電氣アジール日録

自称売文プロ(レタリアート)葦原骸吉(佐藤賢二)のブログ。過去の仕事の一部は「B級保存版」に再録。

時代論メモ

いかにも最新の情勢にうといオジサンのように『お前が若者を語るな!』後藤和智isbn:4047101532)と『論争 若者論』文春新書編集部(isbn:4166606654)を読んでみる。
『お前が若者を語るな!』は、なんというか、宮台真司とか大塚英志とか香山リカとか荷宮和子とか、リベラルな若者やサブカルチャーの理解者という顔をしておいて要は自分のキライな日本の保守的男性原理を叩くためのダシに若者論やサブカルチャー論を都合よく利用している連中がメッタ斬りにされている分は良いが、すべて同意とはいいがたい。
なるほど、宮台とか香山とかが自分の身近な教え子数名の話を若者全体のように語るのはリサーチ不足だ、とかいうのはまったくその通りなのだろうが、とにかく「実証性がない」の一点張りだ。では、知識人は印象批評の類は一切してはいけないのか?
何事も広範な客観的データに基づいてのみ述べよ、というのは確かにストイックな厳格さともいえなくないが、そんな調子では何も発言できなくなってしまう。

90年代〜ゼロ年代の差別、生存競争、弱肉弱食…

『論争 若者論』から、自分の個人的な関心に寄せて気になった箇所を少し引用してみる。

「右派の思想では、フリーターである自分も『日本人の31歳の男性』として、在日の人や女性、年下の連中よりも敬われる立場に立てる」
赤木智弘「続「丸山真男」をひっぱたきたい」
 P47 萱野稔人「「承認社会」を生きる若者たち」からの再引用)

宮崎学さんの『突破者』に、こんなエピソードがあります。
宮崎さんの実家はヤクザで、そこに被差別部落出身で部落解放運動を熱心におこなっていた10代半ばの若者が入ってくる。当時マルクス主義者だった宮崎さんはそんな彼に、ヤクザになるより運動をつづけて社会を変えたほうがいいのではないかと諭す。それに対して彼はこう答えます。ヤクザになった途端まわりが変わったんだ、今まで自分を差別していた世間の人間が誰も表だっては差別しなくなったんだ、これはなかなか変わらない社会を相手に運動をつづけるよりも自分にとっては解放なんだ、と。
(P57 萱野稔人「「承認社会」を生きる若者たち」)

日本で皆が楽しく暮らせるのは、祖父や父親が企業戦士として頑張った結果を「果実」として得ているから。りんごの木を植えなければ果実も食べられないのに、母親は安全や安心ばかりを考えて、木を植えに行くのを止めようとする。
(P65 掘紘一「若者をインドで鍛錬させよ」)

「貧困」という形で、ある一定層が固定するところまでいってしまうと、同じ国を生きる仲間としての同胞意識がなくなってしまう。そういう国家は崩壊すると僕は思います。
(P104 佐藤優×雨宮処凛「戦後初めて、若者が路上に放り出される時代」)

豊かなポストモダン社会では、自己実現したい者は存分にすればよい。だが、すべての人間が創意工夫する必要も自己実現をめざす必要もない。
(P154 宮台真司「「まったり」生きる若者たち」)

少年Aが知的発育障害者の男の子を手にかけたときから、自分自身弱者に違いない者らが自分より弱い者を殺戮する「弱肉弱食」の時代に突入したのである。弱い者が弱い者を食らって生きる、「酒鬼薔薇以後」とは、そんな酷たらしい時代なのだ。
(p166 高山文彦「臆病な殺人者 加藤智弘と酒鬼薔薇聖斗」)

90年代〜ゼロ年代は本当に時代の激変期か?

