電氣アジール日録

自称売文プロ(レタリアート)葦原骸吉(佐藤賢二)のブログ。過去の仕事の一部は「B級保存版」に再録。

「白髪三千丈」の真相

本当にまともに開催されるのか? と案じられる北京五輪もあと1ヶ月余り、というわけで、扶桑社文庫『徹底図解 中国がわかる本』小口彦太監修(isbn:4594056946)刊行。
世に多くの『中国本』があふれているが、本書はとりあえずお手軽な形で統計的データを中心に構成。具体的には――
1.中国の社会・生活
 (物価、所得格差、インターネット普及率…etc)
2.中国の政治・産業
 (共産党員の数、主要な工業製品の生産量…etc)
3.中国の軍事・外交・交通
 (国防費の推定額、交通事故件数…etc)
4.中国の文化・スポーツ
 (民族と言語の分布、世界遺産の数…etc)
5.中国の国土・環境
 (森林面積、CO2排出量、黄河揚子江の汚染度…etc)
――などといった内容。
当方は「5.中国の国土・環境」を担当してますが、ほかにも、CATV普及率だの、年間の祝祭日だの、中国の学生の就職人気企業だの、共産党における女性の比率だの、宇宙ロケットの打ち上げ回数だの、衣類の生産量だの、結局、全部の章にまたがって何か書いてます。

きみは世界のパンツの何割が中国製か知っているか?

今回、本書の執筆のため調べてて初めて知ったことは多い。
中国ではCATVの普及率世帯がかなり多いのだが、対照的に、衛星放送の方はほとんど普及していない。理由は、共産党の方針で、海外の電波を自由に受信できる衛星放送の一般加入が制限されているためだという。
また、「各省ごとのCATVのCM収入額」というデータを見ると、広東省チベット自治区ではじつに144倍もの金額差があった! こんなところにまで、いかにチベットが貧困地域かを示す数字が?
かと思えば、アメリカにはジョージ・ワシントンの記念日があり、インドにはガンジーの記念日があるというのに、今の中国には公式には毛沢東の記念日はないという。これは本当に意外だった。
ほかにも、中国内の各省での交通事故件数の比較(ここにも沿岸都市部と内陸後進地域の格差が歴然!)だの、世界の下着類に占める中国製品のシェアだの、一見阿呆らしいようで、その裏にはバカにできない事情の隠された数字も少なくない。

本当に「中国は上意下達の独裁国」ならむしろ楽

さて、今回も、KKベスト新書『100文字でわかる世界地図』(isbn:4584121613)のときと同様、各省庁から公刊されている白書などを資料に使ったわけだが、中国のことであるから、数字の信頼性があやしい項目も少なくない(中には一応公表されている数値を記したが、監修の小口先生のチェックを経て「信頼性が低い」とハッキリ明記した箇所もある)。
これには、当然ながら、中国共産党の上層部が自分に都合よく数字をいじって公表しているという側面も大きいだろう。
しかし一方で、むしろ現在では、下々の小企業や地方の小役人などが勝手なことをやっていて、上層も実態を把握していない、という事態も少なくないのではないか?
中国は共産党一党独裁の体制を取っているが、稼げる奴から先に稼げという「先富論」の定着以来、各企業、各人が己の欲望のままに手前勝手なことをやらかす状況になっている。
少し前、フランスがチベットを支持したために中国で起きた大規模な反仏暴動など、日本で日露戦争後に起きた日比谷焼き討ちと同様、民衆の下からの自発的ナショナリズムの暴発で、むしろ共産党が焦った火消しに回ったという側面がなくはないか?(その後、カルフール社が四川大地震に多額の寄付をしたことで反仏感情はおさまったが)。
そんな具合であるから、現在の中国が抱える数々の問題は、もはや、ただ共産党政権がさっさとホーカイすればすべて解決! などという簡単な構図ではあるまい。

昔も今も支那は一枚岩の国にあらず

これは別に、開放経済の進展で中国共産党の一元的支配力が揺らいできた、というここ最近の話でもない気がする。
考えようによっては、何を今さらな話であるが、今の「中国」ばかりでなく、歴史的な「支那」はそもそもちっとも均質な社会ではない。
じつは、秦の始皇帝の大統一以後、漢民族の統一王朝が成立していた期間より、魏晋南北朝時代五代十国時代のような分裂期および元朝清朝のような異民族支配の期間のほうが少しばかり長いぐらいなのである。
これも今回調べて改めて知ったが、現在の「中国」の国土面積中、定住に適した平地は、たったの12%しかない。その周囲のほとんどは、チベット高原だのタクラマカン砂漠だのといった、自然環境の厳しい辺境地帯だ。
なるほど彼らの、文明圏たる「中華」に住む漢人と、辺境の蛮族たる「夷狄」を差別する「中華思想」は、こういう国土環境の産物だったんだろうなあ、やっぱ人間の思考って、首から下の生活によって規定されるもんだわ、などと改めて痛感した。
世の中は、首から上の思想や政策だけで割り切れるものではないのだ。