電氣アジール日録

自称売文プロ(レタリアート)葦原骸吉(佐藤賢二)のブログ。過去の仕事の一部は「B級保存版」に再録。

補足

町山智浩アメリカ日記
http://d.hatena.ne.jp/TomoMachi/20040319
に、つい偉そうなコメントをつけたが

当時聞いた話では、「民主化学生」のほとんどは西側に留学できるような党高級官僚の子弟のブルジョワで、むしろそれを弾圧した人民解放軍の末端将兵の方こそ、それこそ、80年代なお、かつて悪地主や日帝から人民を解放した毛沢東道教の神棚に祀っているような、地方の貧しい農村出身者が多かったらしいです。まあ、それを言えば、かつての明治から昭和の日本でも、西洋思想にかぶれて革命を唱えたのは裕福な階層の子弟で、無知で従順な農民は天皇陛下万歳だった、という皮肉な構造がずっとあるわけですが・・・

まさにその中上健次がらみで、少し補足の必要を覚えた。
上記のように書くと、日本の近代にあって、革命を推進したのは西洋かぶれの軽薄なブルジョワ子弟「だけ」だったかのように誤解されそうだが、農村で貧しい庶民と生活を共にした反体制インテリも少なくはなかった。
中上が最晩年に注目していた、大逆事件に関与した紀州和歌山の大石誠之助(「赤ひげ」を地で行ってた在野の医師)とか、同じく大逆事件で挙げられた僧侶の内山愚童とか(関川夏央谷口ジローの『明治流星雨』に詳しい)、あと田中正造も。
この辺の人間は、だいたい、帝國大學で西洋思想を学んだインテリというより、むしろ明治維新以前の土着農村社会の教養の価値観で育った世代なのだが、昨今の若い右翼は、こうした人々もひとくくりに「アカ」と否定するのかな。
明治維新以前の世代が近代化という名の抑圧に懐疑的であったのと、戦後、現実の「戦前」を知っている人間が、右へならえも左へならえも同じ事、と、慎重であったのは、同じ構造なんだろうなあ、とか思ってみたり。