電氣アジール日録

自称売文プロ(レタリアート)葦原骸吉(佐藤賢二)のブログ。過去の仕事の一部は「B級保存版」に再録。

まったく自由だと人は成長しない、ような気がする

先ごろ、友人の長男(リアル中坊)が登校拒否になった。
友人は息子を放っとくとただの時間つぶしの現実逃避引きこもりになりそうだったので、口論の結果、息子のパソコンを取り上げて携帯電話を破壊したという。友人は子供から鬼畜呼ばわりされたと閉口していたが、結果的には、親としては必要な行動だと思う。
その友人も若い頃は学校嫌いだったので、そんなに嫌なら学校なんぞ行かなくてもいいが、例えば美術館や写真展に行くなど、代わりに興味のあるものを見つける努力をしろと諭したという。
とはいえ、14歳がいきなりそう言われても、どこへ行って何をすればよいかわからんよね。
そこでわたしが思いつき一発で「じゃあ息子さんには課題を出すというのはどうだろう? たとえば博物館に連れて行って『時間内にカクカクシカジカの条件のものを幾つ調べてこい』とか、で、ちゃんとレポートを書かせるんだよ」と提案したところ、言い出しっぺが実行することになった。
で、先日、一日野外授業として友人の長男を上野の国立科学博物館に連れて行ってみた。ここは、恐竜の化石から、原始人の住居、実物大の鯨の骨格標本、自動車や飛行機など、男の子が興味を持ちそうな品が満載である。で、「全長5メートル以上の生物」「2000年前の人工物」「もっとも高価と思える鉱物」などの課題を出して一人で探検させてみた。
わたしは精一杯「今日は遊びじゃねえぞ」と強調したので、友人の息子は言われた通りの品々を見つけては来たが、レポートの記述が1行程度でまるで具体的でない。まあ、自分がリアル中学二年生だった当時もたいした注意力はなかった。
それで、答え合わせのように課題に合わせて見つけてきたという展示物を実際に一緒に見に行き、その場でスケッチを描かせたところ、わりと一生懸命に描いていた。
この日は当初「一人で探検させる」という意図だったが、考えてみると、ずっと一人では手応えもないだろう。その一人で探してきたものに対して、横で先生役(わたし)が「ああ、なるほど、確かに課題通りのブツだね」と言ってやることが重要なのかな、と思った。

人間は一人で成長できるか?

わたしは、学校嫌いは仕方なくても「自分で調べる、自分で考える」ということは身につけなきゃいかんだろ、と考えてたわけだが「自主性を身につけさせる」とは自己矛盾だ。しかし、教育とはつねに、この自己矛盾を実践しなければならない。
先日、畏友ばくはつ五郎(id:bakuhatugoro)がフリースクールについて書いていた。
http://d.hatena.ne.jp/bakuhatugoro/20090201#p2
まったく自由という状態で子供が自発的に何かを学んだり身につけたりできるかというと、やはり難しいと思う。
人間が何かを身につけようとするには、やはり、まず目的と、それから身につけたものをフィードバックする相手が必要なのではないか。
こうエラそうなことを書いているわたしも、現在では出勤ということをしなくてよい自宅で一人でできる仕事なので、必要に迫られなければすっかり頭を使うことをサボっている。
この友人の長男は博物館の展示物の中でも石英の結晶などの各種の岩石をおもしろがって見ていたが、最後に博物館のお土産コーナーでは鉱物標本セットを買い、帰ると兄弟に見せびらかしていた。これも「こんな変わったきれいな石があるんだぜ」と見せびらかす相手あっての行動だ。
わたしは最後に「単に『変わったきれいな石だなあ』じゃなくて、じゃあ、なんでそんな形とか色の石なのか自分で調べるんだぞ」と、エラそうに教育的なことを言って帰ったが、果たして、たった一日こうやって引率の先生役をやってみてぐらいでは、これで当人に自主性が芽生える契機にでもなってくれたかまるでわからない。