電氣アジール日録

自称売文プロ(レタリアート)葦原骸吉(佐藤賢二)のブログ。過去の仕事の一部は「B級保存版」に再録。

予選敗退後の夏

那須きのこ『DDD』(第二巻)を読む。
第一巻では、この手のラノベ類の中では、メンヘラ系の人間の甘えへのツッコミが容赦なく、それでいて別に他人事扱いでバカにしているわけでもなく、「健全な身体あっての健全な精神」という自戒(この作品に登場する異常犯罪者は、すべて精神の歪みが肉体に具現化したものである)の込められた姿勢に割と好感があった。
で、第二巻は「甲子園に行けなかった高校球児のその後」の話である。まあ正確には「超能力元球児路上バトル小説」だが、さりとて少年ジャンプの漫画のような雰囲気とも一風違って、意外なまでにまっとうな青春小説にも仕上がっている。基本テーマは、すぎむらしんいち『サムライダー』と同様、青春を切り上げた男と、青春のまま時間が止まって怪物化してしまった元ライバルの対決、というパターンにも読めなくない。
那須と同業の、この手の文系内向型のライトノベル作家とか、エロゲーシナリオライターの作品では、コンプレックスの裏返しなのか、人間観の幅の限界なのか、えてして「体育会系」「運動部員」というものは、単純粗野なドキュン、汗臭いバカと矮小化して描かれるか、宮下あきらの漫画のように過剰にバロックなものにデフォルメされがちである。
が、この『DDD』では、主人公の石杖所在の後輩で、実質、第二巻の副主人公である元野球部スラッガーの霧栖が、善人でも悪人でもない、みょうな実在感のある人物として描かれていて、ちょっと意外な好感が持てた。少なくとも『木更津キャッツアイ』の、元野球部員という設定の主人公たちよりはずっと実在感がある。
――体力も人望も人並み以上にあるが、一番になろうという気概はない。当然努力はしているが、スポーツは楽しむためと思っていて、勝つことに執着はなく、引退後も未練はない。野球に深い愛着があったからこそ、引退後は潔くバットを振るのを一切やめている。面識ある身内には情に篤いが、赤の他人相手には平然とワルいこともする――こういう、善人でも悪人でもないヤツ、本当にいそうだし、身内なら仲良くできるが、本質的部分ではこちらの軽薄さを見抜いてたりしそうなタイプだなあ、と思った。
しかし、この作品を、キャラ萌えとか、超能力だののSF・伝奇的ギミックなどでなく、こういう部分で評価してる人間が果たしているかは不明。少々もったいない気がする。