電氣アジール日録

自称売文プロ(レタリアート)葦原骸吉(佐藤賢二)のブログ。過去の仕事の一部は「B級保存版」に再録。

かつて『クロワッサン症候群』というベストセラーがあった。

80年代にキャリアウーマンの自立を煽った女性誌のひとつ『クロワッサン』を愛読してたOLが、軒並み嫁ぎ遅れになってるとかなんとか、そんな内容で、随分衝撃的な話題になった(らしい)。その後90年代初頭、今度は『結婚しないかも知れない症候群』というベストセラーがあった(この本に対し「取り上げられてるのが筆者に近い高学歴高収入の女性だけ」と指摘したのがオバタカズユキ氏である)。
しっかし、この手の議論では、常に決まって、世の圧倒的多数を占める筈の、普通の低学歴専業主婦というものが捨象されている印象がある。反フェミニストはそろそろはっきり言うべきなのです「ドキュン女は保護…じゃない、無視されている!」と(笑)
かつて中森明夫は、80年代における女性の社会進出の実態について、ミもフタもないことを言っていた。曰く、バブル期は職場の中間管理職が経費で部下の女子社員に奢ってやることができたんで、女子社員も多く雇用され、一時オヤジギャルなどと言われたような羽振りの良いイケイケOLが成立したのだ、と。
んが、『AERA』の記事とかじゃ、その辺の、ほんのつい前のこの手の論議の過去例や、85年の男女雇用機会均等法からバブルに至る流れなどへの説明抜きのまま、いきなり現在の少子化、非婚化と女性の高学歴高収入化、景気が悪くなって皆価値観が保守化したのか、とかいう現状認識に飛んでいる。
何事も、今ある状況にはそれを用意した因果関係があって、かつてはこうで、だから今はこうで、といった視野がないと、結局、同じ論議の繰り返しでしかない。
で、いい気な部外者の野郎としてあんたはどう思うのか、って? まあ、いくら世が豊かになっても、結婚して子供も作らなきゃ一人前にあらず、イエ制度や世間体って不滅で大変だなあ、ってことてすかね。この点わたしも30過ぎても親類からは「大きな子供」扱い。
ちなみに、かつて松浦理恵子は、女性作家にって創作活動は子供を産む行為に似た感覚なのかと聞かれて、自分は子供を産むことに一切興味が無いと断言したらしい。とりあえず、負け惜しみでなく、こう自発的に言い切れる女性は「負け組」とは思えない(松浦理恵子はレズビアンだろうというツッコミはさて措く)、と述べておこう。