電氣アジール日録

自称売文プロ(レタリアート)葦原骸吉(佐藤賢二)のブログ。過去の仕事の一部は「B級保存版」に再録。

革命は神と人間の戦いだった?

物語の舞台はフランス革命期。まだ読み始めたばかりだが、大雑把なストーリー概説によると、なるほど、笠井潔の『群集の悪魔』より納得できるかも知れない、とか思ってみたり。

フランス革命を反キリスト教という視点から解釈し、伝統的王侯貴族の軍隊ではない国民軍の将軍である後の人民皇帝ナポレオンを、それまであった自然や神への畏敬を捨て、人間自体の力を巨大化させ活用させる「近代」的な力の象徴人物と見なすのは、ある意味ファンタジーの形式を取りつつ本質をついてそうだ。

そうそう、革命後ロベスピエールキリスト教の神に替えて、理神論に基づく「『最高存在』の式典」とかいうのをやったんだっけ、もっともまったく伝統保守的な庶民大衆にはウケなかったらしいが(これは多分、バカのひとつ覚えのように、腐敗した教会の神父を崇める無知な百姓に怒ってのことだろう。同感もするが、そういう考え方が、空回りするインテリの高慢なんだろうな)

ついつい最近、「庶民大衆ってのは本当は(個々別には無力ゆえに)保守的だから、王侯貴族や権威を好む」ってことばかりを書きすぎたんで、それを補完するため書くが、まさにナポレオンがいい例だが、歴史には、従来の支配階級の既得権益と無関係な、ぽっと出の新参成り上がり者が必要とされる場面ってのも多多ある。
フランスの辺境コルシカ生まれの一介の砲兵士官ナポレオンなんてのは、まさにそれだったんだろう。革命直後の政権ではどこでもそうなるが、当時フランスでは、極左派の一部インテリやら、新興ブルジョワ階級やら、国民軍に入った民百姓やら、穏健派から保守反動派までの貴族残党やら、各勢力の利害が入り乱れてた。
こういう時はいずれかの勢力内で既に地位も力も固まってる人間より、「何者でもない」ゼロ記号な人間が、それゆえ諸勢力の最大公約数役として自由に立ち回れるため、ぽんと重要な地位に就いたりする。この点、ヒトラーとかもその好例だろうと思う。