昨日の補遺とか
ああそうだ、昨日、ある意味で一番重要な点を書き落としていたかも知れない。
http://d.hatena.ne.jp/gryphon/20041013
・浅羽氏は、「脱正義論」には企画、構成から全面協力していた。
「自分は小林さんが運動や組織で盛り上がっているときは距離をおいてて、その運動が大きくなった末に組織と小林さんが決裂したときに来る、というのを繰り返してる気がする」(浅羽)
わしが慰安婦の問題を描いたときは40数団体から抗議が来たが、今は左が攻撃を受けるようになってる。ひじょうにせこいことをするなあという印象。どうしてわしはこんな人々を(ゴー宣で)育てたのだろう」
・浅羽「いずれこういう状況がやってくるな、と思ってたらこうなった。部落解放運動も、運動が達成されて具体的な運動目標が見えにくくなって言葉狩りが始まった。それをやるとなんとなく、成果が上がっているように見えるからだ」
要するに、浅羽通明氏も小林よしのり氏も、ほぼ、『戦争論』以降の「右傾化」(?)に対し、むしろ火消しの側に回り始めたということだ。