電氣アジール日録

自称売文プロ(レタリアート)葦原骸吉(佐藤賢二)のブログ。過去の仕事の一部は「B級保存版」に再録。

(3)1990年代前半 戦争観の変化とリベラル左派への懐疑

1989年にはベルリンの壁がなくなり、1991年にはソ連が崩壊し「社会主義共産主義は一切間違ってました」ということになった。
しかし長期的視野で見た場合、冷戦体制崩壊より1991年の湾岸戦争の方が、オタク文化に影響しているかも知れないという気がする。
これも以前に述べたが湾岸戦争を機に「ボタンを押してミサイルを発射するだけのゲームのような戦争」のイメージが広まった。
従来、兵器好きのミリタリオタでも、血みどろの大量殺人が行なわれる戦争を楽しく語るのはためらわれたはずだろうが、直接的な殺人や戦死体が描かれない戦争イメージの定着で、そのへんの敷居はかなり低くなった筈だ。
また、当時、社会党共産党や左派系市民団体が派手に反戦を訴えたが、アメリカ軍はあっさりと圧倒的勢いで勝利した(実際には戦闘に勝っただけでフセイン政権は生き延びた)。これで反戦論が大幅に説得力を失い、「ハイテク兵器カッコいい」と大手を振って言えるようになった面はあるだろう。

差別との戦いとの戦い

1990年前後には「『有害』コミック論議」というものが起きている。現在まで尾を引く「児童ポルノ規制」だの「非実在青少年」だのの問題の走りだ。
(もっとさかのぼれば、1970年代に永井豪の『ハレンチ学園』がPTAに叩かれた話とかもあるが、感覚的に現在と地続きなのはこのから時期あたりからだろう)
この手の表現規制問題がややこしいのは、表現の規制を唱えるのが保守権力ばかりではなく、むしろフェミニスストなどの反差別主義者であるということだ。
すでに1980年代末には「ちびくろサンボ絶版事件」が起きている。古くから慣れ親しまれた絵本が、黒人差別的であるという理由で葬り去られたという話だ。
さらに1993年には、筒井康隆の「断筆騒ぎ」という事件が起きた。国語教科書に採用された筒井作品がてんかん患者を差別していると見なされた件だ。当時、筒井康隆はまだかろうじて、若者向けサブカルチャー作家のイメージがあった。
右翼ではなく、反差別のリベラル左派の方が「言葉狩り」のような理不尽な形でサブカルチャーを弾圧するという事態が一般的に認知されるようになったのは、この「ちびくろサンボ絶版」から「筒井康隆断筆」の時期からではないかと思う。
漫画やアニメやゲームの表現規制問題をめぐって、現在のネット世論では、表現規制派のなかでも日本ユニセフ協会アグネス・チャンは人権主義者の左翼と見なされ、右派のオタクからは激しく嫌われているのは周知の通りだ。
ただし、表現規制問題では、一筋縄で行かないねじれも起きている。
日本の政治家では、東京都知事石原慎太郎を始め、表現規制保守系自民党に多い。逆に、「表現の自由」を標榜して規制に反対する立場は、民主党社民党などの左派リベラル政党に多い。
これは、先に述べた通り、漫画文化草創期の1960年代当時には「大人・権威・体制vs子供文化・反権威・反体制」という図式があった名残もあるかもしれない。