祐三氏や赤田祐一氏の興味も惹きつけているのだろうと思われる。

……まあしかし、昔から、作家とか評論家とかには、それが書かれた当時はどういう情勢だったかとか、またその人物はどういう流れを経てその時期そのような発言をしてたか、という背景を鑑みないと真に理解できない場合も多い。
オーウェルは人民戦線の理想を本気で信じたからこそそれを裏切ったソ連を非難したし、赤尾敏は俗な利権政党を批判するゆえ遂に天皇絶対の日の丸共産党に行き着いた、とか。

わたしの書いたものも後世どう評価されるかは分かったものじゃない。だが、人は常に自分では客観的な思考のつもりでも、生きている時代の枠から完全に自由にはなれないのだ。せいぜいそれを自覚しつつ、その限られた枠内での自分の仕事をするべきなのだろう。