電氣アジール日録

自称売文プロ(レタリアート)葦原骸吉(佐藤賢二)のブログ。過去の仕事の一部は「B級保存版」に再録。

98年以前のネット世論を覚えてますか?

確かに、自分の記憶にある限りでも、97〜98年当時は、まだ大局的な歴史認識や政策観でも、大東亜戦争肯定や国防に関するタカ派意見は生理的拒否を受ける傾向があった。また、ネット上で偽悪的な暴言を書いた人間に、誰かが「それは差別だ」と指摘すれば場の雰囲気として正当な糾弾が成立するような雰囲気があった。要するに「差別は良くない」に一番端的に象徴される人権思想とか戦後民主主義価値観の方がまだなんとなく漠然と影響力があった。で、わたしとか、90年代前半初頭から呉智英とか愛読してたクチだから確信犯的に「ハイ自分は差別者です」と居直る人間の方が少なかったものである。
論壇系のサイト自体数がまばらだったが、特に保守系論客が強く目立った記憶も無い。
そんな中、98年に『ゴー宣 戦争論』が出て、以後、徐々にながら、雨後の筍のごとく、小林よしのりフォロワーの、大東亜戦争肯定、戦後民主主義左翼批判系のWebサイトが増えた。
それと、同じ98年頃ネットで「差別肯定」の先鞭として出てきたのが、高卒ドキュン差別のマミー石田だった。彼の出現背景ってのは、つまり、当時はまだネット内でも「差別は良くない」人権ヒューマニズムの方がタテマエ上主流だったんで、それを真っ向から否定し派手に差別を唱え偽悪ポーズこそが過激で、先鋭的、目立つ、斬新ということであろう。
まあ、欧米のパンクスの一部が過激さや尖鋭さを目指して、敢えてナチスを称揚する偽悪差別スタイルを取ったのと同じようなものかと。だが、至極残念なことに、過激な差別主義者を気取ろうにも日本にはユダヤ人も黒人もいない(笑)、日本の被差別者として部落だの在日だのもあったが、もはや何だか目立たない存在になってるし、今更そんなの差別してもウケそうにない(かのように思われた。当時は)。そこで彼が独創的だったのは「高卒ドキュン」という、まったく新たな被差別階級概念を自分で創りだしたことである。
これは確かに独創的だった、しかし限界があった。なるほどかろうじて当時まで、ネットユーザーには、どっちかといえば学歴も収入も高い人間が多くを占めた(従来パソコンって高価だったしスキルが求められ、初期のネットユーザーは理工系の技術者や大学院生が多かったろうから)。だからネット内で差別エリーティズムの標榜が成立しえたんだろうけど、あっという間にネットもパソコンも大衆に普及した、で、そもそも日本人全体じゃ大卒の方が少ないのである、これでは差別の成立しようが無かろう、被差別対象の方が多いんじゃねえ(笑)
しかし、マミー石田の高卒ドキュン差別によって、アングラを気取る人間の間で「差別=過激で、先鋭的、目立つ、斬新」というスタイルの先鞭はつけられたわけである。