電氣アジール日録

自称売文プロ(レタリアート)葦原骸吉(佐藤賢二)のブログ。過去の仕事の一部は「B級保存版」に再録。

で、毎度のこじつけを

そんなことを考えながら翻って考えてみたのは、わが国が満洲事変から大東亜戦争に進んでいった時の国民感情はどんなもんだったろうか? ってことだ。
当時の日本は911テロのようなわかりやすい明確な先制攻撃は受けてないが、ロンドン、ワシントン軍縮条約で弱らされてた感情はあったというし、当時日本領土の朝鮮半島満洲の鉄道利権のすぐ側には赤化したロシアが迫ってたし、林房雄などは、幕末のペリー来航以来ずっと日本は欧米諸国に脅かされてきたのだと主張してる。
満洲に行った日本軍も「満蒙の解放」と言いつつ現地民には歓迎されなかった面が多々あるわけだが、その末端将兵は、やはり当時の日本の貧困層だった。関東軍の将軍だった東條英機石原莞爾も、特務機関の児玉誉士夫も、明治維新負け組の没落士族の出だ。昭和初期の青年将校運動の参加者は東北の農村出が多かった、ってのも言われ古されてる。
笠原和夫の『昭和の劇』によると、ある昭和維新青年将校の生き残りは「自分たちが政権を握ったら満洲から撤退していた」と証言してたという。これは戦後の発言だから額面通り受け取るには保留すべき面もあるだろうが、戦火を拡大、長期化させたのは、現場を知らない連中だ、という意見には説得力がある。
戦争が拡大、長期化しても末端将兵の地位は特に上がらなかったらしい、とはいえ、五族協和とか東亜解放とかのスローガンをある程度は本気で信じて、あるいは「狭い日本にゃ住み飽きた支那にゃ四億の民が待つ」と、内地での苦境脱出を夢見て開拓移民やらに志願して現地に来た人たちの感情にしてみれば、それを外部から、単なる侵略だと全否定されるのは良い気がしなかったろう。
関東軍やら皇道派青年将校イラク派遣米兵の末端を占める貧困層と重なると層だとすれば、戦争成金大企業ハリバートンやカーライルに重なるのは、当時の満鉄やら満業コンツェルンの職員なんだろうか? 彼らも、主観的には、満洲人に鉄道やら道路やらのインフラを提供してやってるつもりでいた、自分たちを守っている貧困層出身の兵卒よりは高給取りのいい身分だったろうことも同じだ。
当時の日本でも(軍内にも)、ある程度、意識のある層には、貧困国の日本がより貧しい国に攻めていってその民衆を傷つけるのは忍びない、という人間はいた。そんな矛盾感情を押し流したのが、米英ほか白人諸国への開戦だった。日中戦争までは疑問だったが、白人諸国への開戦で戦争支持に回った人間は多いという(高橋和巳邪宗門』の戦中篇にも、そんな描写があったな)。
確かに、日本軍はフィリピンやインドネシアビルマベトナムから、米、蘭、英、仏軍を追い出し、建前上、現地民の主権を回復させたが、それは石油とかが欲しかったからというのも本音だ。アメリカもイラクからフセインを追い出し解放したが、これも石油利権のためという本音が含まれてる。
日本でも結局、戦火の拡大とともに、戦争の継続は自己目的化してしまった、それも軍が上からそう命じるばかりでなく、国民自らの感情によってだ。「必死に戦ってる兵隊さん(には自分の親父や兄貴もいる)に申し訳ない」「『みんなで』苦労してるのに一人だけ戦争は嫌だと言うのか?」「これだけ戦争につぎ込んで今さら無駄で済ませられるか」……こういう雰囲気になると抵抗はし難い、いや、わたしもそういう感情になるかも知れぬ。
――幸か不幸か、戦後当のアメリカが作った平和憲法と安保体制のお陰で今の日本はたまたま当事者にならずに済んでいる。が、事態はウヤムヤなままで、日本ももし巻き込まれれば同じ図式の繰り返しになるのではないのか?
なんだかアメリカ人も昔の祖父の世代も笑うことはできんような気がする。