『お前が若者を語るな!』も『論争 若者論』も「90年代〜ゼロ年代には若者をめぐる環境が激変した」という通説を一応の前提としている。
この「激変」というのは、どうやら、携帯電話やインターネットの普及、冷戦体制や自民党一党支配の崩壊など戦後日本世間にあった一元的父権的な「正しさ」の権威の解体、戦後ずっと続いてきた経済成長の失速……などを指しているらしい。
――ハテ、それらは本当に歴史的な大激変などと呼ぶべきものなのだろうか?
わたしは、近代200年間で、もっとも急激な時代の変化が起きたのは、第一次世界大戦後、1920年代のワイマール共和国のドイツではなかったろうか? と考える。
1789年の大革命後の10年間のフランスとか、1861年南北戦争勃発後10年間のアメリカとも激変期なのだが、基本的には一国内の政治体制の問題だろうという気がする。
一方、プロイセンの帝政 → 当時世界で一番民主的な共和制 → ナチズムの独裁体制という凄まじい極端から極端への変化を体験した、ワイマール共和国時代のドイツは、それだけでなく、国民全体の生活と意識の変化までも大きかったようだ。
当時のドイツを見舞った激変は――
君主制、貴族制の瓦解、戦勝国によって課された巨額の賠償金(最終的な返済は1980年代になる予定だった!!)、路上に溢れ返る失業者と大インフレで明日には紙くずと化す紙幣、隣接するオーストリア帝国ロシア帝国の崩壊による難民の大量流入ロシア革命の影響を受けた共産主義者とこれに対抗する復員軍人崩れの民族派団体による左右両翼によるテロの横行……ときている。
テクノロジー的な側面でも、第一次大戦を契機に、あらゆる工業製品の工場大量生産が進み、自動車、航空機、電話、映画、などが普及を広めた。
ついでに、当時の欧州では、戦時下で男性が戦場に動員された穴を埋めるため女性の社会進出も急に進み、伝統的な良妻賢母主義一辺倒の家族共同体も揺らいだ。
つい先日まで帝政時代の古風な社会道徳が支配していたベルリンでは急速に風紀も乱れ、当時の作家のシュテファン・ツヴァイクが書いていたところによれば「若い女性は、性的倒錯を自慢げに誇った。十六歳で処女とみられるのは、ベルリンの学校ではどこでも不名誉なこととみなされた」そうである。

1920年代のゼロ年代の差別、生存競争、弱肉弱食…

どうやら、1920年代のドイツでは、かような時代状況の変化を背景に「失業者の自分も『ドイツ人の男性』として、ユダヤ人や女性よりも敬われる立場に立てる」と思った連中が、「ナチス党に入った途端まわりが変わったんだ」とか思って、「自分自身弱者に違いない者らが自分より弱い者を殺戮する「弱肉弱食」の時代」に進んだようである。
――とか書くと、十年一日変わらん化石左翼の陳腐な「いつか来た道」「軍靴の音」論かよ、というツッコミが入りそうだが、わたしが強調したいのは、そういう時代の変化は、阿呆な左翼が言うように、どっかに悪い大人がいて煽り、民衆は常に被害者というものではなく、むしろ民衆の間から、下から自然に起きるということだ。
ワイマール共和国のドイツというのは近代200年の変化の方向性とその問題点が10年ちょっとの短期間にぎっちり濃縮されている分、話がわかりやすい。
当時のドイツの変化は、社会の土台、スポンジケーキ部分からの変化といえる。これに比べれば90年代〜ゼロ年代の日本が体験した変化など、ケーキのデコレーションが苺からブルーベリーに変わった程度の変化ではないか?
本当に大した変化なのかよくわからない「90年代〜ゼロ年代の激変」とやらを直に分析するより、ちょっと過去に目を向けたほうがよく見えてくることは多いかも知れない。
逆に言えば、まだ今の日本のプレカリアートは一日に一食も食えないからナチス党に入るまでなく、コンビニで100円のパンぐらいは食えてるじゃないか、とも言える。
本日、最初に牛肉の値段の話など書いたのは他でもない。そもそも、昭和時代と現在では、貧乏の基準、贅沢の基準も違う。
『アキバ通り魔事件をどう読むか』洋泉社ムック編(isbn:4862483151)によれば、現代日本プレカリアートの代弁者であるらしい雨宮処凛は、月六、七万円の部屋に住みながら金がないというフリーターに対して、まず二万円の部屋から出直せという声に対し「不愉快だ」「貧乏人だって風呂つきの部屋に住む権利はある」と反論したそうだ。
どんな貧乏なフリーターでも風呂付きが最低条件であらねばらなぬとは、日本も贅沢になったものである。わたしは十五年来銭湯通いだけどね。
――と、毎度毎度こういう、昔を振り返れ話ばかり書いているので、「これだから骸吉のようなジジイは!」としか思われぬかも知れないが、ロスジェネ世代の旗手のように言われる赤木智弘だって33歳、わたしと5歳しか年は変わらんのだし、年収なんか俺のほうが下だぞ(←これは余り関係ない)
どうしてみんな「現在」にしか目が行かないのかね?
ま、そういうものか。