電氣アジール日録

自称売文プロ(レタリアート)葦原骸吉(佐藤賢二)のブログ。過去の仕事の一部は「B級保存版」に再録。

本宮ひろ志連載中断問題関連

http://d.hatena.ne.jp/hotsuma/20041013
http://d.hatena.ne.jp/claw/
じつは『国が燃える』はチェックしてなかったんで私見は控える。
で、以前からの大雑把な私的個人的な本宮ひろ志への印象。
ひょっとすると今いきなり、過去の本宮を知らない世代の間で「本宮ひろ志=アカ・反日」という評価が広まっているのかも知れないが、浅羽通明ナショナリズム』での『男一匹ガキ大将』の章を引くまでなく、本来の本宮は、右翼的とさえいえる不良マッチョ男根原理の作家だった。
確かに元宮作品で左翼や中共が正面から批判された様子はあまりないが、基本的に、反米、反白人イデオロギーのようなものは一貫してたという印象がある(90年頃モーニング連載の『大と大』では、アメリカに立ち向かうフセインを好意的解釈で描いていた)、ただし、これは本宮に限らず、猿渡哲也やら村上龍やら、ヤングジャンプ週刊プレイボーイなどの集英社不良路線の一つのカラーだったいえるとも思う。
そもそも彼は中卒の自衛官から漫画家になった男で、そこに理念的インテリにはない大衆のリアリズムと説得力があったはずだった。しかしそれが漫画家として大成して以降、大文字の説教臭さが漂うようになり、そこが何か嫌になった、という声も一部にあった。
しかし世がラブコメブームとなり、番長マンガがウケなくなった80年代前半の苦闘の時期の産物、政治実況中継漫画『やぶれかぶれ』(週刊少年ジャンプ連載)は、作者自らを主人公に政治家と会ったりの体験ルポを描くという点など、ゴーマニズム宣言を先取る作品といえ(浅羽通明氏も密かに評価していた)、作者自身の主観を語る姿勢は、少なくとも雁谷哲『蝙蝠を撃て』の啓蒙臭さよりは漫画として面白かったと思うが。