電氣アジール日録

自称売文プロ(レタリアート)葦原骸吉(佐藤賢二)のブログ。過去の仕事の一部は「B級保存版」に再録。

根源論だけしかない本

と、いうわけで『天皇反戦・日本 浅羽通明同時代論集 治国平天下篇』(isbn:4344013425)を読む。
これは浅羽通明氏が20年前からやってる個人誌「流行神」のよりぬき版なわけで、今回は「治国平天下篇」と銘打ってあるが、今後、おたく世間人生論の「修身斉家篇」、思想サブカル論の「格物致知篇」、論戦ねたの「場外乱闘篇」と続く予定らしい。
わたしは「流行神」はナンバー30番台の頃(1990年)から読んでたジジイなんで、本書収録の文章はほとんど、一度は読んだことある内容なのだが、こうしてテーマごとに並べ直したものを通して読むと感慨深い。
なんというか、表層的な思想の左右上下などまるで無視した矛盾を恐れることなき根源論の連発! 初めて浅羽氏の芸風が呉智英師匠譲りと感じた。
印象深い発言を軽く引用してみるとこんな感じ。

国民皆兵で戦う覚悟も、非武装無抵抗で侵略される覚悟も、生活水準を激落させてゆく覚悟もなく、自衛隊という「特殊な人たち」に犠牲を押しつけたまま、「国際社会における名誉ある地位」なんぞを欲しがっている日本人、構図はおんなじだ。(p56)

これは皇室の存続が論議になる中、右も左も誰一人、自分の家の人間が皇室に嫁ぐとかいう当事者性がないからいくらでもものが言える状態を突いての言葉。

日本左翼は民青からテロリストまで、何時だって清く貧しくだった。すなわち、自分だけは手を汚してませんよと証したいだけの、きわめてエゴイスティックな「運動」しかしなかったわけだ。(p104)

と日本左翼のヌルさを突いた直後、2004年のイラク人質事件についてこう語る。

戦争とテロが横行する(らしい)海外へ首を伸ばすのを怖がり、国内という殻へ引きこもって、アメリカの軍事力へゲタを預け、停滞と依存の日本「世間」のなかでまどろむ上は小泉内閣から下は庶民大衆まで、マジョリティは皆「自己責任」などいつのまにかすっかり、放棄してしまっている。経済的にも、橋本”火だるま”内閣が証明したように、構造改革など逆効果でしかないと実はわかってしまっている。
 ところが、いつのまにか皆で捨てたはずのこの「自己責任」を、海外へ無謀にもあるいは勇敢にもしゃしゃり出て行ったマイノリティへ対してはしっかり要求して恥じない……。もはや「自己責任」は九〇年代中頃そうであったような、新しい日本社会を統べる普遍的原理ではなくなったらしい。そうではなくて、一部の逸脱者へのみのいわば懲罰か特権剥奪のごとく課せられるオルタナティヴ・ルールとなったらしいのだ。まあ一種のダブルスタンダードの誕生だろう。(p113)

本書では、戦後天皇を腫れ物に触るがごとく曖昧に扱いつつ都合よく「民主的な人間宣言をした天皇」という解釈を広めた知識人を撃つ一方、「イラクから撤退しないなら俺が死ぬ」という人命尊重を逆手に利用した反戦抗議の手段を論じてみたり、911テロを起こしたイスラム原理主義者をまったくの他人としか思わぬ今の日本人に向けて戦時中日本で本気で構想された米国本土特攻計画を紹介したり、いったいこの人の思想は上下左右どっちを向いてるのか? と、面くらうかも知れぬ。
これは要するに、愛国とか言うなら本気で自分が国家のため死ぬ気で行け、反戦平和と言うなら絶対非暴力で殺される気で行け、自己責任と言うなら自分にも相手にも適用させよ、切羽詰った後進国の人間はそりゃ先進国民をぶっ殺すのが当たり前だよ……etcetcと、気分だけでものを言っている人間が直視してない根源論しか述べていないという、それだけのことなのだ。