電氣アジール日録

自称売文プロ(レタリアート)葦原骸吉(佐藤賢二)のブログ。過去の仕事の一部は「B級保存版」に再録。

「中立的な世界文学」は存在しえるか?

さて、このブログはどうも左巻き人間にウケが良いらしいので、たまにはそれをひっくり返すようなことを書きたい。
結局『カラマーゾフの兄弟』新訳版まだ読んでないくせに、月刊『ユリイカ』がドストエフスキー特集、というので、なんとなく立ち読みしたら、佐藤亜紀女史が、ドストエフスキー作品のひとつの特徴であるベタベタなロシアキリスト教賛美や反ユダヤ主義の部分を、わりと辛辣に指摘していた。
あ、嫌ないいこと突くな、と思った。いや、ドストエフスキーが現代なお「世界文学」として読まれうる作家と思いたがっている人間にとって、彼の作品中のこういう部分は、できれば無いことにしたい点だろうから。
じつは、わたしはもう10年ばかり前、一度佐藤亜紀女史と軽く意見のやりとりをしたことがあり、そのときも書いたが、どうもこの人は、頭の中が見事に脱日本人化していて「どこの国のナショナリズムも等しくくだらない」という見識の持ち主でいらっしゃるらしい。
彼女のある種徹底したスタンスには敬意を表する部分もある。が、それでもなお、言いたいこともある。
なるほど確かに、ドストエフスキーは、じつはひどい差別作家である。『悪霊』ではユダヤ人だけでなく、ドイツ人もぼろくそにけなしてるし、確か『カラマーゾフの兄弟』ではカソリック教会も罵倒対象となっている。一方、『白痴』では、主人公ムイシュキン公爵の口を借りて、恐ろしく楽天的で夜郎自大なロシア(スラブ)民族主義礼賛まで飛び出す。どこが世界文学やねん、ただの偏狭なナショナリストやん、と言うしかない……
だが、わたしは、ドストエフスキーが、かような偏りを持った作家だからケシカランなどとは一切思わぬ。むしろ、だからこそ面白い作家なんじゃねえか! と断言する。
ドストエフスキーが作家として大成したのは、1860年代、年齢的には40代になって以降である。その約20年前、1840年代当時の若い頃のドストエフスキーは、ロシア土着の田舎臭い空気が嫌いで、西洋近代文化に憧れる青年であったらしい(日本の明治期の都会のインテリ青年の多くと同様だ)。
が、ロシアでは、欧州全土を吹き荒れた1848年革命への弾圧の余波で自由主義者や文学者が多数逮捕、流刑にされる。ドストエフスキーもそれに連座し、シベリア送りの末、一時は死刑を宣告されるが、恩赦によって奇跡的に生還する。
彼はこの一連の「挫折」で、近代自由主義なんつったってそんなもん、しょせん一部の西洋かぶれの若いインテリだけの夢想で、ちっとも現実性なんかないじゃないか、と、土着や伝統に目を向け直す。で、結局ロシアキリスト教の賛美へと「保守反動化」したわけだ。
と、そんな彼の経歴は。60年安保闘争では全学連の指導者だったのに、運動に挫折し伝統保守主義へ「回心」した西部邁に似ていなくもない。
西部邁は、口では伝統が大事伝統が大事という人だが、じつは全然、日本の土着的伝統文化に馴染んでいない人間である。が、近代主義の限界は実感的に学んでいるから、自分自身それが身についてもいないのに、とにかく伝統が大事ということだけは言う。
本当に伝統土着の価値観に馴染んだ人間は、そんなことはわざわざ今さら声高に言わない。生粋の京都人は、無粋者相手には、感情を荒げることなく、はんなり口調で「ぶぶ漬け食べてきなはれ」と言うだけである(さっさと帰れ、という婉曲表現)。
後から伝統土着文化を尊重する立場になった人間は、付け焼刃ゆえに、いきおい、その口調も変に過激にもなる、ドストエフスキー作品中のユダヤ人罵倒やカソリック罵倒はその表れなのだ。
カラマーゾフの兄弟』には、おそらく、ドストエフスキー自身の理想像らしい、ゾシマ長老というロシア正教の聖人が登場する。聖人といっても、ちっとも権威的でなく、女性と一緒にお茶を飲むのを楽しむ、わりと自然体の人物である。
んが、ドストエフスキー自身は、ちっともこのゾシマ長老のような穏やかな人物ではなかったようだ。しかし、付け焼刃で伝統的信仰に回心したような人間なればこそ、著名な大作家になって以降も、夏の日も雪の日も毎日欠かさず教会に通って最後列でお祈りしてた、とかいう地味ぃな「信仰心の実践」を示したという。
わたしは所詮、バテレン信者でもないし日本人であるから、ドストエフスキーの説く、スラブ(ロシア)キリスト教思想の中身など、ほんとにそんな立派なものか? と思うが、何の信者であれ、こういう地味ぃな「信仰心の実践」をムゲに嘲弄して済ませたくない。