電氣アジール日録

自称売文プロ(レタリアート)葦原骸吉(佐藤賢二)のブログ。過去の仕事の一部は「B級保存版」に再録。

(4)1990年代後半 オタクの国粋化と差別のポップ化

1990年代の後半のオタク文化といえば「『エヴァ』バブル」である。1995年の『新世紀エヴァンゲリオン』のヒット以後、急にスノッブなアニメ評論が増えた。さらに押井守監督の『攻殻機動隊』がアメリカで大ヒットしたとかで「ジャパニメーション」とか、のちには「クールジャパン」なんて言葉が普及し始めた。確か『現代思想』が最初の「ジャパニメーション」特集を行なったのも1990年代後半だった筈。
つまり、従来「漫画やアニメやゲーム=子供の文化」として低く見られていたが、「漫画やアニメやゲームは日本が世界に誇る文化」という神話が広まった。
厳格な伝統文化を背負う右翼が若者文化を弾圧するようなイメージから一転して、自分らの方こそ日本文化を背負っているという意識の変化、つまり「オタクの国粋化」が起きてきたわけだ。
また、1990年代後半からインターネットとオタク文化が結びついてきた。個々のオタクが自宅の自室にいながら、ネット上で情報発信・交流できる。となれば、先に述べた1980年代当時のように、異ジャンル文化サークルが呉越同舟するような状況は減り、左翼臭のする他の文化系サークルと接するような機会もなくなる。

戦争論』とテポドン

こうした中、1998年7月に小林よしのりゴーマニズム宣言戦争論SPECIAL』が刊行されている。この本の影響力は今さら言うまでないだろう。
当時「ネトウヨ」という言葉はなかったが「コヴァ」と呼ばれた小林よしのり口真似エピゴーネンが大量発生したものだ。
ただし、小林よりのり自体は本来、あんまりオタク文化と相性がよい漫画家ではない。『ゴーマニズム宣言』の前身となったエッセイ漫画『おこっちゃまくん』や初期の『ゴーマニズム宣言』で、アニメ絵の美少女キャラが好きなオタクをかなり辛辣に描いている。
1995年のオウム真理教サリン事件以降は、オウム信者に同世代として共感的な宅八郎と対立している(宅八郎はアニメやマンガからの影響が強い世代としてのオウム信徒への共感であって、オウムの教義への共感ではない)。
1988年にはさらに、北朝鮮テポドン打ち上げが始めて行なわれた。それまで、若者サブルカルチャーの範囲内では、テリー伊藤の『お笑い北朝鮮』のように「北朝鮮はヘンな国」という見方はあっても、本気で日本に対する脅威と見なす視点は乏しかった。しかしテポドン打ち上げ以降、急に「北朝鮮の脅威」イメージが具体化してきた。

差別ブームの先鞭

また、1998年にはインターネット上で「高卒差別」のマミー石田という人物が登場し、低学歴を嘲笑する「ドキュンDQN)」という語を広めた。これが現在に至るネット世論での「差別ブーム」の走りといえる。
はっきり言ってしまおう。差別は楽しい、だって優越感が得られるもの。元がコンプレックスのある日陰者ならなおのことだ。これまた以前も述べたが、オーストラリアで有色人種差別の過激発言を飛ばしている芸人は、白人の中の少数派のアイリッシュ出身だそうである。事態の図式はどこの国も変わらない。
広義の文化的マイノリティであるオタクには「コンプレックスと裏腹のエリート意識」がある場合が少なくない。
とくにインターネットが普及し始めたばかりの時期は、パソコンはまだ高価で、PCユーザーは理系の高学歴者が多かった。1998〜2000年頃、ネット内で「ドキュン差別」が流行した背景には、そんな事情もあるだろう。
当時の「ドキュン差別」は、まだ一種の偽悪ポーズ、過激なアングラを気取った少数派の態度だった印象がある。しかしこれがその後のネット世論での「差別はしてもよいのだ」という空気の形成の契機になったのは確実だろう。
――以上のような面から、総合的に、1998年頃というのがオタク文化圏で右派が優勢に転じた時期と見なせる。