電氣アジール日録

自称売文プロ(レタリアート)葦原骸吉(佐藤賢二)のブログ。過去の仕事の一部は「B級保存版」に再録。

「ノリの強要」という暴力と、受験文化の刻印?

また、数年前わたしがあるネットワークビジネスの集会に一日付き合わされた時の話。件の団体が如実に漂わせていたのが、大月隆寛氏が『80年代の正体』で書いた、いわゆる「ギョーカイ幻想」的な雰囲気ノリだった。つまり「学園祭とかで裏方をやりたがる奴ら」という感じだ。
恐らく彼らにとっては、とんねるずとかが最大のヒーローなんだろう、彼らの集会には、90年前後のバブル期に人気を博した「ねるとん紅鯨団」の感覚を模した雰囲気があった。つまり「ノリ」の強要、「な、わかるだろ? (この「ノリ」を共有できないキミはなんてダサい奴だろう)」というプレッシャーで同調を迫るというやつだ。
わたしは、この「『ノリ』の強要」は何か受験文化と関係があると踏んでいる。つまり80年代初頭の「ネクラ/ネアカ」分類の延長だ、受験勉強に集中してやっと大学に入ると、今度は勉強ばっかしてた奴=クラい・ダサい、と見なされ、それを怖れて極端にはしゃぐという図式――これは高偏差値ヤリコン集団スーパーフリーにまで続いているのではないか?
ところで、後に、件の団体でちょっと有名な中間幹部の一人がTVに出てたというのだが、その内容が「27歳、一念発起でホスト業に」とかいう苦労話ルポ物だと聞いて唖然とした。
マルチまがい商法を辞めて今度はホストかい! つくづくそんなにまっとうな勤め人が嫌か?
この思考の背景にあるのは「フツーの会社員じゃなく、ネットワークベンチャーとかお水系の方が、世の中の裏を知ってるみたいで格好良い」という感覚、セカイ把握願望の変形とも思える。
この辺の、まっとうな勤労感覚の崩壊というものは、80年代、受験文化に囲い込まれて、もはや農業も工業も古い汗臭い仕事となり、サービス業のみが就職先となる中で育ち、バブル期に20歳前後の多感な時期を送ってしまった我が同世代の恥じるべき根深い病だな、と痛感している。