電氣アジール日録

自称売文プロ(レタリアート)葦原骸吉(佐藤賢二)のブログ。過去の仕事の一部は「B級保存版」に再録。

責任ある鼓腹撃壌のアナーキズム

ただし、浅羽通明という人物は、単なる奇をてらった毒舌偽悪芸が目的の人間ではない。
そもそも、1990年代初頭、浅羽氏は、新保守的志向による若手の左翼批判論客と見られて注目された。確かに当時、浅羽氏は『ニセ学生マニュアル 死闘篇』『天使の王国』などの著書で反戦エコロジーなどの市民運動左翼を痛烈に批判した。
だが、当時、浅羽氏が口を酸っぱくして繰り返したのは「対案」「実効性」「当事者性」、この三つのない思想運動は無意味な自己満足でしかない、ということである。90年代中頃、小林よしのりのブレーン格として『ゴーマニズム宣言』に登場するようになって以降は「与党精神」という言葉が加わった。
(以上の四点は、今では、プロ市民サヨクだけでなく、口先だけの自称愛国者ネット右翼にも見事欠落している)
浅羽氏は「本気で世の中を動かしたいならどう考え、行動すべきか」という意味で、無難で表層的なことしか言ってないヌルい連中に根源論を突きつけているのである。だから、ただ外野から権力を批判するより、その行使者の側となり責任を持てと説く。

政府は人民を抑圧する権力であるとともに治安維持や福祉をなす主体でもある。資本家は搾取者であると同時に消費物資を供給し雇用を作出する事業主でもある。これら後者の一面において、政府と人民、企業と労働者は一体をなす関係にあることは否定できないのだ。(p148)

さらに今回は、昔から言ってきた「対案」「実効性」と当時に、あえてこれと正反対のことも言っている。

 戦争など止められない。だから何? 自己満足じゃん。それで悪いかい? ここまで開き直ったとき、露わとなる境地……。これは必ずしもバカにできない。
 なぜなら――。どうせ何にもならないじゃん! という、デモをやってる連中へ浴びせられる冷笑が、もはや無効となるからだ。(p140)

実効性を完全に無視したところで宗狂の域にまで達すれば、別の意味で一皮剥ける。なぜなら、人間は(なぜか)実利のみに生きるわけではない変な生き物だからだ(実際、だから大衆多数はヒーローを求める)と説く……この辺、呉智英夫子のいつもの論と近い。
――恐らく、浅羽通明は今でも腹の底ではどこかアナーキストである。
実際、呉智英夫子が『封建主義者かく語りき』で、理想郷のひとつとして論じた「鼓腹撃壌の世」というのは、皇帝だの支配者の有無に関係なく民が満足した状態をさす、これとアナーキズムは矛盾しない。
また、近年の浅羽氏は「現代は新たな中世に向かいつつある」と説くが、「階層があろうが俺は勝手にどっこい生きている」という気概さえあれば、階層社会とアナーキズムも決して矛盾はしないのである。