電氣アジール日録

自称売文プロ(レタリアート)葦原骸吉(佐藤賢二)のブログ。過去の仕事の一部は「B級保存版」に再録。

すり替わった論点

何度も書いたことだが、わたしは、小林よしのり『ゴー宣 戦争論』の主張は「大東亜戦争を戦った爺さん肯定」の筈なのだが、若い読者の多数は「日本は正しい良い国→自分は正しい良い子」という現状の日本肯定自分肯定と受け止めたんだろうな、と認識している。
その齟齬が表面化せずに済んだ幸福な時期ってのが1999〜2000年頃だったんじゃないかと。
『ゴー宣 戦争論』の戦後民主主義教育批判は、読者の間で「大東亜戦争否定はおかしい」だけでなく、更に敷衍されてドミノ式に、「戦後民主主義教育は水で薄めた共産主義だ」、「弱者は無条件に正義の人権思想はおかしい」、と進み、かくして、無条件に「差別は良くない」という漠然とした観念もなんだか解体され、差別肯定も一部の過激な偽悪アングラ気取りだけのものでなくなる下地ができた。だがまだ「差別はしても良いのだ」とまでは行ってなかったと思う。
「右傾化」「保守化」の中身が変わってきたのは2001〜2002年だろう。911テロ後に刊行された『戦争論2』はアメリカを批判し、現代の反米アラブ勢力を大東亜戦争当時の日本と重ね称揚した。そしたら当然、読者には反発が出まくった。だってそれじゃ現状の日本肯定自分肯定でなくなっちゃうもの。
表面的な左右を別にすれば、反米自立という、突き詰めてゆけば現状自己否定を含む主張するようになって以降の小林よしのりの位置は、かつて1970年代、新左翼の若者反乱が消費ミーイズム肯定にすり替わった中、窮民革命論、アジアにゃ我々よりもっと貧乏な民がいるんだから、むしろ日本人全員貧乏に戻れ、という、突き詰めてゆけば現状自己否定を含む主張を掲げた竹中労などの位置に該当するんじゃないのか?という気がする。
続けて2002年には北朝鮮が日本人拉致を認めたことで「北朝鮮けしからん」が、一部の保守的とされる人々だけでなく、庶民の感情として普遍的に普及した。政治的なややこしいイデオロギー問題とかじゃない、拉致被害者は自分らと変わらぬ普通の庶民だ、それが勝手に異国にさらわれ家族別離の悲劇に遭わされた、という報道には、同情が集まったし、そんな悲劇を作った者への非難が起きるのは当然だろう。
しかしそこから事態はスライドし「北朝鮮けしからん」→「総連は北の協力者である」→「在日も叩いてオッケー」となり、2002年W杯で露呈した韓国観客の熱狂ぶりへの違和感「あの半島の人は南もなんか変」という感情も合わさって、既に「差別はしても良いのだ」となりかけてた事態は差別解禁、と開花した、ということではないか?
アメリカ批判は戦後日本の否定=現状自分の否定につながらざるを得ないが、「チョン」や中共の差別なら現状の自己を一切否定する必要は無い(差別だけでなく、じゃあ具体的に北や中共に備えるなら政策をどうするか、となると、日本の正式な再軍備→自分自身も一兵卒として血も汗も流さないといけないかも知れない→それはキツいからヤダ、考えたくない、となるのかな?)。
朝鮮に中国だけじゃない、あとは総連利権の暴露から同和利権の暴露と進んで部落差別も解禁、人権思想なんてもう信用しなくて良いってわけで、犯罪者となりゃプライバシー暴露してネタにはし放題、市民運動左翼だって反日なんだから差別してオッケー……ということではないか、なるほどこれでは今更マミー石田もかすむわな。