電氣アジール日録

自称売文プロ(レタリアート)葦原骸吉(佐藤賢二)のブログ。過去の仕事の一部は「B級保存版」に再録。

リヴァイアサンとレギオンの怪物

佐藤亜紀の『1809年』は、一般流通してる近代肯定、革命肯定の学校歴史教科書では触れられない、ナポレオンを成り上がり者として憎んだ人々、伝統的貴族の側にスポットを当てた小説だが、いかにも一般受けは悪そうで、実際あまり読まれてなさそう(日本では王制が持続してることを考えると何たる皮肉か)

笠井潔の『群集の悪魔』は、1848年革命前夜の世相の中、伝統土着的な大地から切り離された、何者でもない民=「群集」の誕生の背景に迫り、ナポレオンの甥で、大統領から第二帝政皇帝になったナポレオン三世を、そうした「群集」に乗っかったデマゴーグ、次世紀のファシスト独裁者の先祖モデルと見なそうとしているようだった。
しかし笠井先生、細密なディティールには敬服するが、恐らく本心では、ナポレオン三世ヒトラーみたいなボンクラをうっかり崇めてしまう群集自体にも苛立ってると思われるのに、それは小説中で正直に出さないのは、ちょっとだけ欺瞞的にも思えたかな。

どうやら「ヴァンシスカの悪魔」では、(良くも悪くも)近代的な群集というものがそのままずばり怪物であるということを暗示してるらしい。

――と、なんかまた結局、愚民蔑視が言いたいのかと思われそうな書き方になってしまったが、とにかく、世の中、ショッカーの首領みたいな悪者が頂点にいて、それが全部悪い、なんて単純なもんじゃない、とゆうことが言いたいわけで、わたしは自分自身もまた、そういう社会の怪物の構成要素になり得ることをちゃんと忘れずに気をつけておきたいと思うから、こういうことを書いてるつもりなのだが……