電氣アジール日録

自称売文プロ(レタリアート)葦原骸吉(佐藤賢二)のブログ。過去の仕事の一部は「B級保存版」に再録。

怒ると暑くなるから怒るのやめ

7月中、雲が多くあまり太陽が出ない代わりに蒸す日が多かったが、めっきり夏らしくなった。くそ暑いが湿度は下がったのがせめてもの救いか。
この季節、ネクタイ・スーツの着用義務がない自由業は助かる。先日、取材のため一日だけ渋々ネクタイを締めたが、恒常的にそれを要求されるビジネスマンには大いに同情する。
先日、日本で夏にネクタイ・スーツの服装をする事は非科学的どころか反科学的ではないか? と長年の本音を暴露したが、『en-taxi』の新装版第一号に糸圭秀実クールビズ批判を書いていた。
スガさん何考えてんだよ? やっぱりアンタは難しい文芸批評ばかりやり過ぎてリアルな勤め人の感情がわかってねえのか! と思ったら、批判の方向が逆だった。
つまり、ノーネクタイのワイシャツ姿の小泉純一郎までは許容されるが、Tシャツ一枚きりの堀江貴文はもう許されない、というのが日本社会なのか? という内容である。なるほど、ジャーナリスト専門学校でも、背広を着たスガ先生はほとんど見なかった気がする。
……とか思ってたら、『AERA』にスーツ萌え女子怒る「クールビズなどとヌカす記事が載ったので、見出しを見て、ただでさえ暑い中怒りで体温が上がりそうになった。
……まあ、どうせ、深刻ぶりっこ優等生が一生懸命無理やり「社会問題」を探してみたら、何のこっちゃ気分の問題しかない、という朝日新聞の阿呆な体質を見事に反映したAERAのいつものパターンであるから、いちいち本気で怒る方が馬鹿を見るというものであろうが。
しつこく繰り返すが、日本で夏にネクタイ・スーツの服装をする事は非科学的どころか反科学的としか言いようない。
――が、考えてみた、服装とは儀礼であり、儀礼においては科学的な実用性なんぞより、「気分」だの「人の好み」のほうがよほど優先されるのだろう……しょうがねえ。
それにである、AERAの記事見出しとリード文は、わざといかにもケーハクな婦女子の好み一発が全宇宙の正義であるッ!! とばかりに服装にダラしない男を無慈悲に糾弾するかのように煽っているが(この考え方なら糸圭秀実はもぅ完全にNGのオヤジである)、服装、儀礼、衣装の非科学的、反科学的理不尽に束縛されてるのは女子の方も同様だ。
スカートというのは夏は羨ましいが、冬は可哀想なものである。肉体構造的に、女子の方が、平均して体温は低く、暑さより寒さへの耐性が低い(『マリア様がみてる』にさえハッキリそう書かれている)。だというのになぜ女子はスカートを履かなければならないのか? これはもう本当に非科学的どころか反科学的としか言いようない。
さて、わたしは10数年前、以費塾論語講座で、礼儀作法はなぜ必要なのかというと、(『論語』の第何章だったかはうっかり忘れたが)孔子によれば、それは相手に対する真心を現すものであるからだ、と習った。
なるほど「ボロは着てても心は錦」なんて言ったって、初対面の相手に、本当に信用に足る相手かなどわかりはしない……となれば、服装や外見で人の印象が判断されるのもいたし方ないのだろう。