電氣アジール日録

自称売文プロ(レタリアート)葦原骸吉(佐藤賢二)のブログ。過去の仕事の一部は「B級保存版」に再録。

不滅の歪んだ忠誠愛

で、どんな組織でもそういうものだが、組織やボスのためを思って自発的に暴走した奴は、事態が発覚すると、トカゲの尻尾切りにされて、組織全体やボスの名誉は守られる――というか、自ら切られるトカゲの尻尾を覚悟してやってたりする。でもって切られた尻尾は表向きは組織の恥とされるが、その志は水面下で受け継がれ……となるのがお決まりだ。
かくして組織の頂点に在る人間は罪を着ずに生き延びる、と、この構造の典型が日本の天皇制だった。昭和天皇は軍部に利用されたということで戦争責任を免れたわけだが、これは現実に、当時の日本人の多くが「君側の奸が悪かったのであって、頂点にいる人間は悪くない」という物語を信じたがっていたことに支えられている。
この「君側の奸が悪かったのであって、頂点にいる人間は悪くない」という「物語」構造を求める志向は、形を変えて世の中の隅々に生きている。例えば、学園マンガじゃ、教頭先生や生活指導の先生は生徒をいじめる悪者だが、校長先生は生徒の理解者、とか、サラリーマン漫画じゃ、部長や課長は悪者だが、社長や会長はなぜか平社員の主人公の理解者、というのが黄金の伝統ではないか! 民をいじめるのは悪代官や悪家老で、最上の殿様は庶民の味方、という水戸黄門の構図と同じ発想である。