電氣アジール日録

自称売文プロ(レタリアート)葦原骸吉(佐藤賢二)のブログ。過去の仕事の一部は「B級保存版」に再録。

(5)2000年代前半 小泉改革の功罪

インターネットの普及初期にも、どこの誰が被差別部落出身だったり在日だと暴露するようなサイトはあったが、ごく少数派のアングラ系サイトだった。
それがゼロ年代前半、小泉純一郎首相のもとで新自由主義が進んでから、ネット世論で少数被差別者への差別的言辞が急激に広まった感がある。
かつて、高度経済成長期に日本全体から貧困が消えると、左翼の主張は、女性や被差別部落出身者、在日朝鮮人・韓国人、身体障害者、高齢者などの少数被差別者の人権擁護という方向に進んだ。確かに1970代当時にはまだそうした人々が名実ともに弱者だったといえる。しかし、一億中流の80年代には激しい差別は視界から消え、さらにバブル崩壊後の90年代には、普通の日本人男性でも就職難が増えてきた。ところが、左翼は「普通の日本人男性」が困ってても弱者として擁護してくれない。
本来オタクは日陰者だった。そこでオタクが社会的な少数被差別者の側に自己を投影する心性の持ち主になったとしても、決しておかしくはない。
実際、1970年代のヒーローは、『カムイ伝』のカムイは非人階級、『デビルマン』の不動明は半分悪魔、『仮面ライダー』の本郷猛は怪人バッタ男、と、普通の人間から外れた存在として描かれ、言わば少数被差別者の側が少なくない。このパターンはゼロ年代も『鋼の錬金術師』のエルリック兄弟などに見出せる。
オタクに人気の萌え美少女キャラの類だって、魔女とか吸血鬼とかアンドロイドとか地上侵略に来た海洋生物とか、少数被差別者のように「普通の人間ではない」存在として描かれたキャラは少なくない。涼宮ハルヒはオタクの本音を吐露するように、はっきり「普通の人間に興味はない」とまで言った。
しかしながら、上記のような考え方では、少数被差別者ばかりが偉く「普通の日本人男性」の自分はヒーローになれないのか? ということになってしまう。
わざわざあえて「普通の日本人男性」を肯定する思想はずっとなかったのだ。
そんな中、2001年に発足した小泉政権の「改革」は、自由競争原理によって公務員などの特権を破壊すると期待されて支持を受けていた、当時は。
それで「弱者を自称する人間が税金で助けてもらおうというのは甘え」という考え方が広まった。具体的には、従来の左翼が「弱者」と規定してきた女性、被差別部落出身者、在日朝鮮人・韓国人、身体障害者、高齢者などへの非難だ。
要するに小泉政権下の新自由主義によって「普通の日本人男性」が初めて、堂々と少数被差別者を批判して良い大義名分を手に入れたと考えることができる。
しかも、1990年代末からの「ジャパニメーションは日本が世界に誇る文化」という伝説の流布によって、オタクの間には「自分たちは日陰者ではなく、自分らの方こそ主流」という意識が芽生えてきた。となれば、オタクが少数被差別者を差別したい心性になってもおかしくあるまい。
さらに、2002年には日韓共催ワールドカップでの韓国の態度が注目され、同年中の小泉純一郎総理訪朝で北朝鮮が日本人拉致を認めた。これでネット世論では一気に、韓国と北朝鮮は差別してオッケーという空気が広まった。