電氣アジール日録

自称売文プロ(レタリアート)葦原骸吉(佐藤賢二)のブログ。過去の仕事の一部は「B級保存版」に再録。

「法に触れる」だけが悪い事なんですか?

もう何度も何度も何度もしつこいが、わたしにとっては日本社会を考える最適の体験的材料になってるので、また、わたしが過去に一日だけ付き合わされたネットワークビジネス(MLM)の話。
まず、誤解なきように述べておくが、連鎖販売(マルチレベルマーケティング)というシステム自体は法的に違法ではない。また、ほとんどのMLMでは、明文化されたノルマの強制などない、それに、暴力的勧誘で会員になれと迫るMLMなどほとんどない。
それでもなお、わたしはMLMというものがゴキブリよりうじ虫より大嫌いである。なぜか? 彼らは法的には合法でも、感情に訴えてくる、いわく「やってみなくちゃわからない」「やってみれば『なーんだ』と思うよ」「うちの会員になれば社会の勝ち組になれる」「きみは負け組で終わる気か? 軽蔑するね」etcetc……わたしは、これは充分「お前ら(法的には合法であっても)嫌いだ」と言ってやる正当な理由になりえると考えている。
さて、わたしは件のMLMの集会に付き合わされウンザリさせられた後、その団体を脱退した元会員たちの作った掲示板を見たのだが、はじめはその内容に同感しつつ、これもこれで何だかなあ……と感じるに至った。元会員の多くは、件のMLM団体の幹部らの言説のひとつひとつを商法の××に触れると指摘したり、幹部らが大麻吸引乱交パーティをやってたことなどを、なんて許しがたい大犯罪者なんだと書き立てるのだが、「幹部連は法的に悪いことをしていた」という事実がなければ、自分の意見も言えないのだろうか?
そんなに法律とは絶対正義なのか? かつてのドイツでは法律でユダヤ人を収容所に送ることは合法とされ、今の中共でも法律で合法的に民主化運動家が弾圧されてる、しかし常に「その時の法律」より、それに反する個人の意志による普遍的ヒューマニズムの方が実は正しくなかったか?
頭の悪い左翼は、国家という物をとにかく悪であると考えたがるが、そもそも、国家ができた理由を遡れば、原始社会は生の生存競争であり、獲物を捕ったり敵部族を殺すのに長けた体育会系以外個々の人間が保護されなかったところに、それらを保護するため村落共同体ができ、それが発達したのが国家であり、腕力のない奴でも勤まる祭祀だの政治的儀礼だのの文科系職業を造ってくれたのもまさに国家ではないか(笑)。同様に、法律とは、本来人間を守るために作られたものであって、法律の方がその本来の主旨に反していれば、異を唱えるのは当然のことだろう。わたしは憲法改正論者である、日本国憲法第一条でハッキリ「MLMは禁止」「商業エロスパム送信も禁止」「違反者は死刑」と書いてよいと思っている、本気だ。
しかしだ、件のMLMの元会員らが組織内にいて幹部連中の言うことに熱中してた当時なら、そんな幹部連のスキャンダルも、下手すれば「勝新太郎だったらコカイン吸っても許す」「猪木だったらフセインと仲良くしても許す」という感じに「あばたもえくぼ」で暗黙のうちに許してたんじゃないの? という気もしている。こういう、立場が変わっても自分は「良い子」の陣営だと思いたがってる付和雷同の人々は、平気で、戦時中は大日本帝国天皇陛下万歳を唱え、戦後は民主主義マッカーサー万歳を唱えかねない。
――またしても何やら私怨話をクドいようだが、堀江貴文逮捕後の世間の手の平の返し方を見てると、まったく変わらん構造じゃん、と思ってしまうのである。