電氣アジール日録

自称売文プロ(レタリアート)葦原骸吉(佐藤賢二)のブログ。過去の仕事の一部は「B級保存版」に再録。

ビッチを超えた女傑、或いは憎めないビッチ

が、考えてみたら、俺は「ドイツの2大ビッチ」なんて例より、もっと直截で適切そうなのを知ってた。ああ、これは『機動戦士ガンダム 逆襲のシャア』のクェス・パラヤだ(笑)!! ニーチェワーグナーを超える卑小と偉大の同居したネオ・ジオン総帥シャアの腰巾着に収まったAC娘、こいつもバカ男の卑小と偉大の混在を理解せぬまま、偉大の部分への献身的愛情と女の自分の自己実現がごっちゃになった救いのないビッチだった。
これが『機動戦士Vガンダム』のカテジナ・ルースにまで行くと、もはやビッチを超えた怪物的な「女丈夫」「女傑」というレベルにもなる。何しろ男に媚びて自己実現どころか、男はしょーもないと直感で見抜いて、利用すると割り切ってるからな。
ところで、わたしは、エリーザベト・ニーチェ、ヴァニフレッド・ワーグナーと比較して、レニ・リーフェンシュタールは、これもナチスとつるんだバカウヨ女ではあるが、あまりビッチという感じがしない。何故か? エリーザベト、ヴァニフレッドと違い、彼女自身が表現者だったこともあるが、実はレニはたまたま時代のタイミングでナチスの格好よさに便乗しただけで、カッコいい美しいものなら何でも好き(彼女は、白人至上主義のナチスとまったく反する、アフリカ原住民の肉体を賛美する映画を撮ってる)という、健全に能天気な快楽主義が根底にあったからではないか、という気がしている。
と、いうわけで、さかもと未明もひとつ、いっそカテジナ路線かリーフェンシュタール路線を目指してくれれば、一皮剥けるんじゃないかなあ、と偉そうに思ってみるのであった。
――今回はなんか偉そうだったが、女という自分とまったく別の生き物についての話で、当事者意識が無いためである。だから、別の機会には、男の自分の方が容赦なく突っ込まれるであろうことを大いに期待している(笑)