電氣アジール日録

自称売文プロ(レタリアート)葦原骸吉(佐藤賢二)のブログ。過去の仕事の一部は「B級保存版」に再録。

動物化した差別者

『ゴー宣 戦争論』の風下にあるはずの若いネット右翼・保守の小林よしのり離れの背景には、だんだんネットでは、特に2chでは、小林よしのり愛読者というと「コヴァ、コヴァ」と呼ばれバカにされ、恥ずかしい、という図式が定着したのもあろう。というか、2chでは、誰の愛読者と自称しても「××信者」とバカにされる。
とにかく、自分の主体を、自分が何を支持してるかを明らかにすると突っ込まれる、恥ずかしい、何でも相対主義的に距離をおいて見ることができる(バカにすることができる、ツッコミをいれることができる)のがクールで格好よい、という空気が蔓延した結果、何かを積極的に支持するのは一切流行らず、しかし何かを貶すことだけは簡単にできる、結局、だから差別が流行――と、いうことではないのか。
しかしこれはもうすでに知能のある人間の思想営為ではなく、欲望の発露だけしかないのではないか。
かつて岸田秀フロイトを引用して、人間は本能の壊れた動物で、食欲も性欲も本来は生存本能に基づくが、いつの間にやら本来の目的を外れそれ自体の快楽が目的になったと書いてたが、人間には食欲や性欲と同じように差別欲の快楽というのがあり、本来は自分の民族なり国家なりの防衛という生存本能に基づくものの筈だが、いつの間にやら、それがもたらす優越感が自己目的化するようになったのではないか、としか思えないフシがある。
欲望に単直になるのを「動物化」と呼ぶ向きもあるが、動物は生存本能の必要以上に欲望に耽溺はせんものだとと思うのだが。